三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第372回。7月3日、日曜日。
7月前に山形でも梅雨が明け、長い夏に入りました。
命にかかわる気温に注意を呼びかけられています。
以前の報道で「猛暑」とか「酷暑」という言い方はありましたが、「危険な暑さ」という表現はなかったと思います。
気温そのものが命にかかわる危険なものというのは最近の認識なのだと思われます。
シャンティのアフガニスタン事務所では50℃を超えると知り、それこそ「危険」と認識しましたが、まさか日本でもそういう状況になろうとは思いませんでした。
アフガニスタンではそんな時は厚い土壁の家の中でじっとして外には出ないという対処が文化として根付いてきたと思われ、日本の家屋が開け放しで風が通る造りなのも暑さをしのぐ智慧の文化だったのでしょう。
その土地の文化や習俗は、その土地の気候と密接に関わって出来てきたものでしょうから、花鳥風月を愛でる日本の文化はこの土地の四季の移ろいから生まれたものに違いありません。
現在のように「冷房を使ってください」と当然の如くに言われると、この国の文化が基盤から崩れてしまってきているという感じが否めないし、かといって急激に砂漠の文化を作り上げるには時が間に合わないでしょう。
温暖化対策というものが、生物の生存や経済の持続性という問題だけでなく、文化の継承にもかかわる重大な問題を含んでいると受け止めなければなりません。
30日木曜日に東京から古い仲間がやって来て、さくらんぼ狩りをしたいというので東根まで行きました。
さくらんぼ園はオープンしていましたが、「子供連れがいっぱい来て手の届くところはみんな食べてしまった」と言う通り、脚立に上っての狩りでした。
それでも、佐藤錦と紅秀峰が堪能でき、大人にはある程度食べれば十分です。
その後あちこちに送りたいということで産直の施設に行くと、すごい人であふれ、箱入りのさくらんぼが飛ぶように売れていました。
先日の新聞で、紅秀峰の品評会があり最優秀賞に輝いた品は何と500ℊ60万円とか。写真で見ると一箱70粒かと思われ、計算するとえー!一粒8500円!驚きです。
誰が買うのかなどはどうでもいいことで、マグロでもメロンでも、とんでもない値段はその地その品全体の評価を上げる効果はあると思われ、ニュースに取り上げられることが大事なのでしょう。
孫がやって来て、見る度に成長している様子がまぶしく目を細めながら眺め、楽しみが膨らみうれしい感情に包まれます。
同じ速度でその祖父母も成長を重ねているのですが、こちらは終末に向かっているのでうれしいということではありません。
人間は死ぬまで成長し続けるものと受け止めていますが、楽しい成長もあれば悲しい成長もあります。
母親が衰えていくのと孫を対比しながらどちらからも学んでいかなければなりません。
高齢者と呼ばれる年齢になれば、それなりにいろんな変化ができてきます。
食事の量も内容も変化してきます。
大盛ラーメンに餃子を平気で食べていたことが不思議なぐらいです。
たまには脂たっぷりのロースとんかつを無性に喰いたいと思っていましたが、もうしばらく行っていません。
三度の食事でも野菜中心で肉や魚もそれほど欲求が湧きません。
酒の量もめっきり減りました。それとともにわずかですが体重も減ってきました。
立ち上がる時に弾みと掛け声で勢いをつけないといけません。
耳鳴りがして、涙目で字がぼやけて読みにくいなどなど、ある意味順調な成長を遂げています。
問題は脳です。
お経がどこかで迷子になり、どこへ行くのかお経に聞いてくれみたいな、申し訳ないことも度々です。
人の顔と名前が一致しないことなどしょっちゅうです。
先日も何か失敬なことをやらかしたような気がするのですが、それが何だったか思い出せません。
都合の悪いことは無理に思い出そうとしないことにします。
忘れることも一つの防衛能力なのでしょう。
今月の掲示板に書きました。
あなたの
名前が
出てこない
老いる
ショック!
