三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第338回。11月7日、日曜日。
11月に入り、雪囲いも始まりました。
昨日6日は先住の祥月命日で、子ども孫も来てくれて家族で勤めました。併せて年に一度の永代供養のお参りもお勤めいたします。永代供養塔には、先達として先住のお骨の一部も納めてあるからです。
コロナが下火になった途端、冬眠から醒めたように、バタバタといろんな用事が動き出しています。
地酒造り、地域新電力立ち上げ、花の鶴楯整備、一気に動いてきました。
忙しさに慣れていないような状態になっているので、落ち度がないか不安です。
浮足立たないように、一歩ずつ足下を確かめながら歩を進めていきたいと思います。
歩を進めると言えば、散歩の際にNHKらじるらじるで聴き逃しサービスを聴くのを日課としていますが、曜日によっていろんなジャンルを聞いています。
今お気に入りタグに入っているのは、「朗読」「新日曜名作座」「宗教の時間」「文芸選評」「浪曲十八番」「真打競演」「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」「ジャズ・トゥナイト」「高橋源一郎の飛ぶ教室」です。
朗読は毎日15分、一つの作品を連続してやりますが、今は岡本綺堂作「半七捕物帳」シリーズをやっています。江戸のシャーロックホームズと言われた推理小説です。
今週の真打競演は、特番で先日亡くなった人間国宝柳家小三治師匠を偲んで「ありがとう小三治さん」でした。
生前に師匠の落語をあまり聴くことはありませんでしたが、抜けた感じがいいですね。聴いていて疲れるような落語ではいけないでしょう。
その点小三治師匠の落語は全く楽な落語だったと思います。
落語と言えば、しばらく談志師匠を聴いていました。
志ん朝師匠と合わせてこの3人は同世代です。
一番上が談志師匠、二つ下に志ん朝師匠、その一つ下が小三治師匠という順です。みんな亡くなってしまいました。
そこで談志ですが、実は私はあまり好きではありませんでした。
噺のネタの途中で余計な話を入れるので、せっかく噺の中に入っているのに現実に引き戻されるような、嫌な感じを持っていました。
知識が口から飛び出してきて仕様がないということなのかと思いますが、小三治師匠の落語とは真反対のような力の抜けない落語だと思って敬遠していました。
しかし、最近何の気なしに一つ聴いて、その流れでYouTubeで連続して聴いてみると、やっぱりうまいんですね。特に若い頃の落語には、言うだけのことはあるなと納得させられました。
それにつけても、他の人の落語を聴けば聴くほど、志ん朝師匠はうまかったと思います。
登場人物の演じ分け、雰囲気の作り方、一人で演じているのに、そこにはっきりと何人かの人が見えるというのはすごいことだと思います。
「文七元結」では、本当に夫婦がそこで喧嘩しているのが見えるのです。
「火事息子」では、へっついの脇でうなだれる息子を叱る父親の涙が見えるのです。
落語ってすごいですね。
ああ、志ん朝が聴きたくなりました。
落語ですが、集中講座を2年休んでしまって、生の落語をしばらく聴いていません。欠乏症になってきました。
次は、露の新治師匠の番ですが2年待たせてしまいました。その次は柳家さん喬師匠と、交互にお願いしてきましたが、前回の六華亭遊花師匠がとても面白かったので、遊花師匠を加えて3人のローテーションにしようかと思っています。
私の知る限り、今、江戸古典落語をしっかり聴くならさん喬師匠が一番でしょう。「芝浜」ならば志ん朝師匠よりもいいと私は思います。
新治師匠はやはり上方落語の面白みがありますね。語りがおかしい。毎回たっぷりと笑かしてくれます。楽な落語だと思います。
いやー、待ち遠しくなってきました。
来年は何が何でも開催したいと思っていますので、ぜひみんなで楽しみましょう。
人は楽なことにはすぐ慣れてしまって、今まで恒例でやってきたことも簡単にやめてしまうということがあります。
特にこのコロナの影響で2年休んでしまって、この際やめてしまおう、などと思っていることもあるのでしょう。
確かに、人が集まって何かをやるというのは面倒なことだし、時間もお金もかかることです。
やめようと誰かが発言すれば楽な方に同調してしまう弱さもあります。
やめるのは簡単です。継続するのは難しい。
しかし、ちょっとの決意で実行するからこそ、人と結びつき共感することができるわけで、多少の苦労があるからこそ味わえる喜びは確かにあると思います。一人で共感はできません。
必要があってこれまでの集中講座の中から写真を探していました。
みんな本当に楽しそうに、心から笑っている顔ばかりです。
これをやめるわけにはいきません。決意を新たにしました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
