Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

新機軸?

2009年11月02日 00時03分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は生暖かく風の強かった。久しぶりにミニスパともいえる近くの銭湯へ。サウナに4回計34分。ずいぶんとさっぱり。夜にはかなりの雨、まだ降っている。
 昨日の読了
「図書11月号」(岩波書店)
 昨日の読書開始
「歌の話・歌の円寂する時他二編」(折口信夫 岩波文庫)
 恥ずかしながら、折口信夫は始めて読む。

 これまでは触れてこなかったが、おいおいこんなものもアップしていく予定。

【支部大会での代表挨拶】
 代議員の皆さん、ご来賓の皆さん、わが支部の記念すべき結成第20回定期大会に参加していただき、誠にありがとうございます。支部執行委員会から大会開会のご挨拶を申し上げます。
 この大会は20回という節目だけではなく、先の総選挙での民主党中心の政権交代と我が市長交代という歴史的な大きな転換点で迎えたという意味でも、大きな節目であります。これまでの自民党による政権、とりわけ小泉首相によるいわゆる構造改革は、国民にとってのセーフティーネットの破壊や労働組合敵視の政策として全国で吹き荒れました。同様にN前市長はこの小泉流の政治を我がY市政で実践しようとしました。
 自治体財政の危機の真の原因である国全体の財政構造の矛盾や財政危機には敢えて目を向けず、歳出削減だけをめざした財政再建方針は、ごみ収集・高齢者福祉・病院事業・衛生部門・教育・バス事業・水道事業・都市基盤整備事業・安全管理などすべてにわたって市民のセーフティーネットをとことん破壊し続けました。問題が生ずれば職員へすべての責任を押し付けました。そして市役所組織を破壊し疲弊させて辞めてしまいました。
 N市長の初登庁での各局区長を前にした第一声は「私には少なくとも4回の予算編成権と4回の人事権の行使が出来る」「心して対応すること」と述べるとともに、局区長会での自らの入退室時の起立と礼を申し渡しました。こんな時代錯誤と自らを松下幸之助になぞらえたN前市長に面食らって、唯々諾々と従った当時の局区長の限界を私たちは目にしました。
 市議会民主党はN市長歓迎派とN批判派に分裂、前者は民主党籍をもった議員と持たない議員とで「Yみらい」グループを結成し、ネットワークYとともにN与党に変質しました。その後、小泉首相の得意とした御用学者を集めた「審議会」偏重政治により、港湾病院の公設民営化を強引に推し進めたことは記憶に新しい。そのような約束違反の手法で、市民サービスの第一線の仕事に生きがいと誇りを持ってきた市の職員のやる気を奪い続けてきたのです。
 その仕上げが技能職の採用凍結=現業業務は直営になじまない、民間委託にすべきという論理でした。市長に請われて「民営化」の推進役となったNY副市長は、テレビなどで「公務員に現業職員はいらない」「単純労務は民間」と公言し、仕事・職業に対する差別と自らの部下の仕事への無理解をさらし続けて憚りませんでした。
 ごみ収集や道路管理、下水の維持管理などいわゆる3Kといわれる仕事は公務員ばかりでなく民間の労働者も従事しています。昔から「ゴミ屋」「ドブさらい」「土方」などとさげすまれながら、民間の仲間も私たちも、過酷で悪条件下での労働から少しずつその地位を上げてきました。時には自ら「どうせこんな仕事だから」という自らを落とし込めてきた歴史もあります。
 しかし都市基盤整備・市民サービスの最前線で苦労してきた職能であるからこそ、また従事する以上自分にも家族にもその重要性を誇りに日々業務に邁進することに価値を見出してきた私たちに対して、あまりな仕打ちであったと思います。その挙句にスキャンダルや政治資金への疑惑、取り巻きへの便宜供与や組織の私物化などの疑惑が続き、大宣伝を打った開港周年行事イベントが、その内容のお粗末さと不人気により失敗になることが確実となるや、N市長とNY副市長は何の責任も取らず逃亡したのです。彼らは市議会への赤字の説明責任も果たさず、それを委託した先の「民」の責任にして、幕引きは職員に押し付けたことを、市職員も市民も忘れてはなりません。
 この逃亡劇で、N元市長は結果責任を負おうとしない戦後日本でもっとも無責任な政治家だったということを自ら暴露しました。おそらく石原都知事はもとより最近の有名人首長である橋下大阪府知事、河村名古屋市長、森田千葉県知事などすべてこの類の政治思想の持ち主であると思われます。政治主導ではなく、政治「家」主導という「独善的」で政治責任をとろうとしない政治思想こそ、古い自民党的政治とともに葬り去らねばなりません。
「市長が辞めるとわかった瞬間、人事権などは市長の手を離れ、行政は機能しなくなります。こんなことは行政をよく知る人なら当たり前の現実です。とりわけ厳しい現実と向き合い、将来のために諸改革を進めてきたY市役所は、“やれやれ”と一気に緊張感がなくなり、新たな市長登場まで2万 6000人以上の職員が“指示待ち”市役所になるのです」。これは逃亡した直後のN元市長の個人ホームページに掲載された見解です。労働者の思いや組織の現実がまったく理解出来ていない奢った発想です。
