三ちゃんのサンデーサンライズ。第436回。令和5年10月1日、日曜日。
10月に入りました。
猛暑が長く続いた季節もようやく通常に戻ったようです。
高温障害が心配されましたが、酒米の出来は悪くないようで、今年も旨い酒が仕込めると思います。
最上の地酒「山と水と、」は本当に評判がよくて、秋までもたずに売り切ってしまいました。
次年度増産したいのですが、既に米の量は決まっていて来正月の酒も今年と同じ量になります。
その次の種籾は間もなく申し込みが締め切りとなりますので、どうするか協議することになっています。
9月29日は道元禅師のご命日でした。
瑩山禅師のご命日は旧暦の8月15日で、それを新暦に直すと9月29日になることから、曹洞宗ではこの日を「両祖」の「御征忌(ごしょうき)」と定めています。
道元禅師の教えは、いわば「生活禅」で、日日の生活、生き方を仏の行いにすることで、仏が今ここに現成するという教えです。
その教えを、書物においても、行為においても示され、師匠から弟子師匠から弟子へと代々伝えられてきました。
道元禅師の最も著名な書物は95巻にも及ぶ『正法眼蔵』ですが、その中には、生活そのものの細かな作法についての著述が含まれていて、その代表的なものは「洗面」の巻、「洗浄」の巻です。
文字通り、顔を洗うための意義と作法、お手洗いを使う時の意義と作法が細かく述べられています。
他にも、食事係の心得、食事の作法についても細かに示されていますが、そんな宗教者は他にないということです。
その教えは行為として広く長く伝えられてきました。
「洗面」の巻にはこうあります。
「天竺国・震旦国では皆洗面するが嚼楊枝(歯磨き)をしない。日本国は歯磨きはするけれども洗面はしない。一得一失なり。いま洗面と嚼楊枝ともに護持せん。仏祖の照臨なり。」
道元禅師の鎌倉時代、日本では歯磨きはするけれど顔を洗うことはなかった。一方修行に渡った中国ではみんな顔を洗うけど歯は磨かなかった。
朝の洗面は汚れを洗うのではなく、身心を浄めるのである。身心を浄めるのは国土を浄め仏道を浄めるのである。
身心を浄めてから、天を拝し、父母を拝し、師匠を拝し、三宝を拝するのである。
つまり、日本においてはじめて朝の洗面を習慣にしたのは道元禅師です。
その教えを、瑩山禅師、その弟子たちが代々身をもって実行しこの国の津々浦々に伝えて750年が経ちます。
今、それを始めたのが誰かは知らなくても、この国の人が当たり前の習慣として行っている、そのことがとても素晴らしいことだと思います。
ところが、その洗面の習慣が崩れてきていると感じます。
おそらくは、食後の歯磨きが習慣になって来てから、食べてから歯を磨く、ついでに顔を洗うと変わってきたのだと推測しています。
それは合理的なのでしょう。
しかし、洗面は身心を浄めるのだから、身心を浄めてから仏壇に手を合わせる、身心を浄めてから食事をいただくという順序であり、単に食後の汚れた顔を洗うのではないのです。
食べてから顔を洗うのだったら猫でもやります。
食事をいただく前に身を浄めるのが人間らしい、就中仏教徒の行いと言えましょう。
そんな話を法話でしていましたが、先日それを聞いていた和尚さんが、「最近は『洗面』ではなく『洗顔』と言いますよね。洗面であれば外面も内面も洗うと捉えることができますが、洗顔では単に顔を洗うだけになってしまうのでしょうね」と言われました。
なるほど!確かに。世間では最近、洗面ではなく、洗顔と言っているように思います。
その言葉からは単に顔を洗うという意味しか受け取れません。
洗面の「面」は「つら」で顔のことですが、「内面」心を含んでいる意味にも受け取ることができます。
確かにそうかもしれません。
洗面から洗顔への変換が洗面の意味の喪失にもつながっているのかもしれませんね。
いずれにせよ、道元禅師が伝え、750年続いてきた朝の洗面という行持が、我々の世代で途絶え次代に伝えていけないとしたら、何と情けない、かたじけないことと思います。
行為によって心が伝えられていく、行為によって仏が現れる、行為そのものを仏と呼ぶ、その道元禅師の教えが一つ社会から消えることは、大きな恒星が一つ隕ちるほどの出来事かと思います。
両祖の前に額づき、自らのふがいなさを懺謝しなければなりません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
10月に入りました。
