なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ333 清凉院から

2021年10月03日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第333回。10月3日、日曜日。

10月となりました。
333回、番組のタイトルと通じるものがあります。よくも毎週続いていると自分で思います。
記念すべき回かな。

ということで、今日は気仙沼、清凉院からお送りしています。
気仙沼に来るといつも連れて行ってもらっていたお店が今月いっぱいで閉店するので、ということで誘われて行ってきました。
やはりコロナのダメージは大きいでしょう。
お酒を出し、カラオケを歌うお店は、自粛や規制が1年半にも及べば経営が厳しくなるのは当然です。
岩手の居酒屋の人は、客が一人も来ないのにカラオケのリース代だけは毎月請求が来るので、悔しいから一人で3時間歌ってきたとSNSに書いていました。
緊急事態もまん防も先月で解除されたので徐々に良くなると思います。ギリギリのところで耐えている業者の皆様には、希望をもって頑張ってもらえればと思います。

清凉院さんは、来るたびに境内伽藍が整備されています。
住職も若和尚たちもとてもきれい好きで、隅々まで磨かれています。
最近は特に境内の整備が進んでいます。住職が好きな紅葉もいろんな種類が増植されて紅葉の名所になる様相です。
実際に参拝者も増えているようで、この度外トイレも増設されました。今後も楽しみな寺です。
清凉院住職との関わりは25年ほども前の話で、特派布教で宮城県を巡回したときの教区長として迎えてくれたことが始まりです。
会場主や総代さんとの肩ぐるしいご接待が終わった後居酒屋に誘ってもらいました。
そこで意気投合してしまったのです。
清凉院さんでの「地蔵盆まつり」と宿用院の「地蔵まつり」を互いに行き来し合っていました。
そして震災。
真っ先に向かったのは清凉院でした。
寸断された国道を何度も迂回して山道をたどって寺に到着しました。
避難所になっていた境内で住職を見つけて駆け寄り、無言で抱き合いました。
以来何回ここに来たか数えきれません。
いつしか「兄弟」と呼ぶようになっていました。
なので、住職の母親が生前中、お母さんにこう言いました「お母さんは生んだ覚えがないかもしれないけど、俺はお母さんの子どもだから」。お母さんは迷惑だったでしょうね。でも兄弟の母親ですから仕方ありません。
そういえば、カンボジア人のお母さんもいます。こちらも亡くなってしまいました。お骨の一部は松林寺にお祀りし過去帳で毎月供養しています。実の母と合わせてお母さんと慕った人は3人いました。

実の母は健在です。うーん、「健在」とまでは言えないか。
去年の12月24日に家の廊下で力なく倒れてから、入院と施設への入所を余儀なくされました。
脳が委縮しているという診断でアルツハイマー型認知症と認定され、介護度4、寝たきり状態です。
4月に帰宅し在宅介護が始まりました。もちろんデイサービスとヘルパー、ショートステイを併用してのことです。
カミさんと役割分担して介護を続けています。二人合わせてもヘルパーさん一人分にも及びません。
全くと言っていいほど話ができませんが、孫ひ孫がやって来ると笑顔を見せるので、分かっているのだと思います。
そういう様子を見ると、ケアマネージャーさんは「もう充分頑張ったから施設に預けませんか」と勧めてくれますが、まだ忍びないと感じます。
先週、デイサービスで風呂上りに血圧が上がり病院での診察では異常がなく入院の必要はありませんでしたが、念のためショートステイで様子を見てもらうことになりました。
母の部屋のリースの介護ベッドが空いているのでもったいないから使ってみているところです。
部屋は、老人臭も含めて母親の匂いがします。

 母の香の ベッドにしみて 虫すだく

秋の夜長、といっても、8時には寝るので長くもないのですが、取り合えず季節の気分だけ、俳句など詠んでみました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。