 だが彼は辞任直前の職員へのメッセージには「市役所の職員はつくづく優秀であると思いました。例えば、ものの着眼、推進する馬力、コツコツ継続する意志、私自身それらに感謝感激し学ぶことが多くありました」と記していたのです。逆に私たち職員の自負は一貫して「市長が誰であろうと、市民サービスは待ったなし。業務に穴を開けてはならない」であり、組合はその立場を通しました。
 このようなN元市長の外面と内面のギャップは、嘘つきとしか評価のしようがありません。こんな人間が総務省の顧問に就任する予定などと報道されていますが断じて許すことはできない。N与党を標榜した「Yみらい」グループは市長の突然の放り出しについてどの議員もそのホームページで一言も触れることができず、新市長歓迎のみのていたらくです。途中からN批判派になったネットワークYも、Nをお神輿としたことへの自己批判は一言も記しません。そのまま新市長歓迎一色ですから、情けない限りです。
 私どもは労働組合ですから、どんな政権であっても、どんな首長であっても是々非々の立場で臨むことは当然です。どんな政治家にも幻想を持たず、悲観もせず、あくまでも私たちの職場、仕事、労働の現場からの価値判断でもって自らの方針・要求を掲げて闘うことが当たり前です。「政党や政治家の利害に支配されない」、それが日本共産党支配の全労連・Y市従との組織戦争を潜り抜けて確立した私たちの支部の基本です。
 組織の総責任者である市長が、責任を部下である職員に押し付けるやり方は、強く私たちの記憶に残っているだろうし記憶し続けるべきだと思います。N元市長はまざまな施設管理に関する事故に際し、事実経過の確認もせずに、「職員の不作為、職員の責任」といった発言をまずマスコミに発表することを繰り返しました。いづれも裁判に持ち込まれ、職員については無罪、ないし書類送検に相当しないとの判断が出た事例だったのです。
 都市基盤整備、災害対策の第一線に位置する私たちの職場の現業部門の削減は、都市基盤整備の事業全般にとっても大きな損失になることは明らかです。私たちは生き生きとした職場を維持し、誇りと働きがいをもって働き続けるためにも、技能職員の採用再開を何としても果たさなければなりません。
 同時に大幅に削減された人員体制であっても、これまで以上に増大する市民ニーズにこたえて行かなければならないことも事実です。その方策について我が労働組合として全力で当局に要求実現を迫っていきます。やりがいと誇りと自信をもって」働き続けられる職場の構築に向けて、より効率的効果的に現業の仲間の力を引き出す組織をめざして、支部は全力を挙げて問題提起を続けていきます。
 このM市長下での7年半で痛手を受けた市の組織を立て直す立場で、単組全体が力を尽くそうとしています。同時に私たちの労働組合は、新しい世代にバトンを渡していかなければならない時期にも来ています。その意味でも今年は単組も支部も大きな節目の年であります。N市政と真剣に全力を出して対決してきたからこそ受けた痛手も大きいものがあります。これを回復するためにはどうしたらいいか、どういう視点に立って単組を活性化して新しい時代に即応した組織としていくか、同じことがわが支部にも問われていると思います。
 今回、支部より単組の執行委員を送り出しました。支部だけではなく、単組全体の組織にもかかわってもらい、ひるがえって支部の活動に良いインパクトを与えてもらおうということを期待しています。しかしそれを支える支部の執行体制については、残念ながら今回は諸般の事情でこれまでより少ない体制となりました。当初の予定外のことになってしまったわけですが、これから二年間、もう一度執行委員会・支部委員会・現業部会等々の活動の基本に立ち返って再構築しながら、新しい執行体制を展望しなければなりません。
「明るく楽しく元気よく」の合言葉、この7年半は「威勢よく」の意味合いが強い形で運動し、要求を当局に迫ってきました。しかしこれから組織の組み立て直し、職場の再構築をめざすには、足元を見つめ、職場での悩みや苦労を共有することに力点を置いた活動も必要です。先ほど述べましたように、新しい支部のこれからの活動に向け、本大会での実りの多い議論をお願いして開会の挨拶といたします。

【単組大会での議長団就任の挨拶】
 今大会は、特定の政党の支配を押し付けようとした従前の組合から労働運動を作り直そうと単組を再建して20周年という節目の大会です。同時に政権交代で鳩山新内閣が成立し、また我がY市でも新市長が誕生するという大きな転換点で迎える最初の大会でもあります。
 しかし日本全体では働くものの環境の回復はまだまだ道筋も見えていません。私たちの働く職場も7年半にわたりN前市長によってさまざまな形で大きく傷つけられました。この回復はこれからの大きくそして重い課題です。
 様々な抑圧に対して闘ってきた私たちの組合の力を更に進めて、仲間の苦労や悩みを共有し助け合いながら、職場に明るさと活力を取り戻し、そして自信と誇りをもって働き続けることのできる職場を作ろうではないか!
 この一歩を進めるために議長団は、今大会が実り多い議論、それも課題や要求や闘いを共有できるような議論が行われるように、可能な限り努力をします。代議員をはじめ参加者の皆さんのご協力を切にお願いします。