猛暑が長く続いた季節もようやく通常に戻ったようです。
高温障害が心配されましたが、酒米の出来は悪くないようで、今年も旨い酒が仕込めると思います。
最上の地酒「山と水と、」は本当に評判がよくて、秋までもたずに売り切ってしまいました。
次年度増産したいのですが、既に米の量は決まっていて来正月の酒も今年と同じ量になります。
その次の種籾は間もなく申し込みが締め切りとなりますので、どうするか協議することになっています。
9月29日は道元禅師のご命日でした。
瑩山禅師のご命日は旧暦の8月15日で、それを新暦に直すと9月29日になることから、曹洞宗ではこの日を「両祖」の「御征忌(ごしょうき)」と定めています。
道元禅師の教えは、いわば「生活禅」で、日日の生活、生き方を仏の行いにすることで、仏が今ここに現成するという教えです。
その教えを、書物においても、行為においても示され、師匠から弟子師匠から弟子へと代々伝えられてきました。
道元禅師の最も著名な書物は95巻にも及ぶ『正法眼蔵』ですが、その中には、生活そのものの細かな作法についての著述が含まれていて、その代表的なものは「洗面」の巻、「洗浄」の巻です。
文字通り、顔を洗うための意義と作法、お手洗いを使う時の意義と作法が細かく述べられています。
他にも、食事係の心得、食事の作法についても細かに示されていますが、そんな宗教者は他にないということです。
その教えは行為として広く長く伝えられてきました。
「洗面」の巻にはこうあります。
「天竺国・震旦国では皆洗面するが嚼楊枝(歯磨き)をしない。日本国は歯磨きはするけれども洗面はしない。一得一失なり。いま洗面と嚼楊枝ともに護持せん。仏祖の照臨なり。」
道元禅師の鎌倉時代、日本では歯磨きはするけれど顔を洗うことはなかった。一方修行に渡った中国ではみんな顔を洗うけど歯は磨かなかった。
朝の洗面は汚れを洗うのではなく、身心を浄めるのである。身心を浄めるのは国土を浄め仏道を浄めるのである。
身心を浄めてから、天を拝し、父母を拝し、師匠を拝し、三宝を拝するのである。
つまり、日本においてはじめて朝の洗面を習慣にしたのは道元禅師です。
その教えを、瑩山禅師、その弟子たちが代々身をもって実行しこの国の津々浦々に伝えて750年が経ちます。
今、それを始めたのが誰かは知らなくても、この国の人が当たり前の習慣として行っている、そのことがとても素晴らしいことだと思います。
ところが、その洗面の習慣が崩れてきていると感じます。
おそらくは、食後の歯磨きが習慣になって来てから、食べてから歯を磨く、ついでに顔を洗うと変わってきたのだと推測しています。
それは合理的なのでしょう。
しかし、洗面は身心を浄めるのだから、身心を浄めてから仏壇に手を合わせる、身心を浄めてから食事をいただくという順序であり、単に食後の汚れた顔を洗うのではないのです。
食べてから顔を洗うのだったら猫でもやります。
食事をいただく前に身を浄めるのが人間らしい、就中仏教徒の行いと言えましょう。
そんな話を法話でしていましたが、先日それを聞いていた和尚さんが、「最近は『洗面』ではなく『洗顔』と言いますよね。洗面であれば外面も内面も洗うと捉えることができますが、洗顔では単に顔を洗うだけになってしまうのでしょうね」と言われました。
なるほど!確かに。世間では最近、洗面ではなく、洗顔と言っているように思います。
その言葉からは単に顔を洗うという意味しか受け取れません。
洗面の「面」は「つら」で顔のことですが、「内面」心を含んでいる意味にも受け取ることができます。
確かにそうかもしれません。
洗面から洗顔への変換が洗面の意味の喪失にもつながっているのかもしれませんね。
いずれにせよ、道元禅師が伝え、750年続いてきた朝の洗面という行持が、我々の世代で途絶え次代に伝えていけないとしたら、何と情けない、かたじけないことと思います。
行為によって心が伝えられていく、行為によって仏が現れる、行為そのものを仏と呼ぶ、その道元禅師の教えが一つ社会から消えることは、大きな恒星が一つ隕ちるほどの出来事かと思います。
両祖の前に額づき、自らのふがいなさを懺謝しなければなりません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
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