11月に入り、雪囲いも始まりました。
昨日6日は先住の祥月命日で、子ども孫も来てくれて家族で勤めました。併せて年に一度の永代供養のお参りもお勤めいたします。永代供養塔には、先達として先住のお骨の一部も納めてあるからです。
コロナが下火になった途端、冬眠から醒めたように、バタバタといろんな用事が動き出しています。
地酒造り、地域新電力立ち上げ、花の鶴楯整備、一気に動いてきました。
忙しさに慣れていないような状態になっているので、落ち度がないか不安です。
浮足立たないように、一歩ずつ足下を確かめながら歩を進めていきたいと思います。
歩を進めると言えば、散歩の際にNHKらじるらじるで聴き逃しサービスを聴くのを日課としていますが、曜日によっていろんなジャンルを聞いています。
今お気に入りタグに入っているのは、「朗読」「新日曜名作座」「宗教の時間」「文芸選評」「浪曲十八番」「真打競演」「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」「ジャズ・トゥナイト」「高橋源一郎の飛ぶ教室」です。
朗読は毎日15分、一つの作品を連続してやりますが、今は岡本綺堂作「半七捕物帳」シリーズをやっています。江戸のシャーロックホームズと言われた推理小説です。
今週の真打競演は、特番で先日亡くなった人間国宝柳家小三治師匠を偲んで「ありがとう小三治さん」でした。
生前に師匠の落語をあまり聴くことはありませんでしたが、抜けた感じがいいですね。聴いていて疲れるような落語ではいけないでしょう。
その点小三治師匠の落語は全く楽な落語だったと思います。
落語と言えば、しばらく談志師匠を聴いていました。
志ん朝師匠と合わせてこの3人は同世代です。
一番上が談志師匠、二つ下に志ん朝師匠、その一つ下が小三治師匠という順です。みんな亡くなってしまいました。
そこで談志ですが、実は私はあまり好きではありませんでした。
噺のネタの途中で余計な話を入れるので、せっかく噺の中に入っているのに現実に引き戻されるような、嫌な感じを持っていました。
知識が口から飛び出してきて仕様がないということなのかと思いますが、小三治師匠の落語とは真反対のような力の抜けない落語だと思って敬遠していました。
しかし、最近何の気なしに一つ聴いて、その流れでYouTubeで連続して聴いてみると、やっぱりうまいんですね。特に若い頃の落語には、言うだけのことはあるなと納得させられました。
それにつけても、他の人の落語を聴けば聴くほど、志ん朝師匠はうまかったと思います。
登場人物の演じ分け、雰囲気の作り方、一人で演じているのに、そこにはっきりと何人かの人が見えるというのはすごいことだと思います。
「文七元結」では、本当に夫婦がそこで喧嘩しているのが見えるのです。
「火事息子」では、へっついの脇でうなだれる息子を叱る父親の涙が見えるのです。
落語ってすごいですね。
ああ、志ん朝が聴きたくなりました。
落語ですが、集中講座を2年休んでしまって、生の落語をしばらく聴いていません。欠乏症になってきました。
次は、露の新治師匠の番ですが2年待たせてしまいました。その次は柳家さん喬師匠と、交互にお願いしてきましたが、前回の六華亭遊花師匠がとても面白かったので、遊花師匠を加えて3人のローテーションにしようかと思っています。
私の知る限り、今、江戸古典落語をしっかり聴くならさん喬師匠が一番でしょう。「芝浜」ならば志ん朝師匠よりもいいと私は思います。
新治師匠はやはり上方落語の面白みがありますね。語りがおかしい。毎回たっぷりと笑かしてくれます。楽な落語だと思います。
いやー、待ち遠しくなってきました。
来年は何が何でも開催したいと思っていますので、ぜひみんなで楽しみましょう。
人は楽なことにはすぐ慣れてしまって、今まで恒例でやってきたことも簡単にやめてしまうということがあります。
特にこのコロナの影響で2年休んでしまって、この際やめてしまおう、などと思っていることもあるのでしょう。
確かに、人が集まって何かをやるというのは面倒なことだし、時間もお金もかかることです。
やめようと誰かが発言すれば楽な方に同調してしまう弱さもあります。
やめるのは簡単です。継続するのは難しい。
しかし、ちょっとの決意で実行するからこそ、人と結びつき共感することができるわけで、多少の苦労があるからこそ味わえる喜びは確かにあると思います。一人で共感はできません。
必要があってこれまでの集中講座の中から写真を探していました。
みんな本当に楽しそうに、心から笑っている顔ばかりです。
これをやめるわけにはいきません。決意を新たにしました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。