三ちゃんのサンデーサンライズ。第460回。令和6年3月24日、日曜日。
彼岸が過ぎて急に陽が伸びてきました。
朝5時半の本堂は、障子が白く感じられます。
陽は毎日一定の角度で伸びているのでしょうが、急に感じるのは彼岸という節目のせいでしょうか。
今頃になって雪が降りはしましたが、地面が温まっていてすぐに消えてしまいます。
着実に春は近づいています。
全ての人に暖かい春がやってくればいいのですが、冬のような寒さに身を震わせている人が、国の内にも外にもいます。
無常であればこそ、やがて春が来る、苦しみは永遠には続かない、と大声で叫びたくなります。
そして祈ります。耐えて欲しいと。
昨日は宿用院の大般若会でした。
住職は、能登半島被災地の早期復興と被災者の身心安寧、世界の戦争紛争の早期終息を祈願しました。
祈るだけでは支援は足りないと思いますが、祈ることでそれぞれの心に慈悲心を呼び覚まし、他の痛みを想像する共感力を強くしていくことができるはずです。
元々、祈ることなど人間にしかできないことですから、人間らしさを失わないためにも、折に触れて祈ることを忘れないようにしていかなければならないと思うところです。
話は変わりますが、この時期、テレビでのスポーツ観戦が好きな人にはたまらないですね。
特に先週は、朝からテレビの前に釘付けになっていた人もいたでしょう。
春の甲子園、大相撲、MLB、サッカー、競泳、フィギュアスケート、カーリングもありました。
もちろん、仕事でそれどころではない人もいたでしょうし、それぞれ好みがありますから関心のないスポーツはどうでもよかったかもしれません。
リタイア組の暇な老人たちには退屈しない毎日でした。
毎年この時期、高校野球と相撲が終わると急に火が消えたようになり、「水戸黄門」ぐらいしか観るものがなくなるというのが、大方の老人の意見です。
そんな中、驚いたニュースが飛び込んできました。
大谷選手の通訳をしていた彼が、何と預金をくすねていたというニュースです。
しかも7億円近く。
魔が差したのでしょうね。
まだ39歳のようですが、将来を棒に振ることになってしまうかなあ。家族もあるでしょうに、残念なことです。
1000億円という常識外れの契約金額に、感覚がマヒしてしまったのかもしれませんね。
「1000円に換算すればたった7円じゃないか」みたいに。
いつの世も人をだめにしてしまうのはお金なのですかね。
道元禅師は言っています。
貧しくてへつらわざるはあれど、富みておごらざるはなし
貧しくなるとついつい卑屈になり、おもねったりへつらったりしてしまいがちになる。だけど、そうならない人もいる。
しかし、豊かになって、自分が偉くなったかのように驕り高ぶってしまわない人はいない。みんなそうなると言うのです。
また、本人に奢る気持ちがなくても、ありのままに振舞う様子が、貧しい人にとっては威圧を感じたり不遜に感じたり嫉妬を感じたり、驕慢の雰囲気を醸し出してしまったりもする。そういうものだ。
だから、それを慎みなさいと、そして、富むことをいさめ、貧しくあれと、道元禅師は何度も何度も指導しているのです。
お金が人を狂わせることは本当にありますよね。
どうも最近とみに利殖の方向に衆目が向いているように感じて気になります。
貯金しても利息が付かないから、投資をしようという流れが定着してきたのでしょうか。
それがある程度で抑えられればいいのですが、投資にはギャンブル性もあるのでしょうから、ハイリスク、ハイリターンに慣れてしまうとそれにのめり込み、もっともっととリスク承知でつぎ込んでしまうのではないかと心配されます。
結果的に通訳の彼と同じことになってしまわないかと、関心のない私は余計な心配をしてしまうのです。
富んで人生を狂わせるよりも、貧しくてもコツコツとまじめに生きる方が幸せだと思えるような社会でなければならないと思いますし、そのように確固たる思いを持つ人が一定数いた方がいいと思います。
子どものように「みんなしている」というだけで無邪気に追随すると、知らぬ間にケツの毛まで抜かれてしまうことにもなりかねません。
しっかりと自分の理念と方針を持って見極めていかなければなりません。
貧しさに価値を見出すような見方、生き方、それを道元禅師に学んでいきましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
※写真は門前町禅の里交流館前にある石像。どうもスティーブ・ジョブズのよう。意図は知りません。
さて、主題のこと、面白い「実験」があります。
あなたの眼の前に一億円の現金があります。これをあなたに差し上げます。
ただし、条件があります。
この一億円を遣うこと。これが条件です。
このような設定に対して、多くの人が
「銀行に預けます。預金利率が・・・・」と言い始めます。
「だから、それば『条件』に違背します。
預金はダメです。遣うのです」
と言った後、
「あなたには、一億円を遣うだけの能力はありません。もし、あなたが一億円を手にしたら、そのお金で人生が狂わされるでしょう」・・・・というオチです。
私は、心底、ナルホド、と思いました。
それで、私も実験をしました。
高校の同期生に、ヨシモト興行の仕事をしているのがいるので、彼に質問したら
「まず、〇〇市の劇場を一ヶ月借りて、ヨシモトの芸人と契約して、ホレの好きな芝居を、無料で市民に提供する」といいました。
彼には、一億円を使える能力がある、ということでしょう。質問した途端にスラスラと口について出ましたので、そのプランは彼の頭の中では実際に実行されているのでしょうね。
また、お檀家の実業家に同じ質問をシました。
「一億円ねぇ~。一億円じゃ、不足だな」
ま、それもご尤もな話し。
で、私は、というと、
一億円じゃ、お寺の建て替えはできない。頭金にもならないね。
報道によると大谷君はとてもお金に無頓着のようで、だから奢ることもないのかと思います。そのままにしておきたいですね。