三ちゃんのサンデーサンライズ。第426回。令和5年7月23日、日曜日。
秋田が大変なことになっているようです。
被害の全貌はまだはっきり把握できていないようですが、建物被害は1万棟を超えるだろうと予測されているとのこと。
水害の支援は時間との勝負と言えます。
床上浸水はもちろんのこと、床下浸水であっても、床下の泥をきれいに掻き出さないと後から匂いに悩まされることになります。
好天の暑い日が続けば泥水は固まり、そうなってからではそれを取り除くことがとても困難です。
固まる前に床板を剥がし、泥を掻き出して水洗いするという作業が必須になるのです。
家の中に重機を入れることはできないので、それらは全て手作業となります。
ですから、そこは人海戦術、ボランティアの力が求められるところです。
既に秋田市内にボランティアセンターが開設され、受け入れが始まっています。
シャンティも現地調査の上、一つのサテライトオフィスを任され、支援活動の調整役にあたることが決まったようです。
復旧できるところは一日も早く復旧して元の生活に近づけるようになることを祈ります。
復旧ができない住民に対しては、避難所、支援住宅等の対応により、とりあえず安心して暮らせる場所を早急に提供できるよう願います。
お盆も近いことから、それまでにはご先祖に手を合わせることができますよう、心から念じます。
山形は隣県ですから、支援できることも多いはず、まずは現地の情報に耳を傾け関心を持つことから始めましょう。
20日水曜日は、仙台で教化フォーラムが4年ぶりに開催されました。
曹洞宗東北管区教化センターの主催で、「生きるための修証義」と題して平成30年から年2回ずつ開催されてきました。
修証義の第1章から第4章までやって、最後の第5章を残してコロナに突入しました。
そのまま3年間休止となり、この度4年ぶりに第5回目が開催されたのでした。
ただ、4年前の記憶はすっかり飛んでしまっているだろうと思われることから、今回は1章から4章までの振り返りの回としました。
当然時間は限られているので、大事なところをかいつまんで、全体の意味に重心をおいてお話させていただきました。
皆様、この開催を待っていてくれていたことが、帰りにいただいた参加者アンケートから知られました。
「久しぶりの教化フォーラムを楽しみに待っていました」
「このような講義を受講する機会はあまりなく、是非今後も受講をと思っています」
「久々の開催ということで復習の回を設けていただいてとても分かりやすかったです。戦争やコロナ過で混迷な時代の中、前回よりも修証義の内容がとても響きました」
などです。
「修証義」は、道元禅師の正法眼蔵を元にして、その文言を再構成し、檀信徒にも読みやすいように明治に編纂されたお経です。
「生きるための修証義」と題していますが、もちろん修証義がなければ生きられないという訳ではありません。
いじめや差別、格差、ハラスメント、子どもの虐待、コロナや戦争、自然災害などなど、まさに混迷の時代の中にあって、生きづらさを感じている人は多いでしょう。
そんな荒波を乗り越える方法として仏教はどのような生き方を指し示しているのか。
それを修証義に学んでいこうという意図がこの題にはあります。
修証義は、仏教徒となる道順とその証明、仏教徒として生きる誓願の指針がプログラムとして説かれています。
道元禅師は次のように示しています。
生老病死の苦悩から解脱して、安らかに生きるには、仏道に入り、仏の教えに従って生きることだ、との教えです。
そのためのプロセスが修証義の構成となっているのです。
因みに、鯉の稚魚が一晩で全滅しました。水替えしたときの井戸水の温度が低すぎたのだろうと後悔しています。
メダカと比べて鯉は繊細です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
秋田が大変なことになっているようです。
被害の全貌はまだはっきり把握できていないようですが、建物被害は1万棟を超えるだろうと予測されているとのこと。
水害の支援は時間との勝負と言えます。
床上浸水はもちろんのこと、床下浸水であっても、床下の泥をきれいに掻き出さないと後から匂いに悩まされることになります。
好天の暑い日が続けば泥水は固まり、そうなってからではそれを取り除くことがとても困難です。
固まる前に床板を剥がし、泥を掻き出して水洗いするという作業が必須になるのです。
家の中に重機を入れることはできないので、それらは全て手作業となります。
ですから、そこは人海戦術、ボランティアの力が求められるところです。
既に秋田市内にボランティアセンターが開設され、受け入れが始まっています。
シャンティも現地調査の上、一つのサテライトオフィスを任され、支援活動の調整役にあたることが決まったようです。
復旧できるところは一日も早く復旧して元の生活に近づけるようになることを祈ります。
復旧ができない住民に対しては、避難所、支援住宅等の対応により、とりあえず安心して暮らせる場所を早急に提供できるよう願います。
お盆も近いことから、それまでにはご先祖に手を合わせることができますよう、心から念じます。
山形は隣県ですから、支援できることも多いはず、まずは現地の情報に耳を傾け関心を持つことから始めましょう。
20日水曜日は、仙台で教化フォーラムが4年ぶりに開催されました。
曹洞宗東北管区教化センターの主催で、「生きるための修証義」と題して平成30年から年2回ずつ開催されてきました。
修証義の第1章から第4章までやって、最後の第5章を残してコロナに突入しました。
そのまま3年間休止となり、この度4年ぶりに第5回目が開催されたのでした。
ただ、4年前の記憶はすっかり飛んでしまっているだろうと思われることから、今回は1章から4章までの振り返りの回としました。
当然時間は限られているので、大事なところをかいつまんで、全体の意味に重心をおいてお話させていただきました。
皆様、この開催を待っていてくれていたことが、帰りにいただいた参加者アンケートから知られました。
「久しぶりの教化フォーラムを楽しみに待っていました」
「このような講義を受講する機会はあまりなく、是非今後も受講をと思っています」
「久々の開催ということで復習の回を設けていただいてとても分かりやすかったです。戦争やコロナ過で混迷な時代の中、前回よりも修証義の内容がとても響きました」
などです。
「修証義」は、道元禅師の正法眼蔵を元にして、その文言を再構成し、檀信徒にも読みやすいように明治に編纂されたお経です。
「生きるための修証義」と題していますが、もちろん修証義がなければ生きられないという訳ではありません。
いじめや差別、格差、ハラスメント、子どもの虐待、コロナや戦争、自然災害などなど、まさに混迷の時代の中にあって、生きづらさを感じている人は多いでしょう。
そんな荒波を乗り越える方法として仏教はどのような生き方を指し示しているのか。
それを修証義に学んでいこうという意図がこの題にはあります。
修証義は、仏教徒となる道順とその証明、仏教徒として生きる誓願の指針がプログラムとして説かれています。
道元禅師は次のように示しています。
ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる(正法眼蔵生死)
生老病死の苦悩から解脱して、安らかに生きるには、仏道に入り、仏の教えに従って生きることだ、との教えです。
そのためのプロセスが修証義の構成となっているのです。
因みに、鯉の稚魚が一晩で全滅しました。水替えしたときの井戸水の温度が低すぎたのだろうと後悔しています。
メダカと比べて鯉は繊細です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。