1月13日
タイで八木澤の葬儀に立ち会いお別れをしてきたことを報告します。
10日バンコクの空港から真っすぐ葬儀会場のお寺に向かいました。
8日、9日、10日と3日間、18:00から読経が行われるとのことで、10日の読経が本葬という位置づけのようでした。
タイの仏式で執り行われるのですが、日本人でもあるし、長く曹洞宗の関係者とかかわってきたこともあるので日本の仏式の読経もさせてもらいたいと思い準備していきました。
頼まれもしないのに勝手に戒名を付けて血脈も準備しました。
戒名は「慈海昌道禅居士」としました。
「慈海」は海のように広大な慈悲心という意味になりますが、師匠ともいうべき有馬実成師の戒名「真海実成」から「海」を一字いただきました。
「昌道」は「克昌」の一字を使い、明らかな道、堂々とした公明正大な生き方をしたという意味になりますが、もう一つ、SVAの初代会長の「大満然道」から「道」一字をいただきました。
そしてもう一字「禅」を加えさせていただきました。
「シャンティ」は「寂静」という意味があります。静けさの意味ですが、それは「禅那」ですから「禅」に「シャンティ」の意味を込めました。
タイ式の読経の後、時間を頂戴し、現理事の僧侶二人と授戒を行い血脈を授けました。
11日は、読経、法話の後境内の火葬場で荼毘に付されました。
この日も大勢の方が彼を偲んで参列してくれました。
シャンティの、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ミャンマー難民キャンプの各国事務所スタッフ、元スタッフも日本、カンボジア、ラオスから、彼の活動を取り上げてくれた新聞記者、スポンサー企業、団体等など、本当に大勢の方が集まってくれました。
しかしこんなものではないでしょう。
ここに来られなかったシャンティファミリーのアフガニスタン、ネパールはじめ各国の関係者、友人知人、支援を受けたタイ国内外の人々、また日本の中にも断腸の思いで参列できなかった人々がどれほどいただろうかと思います。
あまりにも急でした。
12日は夜明け前にお骨を拾うのが習慣のようで、収骨の後さらに読経。
そして骨壺に納めました。
病気をした後遺言を遺していたようで、その遺志によりチェンカーンのメコン川に家族で散骨することになりました。
その一部を分骨にして、一つはバーンサワイの有馬さんのストゥーパに納めることと、先に亡くなった野村耕健師のお骨と一緒に静岡に納めることになりました。
八木澤と野村さんは師弟でもあり兄弟でもあるような間でした。その野村さんの葬儀が行われたのは2017年の何と1月10日11日、全く同じ日だったのです。何と奇遇なことか。
おそらく「ビール持ってこい」と呼ばれたのかもしれません。ちょっと早かったですね、野村さん。
日本におけるお別れ会は、日を改めて行うこととなりますが、詳しくは今後情報が流れると思います。
ぽっかり空いた心の空虚な部分はしばらく埋まらないと思われますが、くじけそうになったり諦めそうになった時、八木澤の慈悲心を思い出し、行動によって抗っていく、空虚な穴を埋めていくためにはそれ以外にありません。
心より慈海昌道禅居士の冥福を祈ります。ご家族を見守ってくれますように。合掌