なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ340 フラッシュバック

2021年11月21日 04時57分19秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第340回。11月21日、日曜日。

寺のイチョウが散ると雪が降る、という謂れは各地にあるようで、当地もその御多分に漏れません。
残りはもう4分の1ぐらいでしょうか。
間もなくだろうということでタイヤを替えました。

うれしいニュースです。
シャンティ国際ボランティア会が第28回読売国際協力賞を受賞しました。
副賞が500万の大きな賞です。
40年間にわたる、絵本を中心とした教育支援活動が評価されてのことです。
25日、帝国ホテルで授賞式があり、出席してきます。

学生時代のことを思い出していました。
思い出なんて何の役にも立たないと思っていますが、必要があって時系列でたどってみました。
大学と教化研修所を合わせて7年間東京に居ました。
アパートとアルバイトとつき合っていた女性と、組み合わせながら紙に書き落としてみました。
アパートは、学生時代池袋に1年、経堂で1年、引越ししてもう1か所経堂で2年住みました。
当然その当時は、四畳半一間だけ共同トイレ家賃1万5千円の部屋ですが、それなりに快適に過ごしたと思います。
引越しすれば好きな街に住めるという期待から不動産屋巡りなどに凝ったこともありました。
友だちの家へ泊まり歩いたりもしましたね。ウチにもいっぱい来ました。
固定も携帯も電話というものがない中でどうやって連絡をとっていたんだろう。
いやいや、連絡などせずに突然やって来るのでした。留守の時は置手紙などして。
彼女との待ち合わせで、何時間も待ったり、腹が立って途中で帰ったり、不便というか気が長かった時代だと思います。
アルバイトも色々やりました。
夏休みは岩井海岸の牛乳屋に3年務めました。
レストランのウエイター、小料理屋の洗い場、お歳暮の配達、日給の夜勤工場などなど。
遊ぶ金欲しさでいろんなことをやりました。
そこでの人々との記憶があります。顔も思い出します。
仕事の内容よりも人間関係が重要だったと思います。
瞬時に連絡がとれない時代には、待つという忍耐力と相手を慮る想像力が必要不可欠でしたから、その分会えた喜びは大きかったと言えます。
実際に顔を合わせて話す以外にコミュニケーションがとれない時代の方が人間力はあったでしょう。
便利なものを手にしてからは不便に戻れませんが、不便であることは決して不自由ではないと知っておいた方がいいです。
大学を卒業してから世田谷の上馬に住みました。この部屋にはトイレがついていました。
教化研修所ではアルバイトもできなかったので割と真面目に、研修所に通っていました。
カンボジア難民キャンプに行ったり、ボランティア活動に目覚めたりして充実した時間を過ごしました。
その間もチラチラと女性の顔が浮かびますが、その話はここでは止めておきましょう。
40年以上も前のことがフラッシュバックして、記憶を呼び戻します。
もちろん、思い出したくない不行跡もあります。
若気の至りなどと言い訳のできない慚愧があります。

最上の地酒「山と水と、」の仕込みはこれからですが、先立ってPV(プロモーションビデオ)ができました。
酒造りを盛り上げて販売につなげたいという意図で作ったものです。
最上町の美しい写真を構成して映像に編集してもらいました。
編集作業をしてくれたのは、永平寺の修行仲間である大分の和尚さん、甲斐之彦さんです。
彼の作品は、SNSなどで拝見していて、その腕前は知っていました。
是非にとお願いして快く引き受けてもらいました。
それから苦節?数か月。
試作の作品も素晴らしいと思いましたが、繰り返し見れば見るほど欲が出て来て、何度も何度も手直し修正をお願いして、ようやく発表するまでに仕上がりました。
視聴した人の評価も上々のようです。
酒のためのPVだけではなく、町のイメージアップにも使ってもらえたらうれしいですね。
先行予約販売の分はお陰様で完売となりました。
1月21日に一般販売開始の予定です。
どうぞお楽しみに。

山と水と、PV

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。