前回藤山直樹の「落語と精神分析5」の引用を忘れた。
いわく「ほとんど「死にそうだった」人生の一時期を、私は何度か思い出すことができる。でもその時期でも生物としての私は普通に生きており、とくに「死にそう」ではなかった。そのようなとき、私は逆説的にも「死にたくなった」りしたのである。それは生物としての私を殺すことである。」
「患者たちが死にたいというとき、なぜかと問えば、たいてい彼らは楽になりたいと言う。‥何も考えず、何も煩わしくなく、何も苦しくない。そういう状態を彼らは求めている。彼らは、自分が望んでいるそのような状態が、人間として「死んでいる」状態だと勘違いして、人間として「死ぬ」ために生物としての自分を殺そうとする。だがここには大きな間違いがあるようだ。彼らは人間として「死んでいる状態」を苦しんでいるからこそ、死にたいのである。だから彼らの求めているのは、人間として「死んでいる」上体ではない。‥彼らが望んでいる状態は乳児のような状態、まったく「空白」の状態らしい、と感じるようになった。」
こういう表現の仕方、読んでみると当然のことのようで、なるほどと思った。私もこなすことが膨大に思えるようなとき、「乳児」のような状態を強く欲するときがある。特に最近そのような状態になる。さっさと「死んでしまいたい」「現役をはやく離れたい」と切に思うときが幾度も襲ってくる。
そんなとき、この引用部分を思い出すことにしよう。
いわく「ほとんど「死にそうだった」人生の一時期を、私は何度か思い出すことができる。でもその時期でも生物としての私は普通に生きており、とくに「死にそう」ではなかった。そのようなとき、私は逆説的にも「死にたくなった」りしたのである。それは生物としての私を殺すことである。」
「患者たちが死にたいというとき、なぜかと問えば、たいてい彼らは楽になりたいと言う。‥何も考えず、何も煩わしくなく、何も苦しくない。そういう状態を彼らは求めている。彼らは、自分が望んでいるそのような状態が、人間として「死んでいる」状態だと勘違いして、人間として「死ぬ」ために生物としての自分を殺そうとする。だがここには大きな間違いがあるようだ。彼らは人間として「死んでいる状態」を苦しんでいるからこそ、死にたいのである。だから彼らの求めているのは、人間として「死んでいる」上体ではない。‥彼らが望んでいる状態は乳児のような状態、まったく「空白」の状態らしい、と感じるようになった。」
こういう表現の仕方、読んでみると当然のことのようで、なるほどと思った。私もこなすことが膨大に思えるようなとき、「乳児」のような状態を強く欲するときがある。特に最近そのような状態になる。さっさと「死んでしまいたい」「現役をはやく離れたい」と切に思うときが幾度も襲ってくる。
そんなとき、この引用部分を思い出すことにしよう。