明日12日は松林寺の大般若祈祷会です。
松林寺にとっては、年に一度の大きな法要ですので、数日前から準備が始まっています。
今日は午前中台所のお手伝いのお母さん方が集まってくれました。パワー全開の松林寺の強い味方です。
私も珍しく、廊下のガラス磨きや、仏器磨きなどをして例年に増して働いたところです。いささか疲れました。
松林寺の大般若は、例年田植えの終わったこの時期に行っているのですが、一番季節のいい時期なので、準備する気分も爽快です。
明日は、このブログのリンクでも紹介している、前東北管区教化センター統監、宮城県徳本寺住職早坂文明老師をご法話でお招きしています。シャンティ国際ボランティア会の常務理事でもあり、志を同じにする先輩として尊敬しています。
ブログの更新がご無沙汰だったようです。
特に何かあったわけでもありません。
ぼんやりしていたり、夜早く寝たり、遊びに行ったり、してました。
天気のいい午後に、久しぶりに家内と蔵王方面にドライブに出かけました。
蔵王エコーラインの途中で、寄り道したのですが、ここがなかなかのスポット。
「こまくさ平」という見晴らし台があって、お釜の裏の滝が絶景でした。
お釜までは行ったことがありましたが、裏まで回ったことがなかったので、こんないい場所があるとは知りませんでした。
今度お客さんが来たら、是非案内したい場所です。
更に、蔵王を下った山奥にある「峨々温泉」はまさに一軒宿の秘湯でした。
ここも、もう一度訪れてみたい場所でした。
と、いうようなことで、のんびりしていました。
それから、以前ブログに書きました。伝統猿猿回し一座「猿舞座」の村崎親子が来週最上町に来ることになりました。
6月の東北ツアー中、仙台から新庄への移動の途中に松林寺に宿を取ることになったものです。14,15日2泊します。14日午後に松林寺で公演していただく予定でいます。
前回お会いした時に、いつか寺でも・・・と思っていましたが、こんなに早く実現することになりました。
最上町と河北町との行き来の時は山刀伐峠を通ります。
春の新緑、秋の紅葉と、季節の移り変わりを感じながら峠越えをしています。
冬は豪雪地帯であり、難儀することもありますが、一番近いルートなので、毎日のように通っています。
道のあちこちには、旧道の名残りがカーブのふくらみとなって残っています。少し休憩するときなどは重宝するスポットとなのですが、また、問題の場所ともなっているのです。
何と、心無い人々のゴミ捨て場になっているのです。
この峠はご存知のとおり、芭蕉翁が奥の細道紀行で通った道でもあり、史跡としてハイキングする人やドライブする人も多いのですが、ゴミには心が汚されたような気になってしまいます。
地元の人々が立て札を立てて注意を喚起しても、これまでなかなか効果がありませんでした。
ところが今年、新芽のころに、そのスポットに、赤い鳥居が立てられたのです。
例の、立小便防止に壁に書く鳥居と同じ発想なのでしょう。
これも、「罰が当たる」と感じる宗教心が頼りなので、平気でゴミを捨てる人に宗教心を期待できるのかどうか、果たして効果は如何に、というところでしょうか。
なあむご愛読のみなさま、「青春の痔」はお楽しみいただいたでしょうか。
バカな話をしているうちに、6月になってしまいました。
5月最終日曜日の30日、宿用院地蔵まつりが開催されました。
ゲストは、シンガーソングライター中村ブンさん。それに、ギタリストの箱守寿雄さん。そして、パントマイマーであり、サックス奏者であり、絵本「母さんの下駄」のイラストレーターであるパント末吉さんというお三方。
「涙と笑いのコンサート」と銘打ちましたが、まったくそのタイトル通りの内容でした。
中村ブンさんには、代表作である「母さんの下駄」をはじめとする感動の歌が何曲かあるのですが、他にも、聴く者を元気にする、応援歌のような歌も多いのです。
そして、トリオ漫才のような3人の組み合わせは、腹を抱えて大笑いするコンサートなのです。
来場者も、泣いたり笑ったりで大満足して帰られました。
終了後の羅漢クラブ打ち上げでは、サービス演奏もあり、夜中1時まで、延々と宴会が続きました。
もしかしたら、来年も別の形で河北町に来てくれることになるかもしれません。
陣痛は限界に達しています。しかし、出口は口を開くことを拒んでいます。
開こうと緊張をとけば急に押し広げられ、その痛みで閉じようと緊張すれば更に痛むという、進むことも退くこともできない、まさに進退窮まった状況でした。
力の限り手すりを握り、全身冷や汗をかきながらの格闘が続きました。
しかし、生まれたい、この世に出たいという自然の力が、徐々に、抵抗する力を凌駕していきました。
痛みに耐えながら、時間をかけて、そろりそろりと「出産」しました。
便器に落ちたそれは、3分の1の括約筋で絞ったために、円柱ではなく、3角柱のフライドポテトのような形をしていました。
はじめて産み落とした我が子は、痛みに耐えた分いとおしく、頬擦りしたいほどでした。
痔の手術という、お陰様で、貴重な体験をさせていただきました。
分娩台に乗り、タンポンを経験し、産みの苦しみまで味わうことができました。わずかながら女性の痛みを共有できたと感じています。
それにしても、ただでさえあまり自慢できない体験が、天使の晒し者にされたというおまけまでついて、生涯忘れられない青春の一コマとなりました。
今だから言える、忘れもしない21歳の春の出来事です。(完)