なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ489 一番若い今日

2024年10月20日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ

三ちゃんのサンデーサンライズ。第489回。令和6年10月20日、日曜日。

 

好きな俳優の一人西田敏行さんが亡くなりました。

色んな役をいい味で演じられていましたね。

画面にこの人が現れると安心感を感じたりしました。

印象に遺っているのは『遺体 明日への十日間』という映画で、東日本大震災の釜石の遺体安置所を舞台にした、ジャーナリストのルポルタージュ、実話が元になっている作品です

西田さんが扮する相葉は葬儀社で勤務経験のある民生委員で、ナンバーが付けられ「死体」として扱われることに心を痛め、自ら申し出て安置所の運営にかかわることになります。

ブルーシートが敷き詰められた体育館に次から次へとご遺体が運ばれてきます。

雪が降りしきる中そこを訪ねた相葉は、土足のままでは申し訳ないと靴を脱いで裸足で入って行く。

「死体ではなく、ご遺体ですよ」と。

実際には危険があるので靴を脱ぐことはなかったそうだが、おそらくは西田さんの強い思いでそうされたのではなかったかと思います。

そして、一人ひとりのご遺体に言葉をかけながら顔を拭い、化粧を施していきます。

理不尽な死を受け入れられない遺族は、家族と向き合うことを拒みます。

次第にきれいになり、生前の顔に近くなると遺族の受け止め方も変わっていき、感謝の気持ちを持って手を合わせるようになります。

どんな状況であろうとも、ご遺体を尊厳を持ってその命を見送ることができるようにというテーマだったと思います。

「ご遺体であっても話しかけられると人としての尊厳を取り戻すんだよ」という言葉が心に響きました。

西田さんの人柄がそのまま役柄に投影されて心に残るシーンでした。

 

もう一つ、散歩のお伴として聴いているNHKのラジオ番組『新日曜名作座』は、西田さんと竹下景子さんとのいわゆる二人芝居で、何年も続いている番組です。

たくさんの登場人物を二人が演じ分けるのですが、年齢も人柄も職業も違う人々を方言も含めてそこにその人がいるように、声だけで演じ分けるすばらしさにいつも聴き入っていました。

毎週楽しみにしていましたが、それが聴けなくなると思うととても寂しく残念でなりません。

 

先週は葬儀が二つ続きました。

数え年92と98の高齢でしたが、今さらながら、改めて、人は死ぬんだなと感じさせられます。

みんなみんな死ぬのです。

そのみんなの中には、もっと身近な、知人や友人、親族や家族、そして自分も含まれます。

この歳になると、出会う人の数よりも見送る人の数の方が加速度的に増えていくことは否めません。

他人の死に向き合うことは、自分の死にたいする受け止めの準備運動なのかもしれないと思います。

体が思うように動かない、疲れが取れない、ぐっすりと眠れない、薬ばかりが増える。

そんな老いの自覚の中で、それでも生きるか死ぬかは命にお任せしていくしかない。

寝ても疲れが取れない朝など、病気も疲れもなかった少年時代のように、この体をきれいさっぱりクリーニングでもできないものかと思ってしまいますが、それは無理というものでしょう。

命は完璧に不可逆的にできています。

今より古い過去には戻れないのです。

年齢はただ重ねて行くだけ。引き算はありません。

やがて死んで行く身として、今日の自分が一番若いという事実。

誰かと比べることではなく、自分の命をしっかり見つめれば、究極、自分の人生で一番若い今日をどう生きるのかに問題は収斂されます。

過去は問わない、明日より若い今日の過ごし方、それを他人の死から学んでいくしかありません。

ああ、私もやがて死ぬ。

それまでにどう生きるか。とりあえず今日、どう生きるか。

 

今週の一言

「みんな死ぬ、なのに今生きている」

 

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