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
7月前に山形でも梅雨が明け、長い夏に入りました。
命にかかわる気温に注意を呼びかけられています。
以前の報道で「猛暑」とか「酷暑」という言い方はありましたが、「危険な暑さ」という表現はなかったと思います。
気温そのものが命にかかわる危険なものというのは最近の認識なのだと思われます。
シャンティのアフガニスタン事務所では50℃を超えると知り、それこそ「危険」と認識しましたが、まさか日本でもそういう状況になろうとは思いませんでした。
アフガニスタンではそんな時は厚い土壁の家の中でじっとして外には出ないという対処が文化として根付いてきたと思われ、日本の家屋が開け放しで風が通る造りなのも暑さをしのぐ智慧の文化だったのでしょう。
その土地の文化や習俗は、その土地の気候と密接に関わって出来てきたものでしょうから、花鳥風月を愛でる日本の文化はこの土地の四季の移ろいから生まれたものに違いありません。
現在のように「冷房を使ってください」と当然の如くに言われると、この国の文化が基盤から崩れてしまってきているという感じが否めないし、かといって急激に砂漠の文化を作り上げるには時が間に合わないでしょう。
温暖化対策というものが、生物の生存や経済の持続性という問題だけでなく、文化の継承にもかかわる重大な問題を含んでいると受け止めなければなりません。
30日木曜日に東京から古い仲間がやって来て、さくらんぼ狩りをしたいというので東根まで行きました。
さくらんぼ園はオープンしていましたが、「子供連れがいっぱい来て手の届くところはみんな食べてしまった」と言う通り、脚立に上っての狩りでした。
それでも、佐藤錦と紅秀峰が堪能でき、大人にはある程度食べれば十分です。
その後あちこちに送りたいということで産直の施設に行くと、すごい人であふれ、箱入りのさくらんぼが飛ぶように売れていました。
先日の新聞で、紅秀峰の品評会があり最優秀賞に輝いた品は何と500ℊ60万円とか。写真で見ると一箱70粒かと思われ、計算するとえー!一粒8500円!驚きです。
誰が買うのかなどはどうでもいいことで、マグロでもメロンでも、とんでもない値段はその地その品全体の評価を上げる効果はあると思われ、ニュースに取り上げられることが大事なのでしょう。
孫がやって来て、見る度に成長している様子がまぶしく目を細めながら眺め、楽しみが膨らみうれしい感情に包まれます。
同じ速度でその祖父母も成長を重ねているのですが、こちらは終末に向かっているのでうれしいということではありません。
人間は死ぬまで成長し続けるものと受け止めていますが、楽しい成長もあれば悲しい成長もあります。
母親が衰えていくのと孫を対比しながらどちらからも学んでいかなければなりません。
高齢者と呼ばれる年齢になれば、それなりにいろんな変化ができてきます。
食事の量も内容も変化してきます。
大盛ラーメンに餃子を平気で食べていたことが不思議なぐらいです。
たまには脂たっぷりのロースとんかつを無性に喰いたいと思っていましたが、もうしばらく行っていません。
三度の食事でも野菜中心で肉や魚もそれほど欲求が湧きません。
酒の量もめっきり減りました。それとともにわずかですが体重も減ってきました。
立ち上がる時に弾みと掛け声で勢いをつけないといけません。
耳鳴りがして、涙目で字がぼやけて読みにくいなどなど、ある意味順調な成長を遂げています。
問題は脳です。
お経がどこかで迷子になり、どこへ行くのかお経に聞いてくれみたいな、申し訳ないことも度々です。
人の顔と名前が一致しないことなどしょっちゅうです。
先日も何か失敬なことをやらかしたような気がするのですが、それが何だったか思い出せません。
都合の悪いことは無理に思い出そうとしないことにします。
忘れることも一つの防衛能力なのでしょう。
今月の掲示板に書きました。
あなたの
名前が
出てこない
老いる
ショック!
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。