三ちゃんのサンデーサンライズ。第470回。令和6年6月2日、日曜日。
マザーテレサに次のような言葉があります。
「自分の家庭の外で人々にほほえむことはたやすいことです。
あまりよく知らない人をお世話することは、実はとてもやさしいことなのです。
あなたの家の中で毎日会っている家族を、
思いやりをもって、やさしく、ほほえみを忘れずに愛し続けることはとても難しいことです。」
実にそう思いますね。
他人に対しては遠慮もあり、よく見られたいという欲もあり、関係をこじらせたくないという配慮も働いて、ほほえみを以てやさしく接する。
あまりよく知らないからこそ、その場限りの大人の接し方ができる。
なのに身内に対しては、遠慮なく素の自分が出てしまう。
いい面もあるのに嫌な面ばかりが心に残っているから素直にやさしくも親切にもできない。
甘えているのでしょうね。
そしてそれがストレスにもなる。
他の人は自分の思い通りにはならないなど百も承知でありながら、身内に対しては思い通りにならないことにイラッと感じてしまう。そうではないですか。
考えてみれば、自分自身も自分の思い通りになりません。
こんなこともう止めようと思いながら、その側からまた手を出してしまう。
自分のことも自分で思い通りにならないのに、身内には「何故私の言っていることが分からないのだ」と怒ってしまったりもするでしょう。ねえ。
自分も自分の思い通りにならないように、相手も自分の思い通りにならないと思っているに違いない。
だとすれば、「そうだよねえ」と許してしまった方がストレスにはならないですね。
できないところばかりではなく、それ以上にいい点もあるはず。
なのに、なかなかいい点は見えづらく、欠点ばかりが気にかかってしまう。
それも身内だからですね。
本当に「家の中で毎日会っている家族を、思いやりをもって、やさしく、ほほえみを忘れずに愛し続けることはとても難しいこと」なのです。
マザーテレサはこうも言っています。
「平和も戦争も家庭から始まります。もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家が相互に愛し合うことから始めていきましょう。」
世界の平和は家庭から。
自分の家庭が平和にならない限り、世界の平和はなり得ないのです。
さらに仏教は、平和は一人ひとりの心の平和からと教えています。
それが「シャンティ」の意味です。
「平和」とも訳しますが「寂静」の意味が強いようです。
ひとりひとりの心が寂静、静かで穏やかであれば、争いが生ずることはなく、その心が広まれば世界は平和になるだろうというアプローチが仏教的平和の捉え方です。
本日は集中講座の当日です。
昨日までに大まかな下準備は終了し、本日はそれぞれの担当スタッフに委ねます。
この講座の収支は私が管理しています。
16回目ですが途中コロナで3年間休んだので19年前、私が他所の法話や講演などでいただいた謝金を収入に補填して営むという計画でスタートしたものです。
ただ、私の財布とカミさんの財布はドラえもんのポケットのように底でつながっていて、一度入ったものはなかなか出たがりません。
いくらスタート時点の趣旨を説明しても、出金の申請が通らないのです。
私は心から平和を望んでいるので、静かに穏やかに交渉を続けたいと思います。
思いやりをもって、やさしく、ほほえみを忘れずに愛し続けたい、と思っているのですが、、、なかなか思い通りになりません。
そんなこともすべて忘れて、打ち上げでは心の底から楽しみたいと思います。
明日あるかどうかも分からないのですから。ましてや来年など。
今週の一言
「平和も戦争も家庭から」
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
自覚があるのにもかかわらず、家庭を持とうすることは明らかに自己欺瞞です。
家庭を持つということは、自分が思い通りになるという何ら根拠の無い一時的な確証によらなければ出来ることではないと思います。
その根拠のない確証を「大丈夫」というのでしょう。