三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第374回。7月17日、日曜日。
梅雨明けと言われてから雨が降っています。
前から「梅雨入り」だの「梅雨明け」だのあまり意味がないように思っています。
そう宣言されても雨は降るのだし、宣言されなくても暑くはなる。
桜の開花も、自分で咲いたなと見ればいいだけのことで、誰かに証明してもらう必要はないでしょう。
日本人はどうも、一斉に同一の感情を持ちたいと思う民族なのかもしれません。
誰かが亡くなれば、みんな一緒に悲しむべきだとする、悲しまない人は非国民みたいな。
あの人が悪いとなれば、国民全員で攻撃しなければならないような。
いわゆる同調圧力が支配している空気を感じます。
それが時には戦争に駆り立てたりもするのでしょう。
「一億玉砕」の空気の中で独り「戦争反対」を叫ぶのはとても大きな勇気がいるし身の危険も感じるはずです。
それでも、常に仏法に軸足を置き、世法や世論に流されず、毅然として生きていきたいと願います。
明治時代に社会主義運動家として活動し、大逆罪という汚名を着せられて36歳で死刑に処せられた内山愚童という曹洞宗の僧侶がいます。
当時、曹洞宗から僧籍がはく奪され排斥処分となっていましたが、平成5年になって処分が取り消され名誉が回復しています。
愚童のように生きられるかといえば、自信がありません。周囲と争いたくはないという気持ちもあります。
仏法に軸足を置きながら周囲とも争わず、毅然とした態度をとることができるものかできないのか、それがその時のテーマとなるでしょう。
「他をして自に同ぜしめて」と修証義にあります。
周囲を自分の考え仏の教えに近づけていく、それが布教教化というものなのですからそうありたいと思います。
今現在、不穏な流れの源流が始まっているという見方もあります。だとすれば、「その時」ではなく今から態度を鮮明にして、「非戦」を語っていく必要があるだろうと思います。
梅雨の話からずいぶん深入りした話になってしまいました。
14日木曜日がスーパームーンだというので楽しみにしていましたが雨で見られなかったので梅雨の話を始めたのでした。
7月の満月が一番地球に近づき大きく見えるのだそうで、バックムーンとも言うそう。因みに「バック」とは牡鹿のことで、この頃に角が生え代わることからネイティブアメリカンがそう呼んでいたとのこと。
先住民にとって、自然の営みは生活そのものと直結したことで、最も大きな月の光は神々しさを感じ、お祭りを待つような期待でその時を待っていたのではないかと想像されます。
ずいぶん前にカンボジアに行ったとき、田舎のお寺に泊めてもらいました。
その辺りはまだ電気が来ておらず、真っ暗な室内でローソクの灯を頼りに食事をいただいたりしました。
陽が沈んでとばりが下り始めた時住職が、村人に話に行くけど一緒に行かないかと誘ってくれたので、勇んで懐中電灯を手に外に出ました。
すると、ちょうど満月が上って来て大きな樹が地面に影を落としていました。
住職の後をついていくと、田んぼの畔道を歩いて行きましたが懐中電灯など全く必要がないほど皓々と月光が照らしています。
遠くから音楽が聞こえ、近づくと大勢の村人が集まって何かやっています。
見ると、鍬で土を起こす者、それを運ぶ者、崩れた道に置いて足で固める者、傍らではラジカセから流れる大音量の音楽に合わせて子どもが体をくねらせています。それを畔に腰掛けた老婆がニコニコと眺めています。
みんな楽しそうに笑っています。お祭りのようです。
住職は「月が出ている半月はこうやって、雨季の時期に壊れた道を村人総出で直しているのだ」と。
昼に見る村人は、家の中でゴロゴロして、働かないから貧しいのだろうなどと勝手に思い込んでいましたが、暑い時間に動くよりも涼しい夜に働いた方がいいに決まっています。
何より、みんな楽しそうな様子に感動しました。
月の半分は月の光で明るいのだと初めて知りました。
この時私は思いました。
夜を暗くしたのは電気ではないのか、と。
夜は暗いものだと思い込んでいた自分の生活の不自由さに気づきました。
村人に「隣町まで電気が来ているけどやっぱり電気があった方がいいと思う?」と尋ねると、「この村はまだなくてもいい」と答えてくれました。
あれから30年余り。
あの村にも電気が来たのではないかと思われます。
今でも月の半分、総出の作業をしているでしょうか。
それとも、それぞれの家の中で、テレビを観ながら夜を過ごしているでしょうか。
明るい家と暗い家に分かれていないでしょうか。
みんなが笑顔で暮らしているでしょうか。
電気が来たために、村が暗くなっていないか。ちょっと心配です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
梅雨明けと言われてから雨が降っています。
前から「梅雨入り」だの「梅雨明け」だのあまり意味がないように思っています。
そう宣言されても雨は降るのだし、宣言されなくても暑くはなる。
桜の開花も、自分で咲いたなと見ればいいだけのことで、誰かに証明してもらう必要はないでしょう。
日本人はどうも、一斉に同一の感情を持ちたいと思う民族なのかもしれません。
誰かが亡くなれば、みんな一緒に悲しむべきだとする、悲しまない人は非国民みたいな。
あの人が悪いとなれば、国民全員で攻撃しなければならないような。
いわゆる同調圧力が支配している空気を感じます。
それが時には戦争に駆り立てたりもするのでしょう。
「一億玉砕」の空気の中で独り「戦争反対」を叫ぶのはとても大きな勇気がいるし身の危険も感じるはずです。
それでも、常に仏法に軸足を置き、世法や世論に流されず、毅然として生きていきたいと願います。
明治時代に社会主義運動家として活動し、大逆罪という汚名を着せられて36歳で死刑に処せられた内山愚童という曹洞宗の僧侶がいます。
当時、曹洞宗から僧籍がはく奪され排斥処分となっていましたが、平成5年になって処分が取り消され名誉が回復しています。
愚童のように生きられるかといえば、自信がありません。周囲と争いたくはないという気持ちもあります。
仏法に軸足を置きながら周囲とも争わず、毅然とした態度をとることができるものかできないのか、それがその時のテーマとなるでしょう。
「他をして自に同ぜしめて」と修証義にあります。
周囲を自分の考え仏の教えに近づけていく、それが布教教化というものなのですからそうありたいと思います。
今現在、不穏な流れの源流が始まっているという見方もあります。だとすれば、「その時」ではなく今から態度を鮮明にして、「非戦」を語っていく必要があるだろうと思います。
梅雨の話からずいぶん深入りした話になってしまいました。
14日木曜日がスーパームーンだというので楽しみにしていましたが雨で見られなかったので梅雨の話を始めたのでした。
7月の満月が一番地球に近づき大きく見えるのだそうで、バックムーンとも言うそう。因みに「バック」とは牡鹿のことで、この頃に角が生え代わることからネイティブアメリカンがそう呼んでいたとのこと。
先住民にとって、自然の営みは生活そのものと直結したことで、最も大きな月の光は神々しさを感じ、お祭りを待つような期待でその時を待っていたのではないかと想像されます。
ずいぶん前にカンボジアに行ったとき、田舎のお寺に泊めてもらいました。
その辺りはまだ電気が来ておらず、真っ暗な室内でローソクの灯を頼りに食事をいただいたりしました。
陽が沈んでとばりが下り始めた時住職が、村人に話に行くけど一緒に行かないかと誘ってくれたので、勇んで懐中電灯を手に外に出ました。
すると、ちょうど満月が上って来て大きな樹が地面に影を落としていました。
住職の後をついていくと、田んぼの畔道を歩いて行きましたが懐中電灯など全く必要がないほど皓々と月光が照らしています。
遠くから音楽が聞こえ、近づくと大勢の村人が集まって何かやっています。
見ると、鍬で土を起こす者、それを運ぶ者、崩れた道に置いて足で固める者、傍らではラジカセから流れる大音量の音楽に合わせて子どもが体をくねらせています。それを畔に腰掛けた老婆がニコニコと眺めています。
みんな楽しそうに笑っています。お祭りのようです。
住職は「月が出ている半月はこうやって、雨季の時期に壊れた道を村人総出で直しているのだ」と。
昼に見る村人は、家の中でゴロゴロして、働かないから貧しいのだろうなどと勝手に思い込んでいましたが、暑い時間に動くよりも涼しい夜に働いた方がいいに決まっています。
何より、みんな楽しそうな様子に感動しました。
月の半分は月の光で明るいのだと初めて知りました。
この時私は思いました。
夜を暗くしたのは電気ではないのか、と。
夜は暗いものだと思い込んでいた自分の生活の不自由さに気づきました。
村人に「隣町まで電気が来ているけどやっぱり電気があった方がいいと思う?」と尋ねると、「この村はまだなくてもいい」と答えてくれました。
あれから30年余り。
あの村にも電気が来たのではないかと思われます。
今でも月の半分、総出の作業をしているでしょうか。
それとも、それぞれの家の中で、テレビを観ながら夜を過ごしているでしょうか。
明るい家と暗い家に分かれていないでしょうか。
みんなが笑顔で暮らしているでしょうか。
電気が来たために、村が暗くなっていないか。ちょっと心配です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。