Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ある晴れた日に」

2009年11月13日 23時54分25秒 | 読書
加藤周一「ある晴れた日に」(岩波現代文庫)読了
 時間がかかったが、久しぶりに小説を読む。著者30歳の時の作品とのこと。
 どの小説も冒頭は作者が力を込めて書く。この小説も最初の自然描写がいい。最初から二つ目の段落、「4月の落葉松の林は煙るような緑の芽をふきだしている。‥その林とこの春の空とは、見栄に見たことのある風景だと太郎は思う。」この自然の既視感が、8月15日と言う日の世界の転換点を暗示しているとおもう。人は衝撃的な事態に遭遇すると周囲の事象や風景をあらためて見回す。そしてその景色を懐かしいもの、見慣れたものとして再確認しながら、新しい事態に対処しようとする。自らの定点を定めようとするためではないかと思っている。
 小説で自然描写が生き生きとしているものは、読者に周囲の世界と自分のかかわりを再確認するように仕向けてくれる。
 つきに空襲の描写に筆力を感じた。人物造形では、ユキ子の造形が曖昧のように思ったし、ユキ子との関わりが主題となってほしいと思った。ただしいろいろの人物、あき子、美奈子、画家、五十嵐教授、憲兵役の水原、そして関哲哉などの造形をすべて望むのは無理難題の要求ではあるが‥。画家が左翼的な言辞を代弁する終戦の日直後、この左翼的言辞の空周り、上滑りは著者自信が十分それを承知をして語らしているのであろう。戦後左翼の上滑りをキチンと踏まえていると感じた。「画家には昨日も今日も同じ敵があり、今日も明日も同じ戦いがあるようで、それはそれとして一貫しているが、太郎自信の体験、放送を聞いて新しい生命を獲得したような体験とは、何処かくいちがっているような気がする。‥吉川(画家)の方が(主人公より)明るい」。この批判はうなづけるものがある。
 憲兵役の水原は狂言回しの役となっているが、これが登場人物の造形が類型的である不満はある。日本的なファシズムを支えた層の分析まで求めるのは読者の一方的な思いだが、それでももっと分析が必要ではないか、と感じた。もっともそれを戦後の活動の中で追求したのが、加藤周一の仕事だったのかもしれない。
 小説では 画家と憲兵、ともに狂言回しなのかもしれない。そういう構成でもおもしろいかもしれない。
 最後の方で「受難の日の終わった瞬間から、人々は再び変った。戦争の前に戻ったのではないだろか、戦争の間とはちがう。共同の敵が倒れた瞬間から、新しい敵が現れた。‥しかし今では、二人が敵と考えるものは違うはずだし、もしかするとお互いが敵同士であるかもしれないのだ。とにかく、今では、画家も教授も、あき子も、はなればなれの存在に見えるし、それぞれの運命を荷なってそれぞれの道を歩いているように見える」
 この文章があることでこの小説は、戦後のステップを予見した小説といえるのだろう。
 しかしその直後の
「-そうだ、平和はぼくらにとっては未来だ。太郎は、きざになると思ったが、そう口に出していうと、きざには聞こえないようであった。放送を聞き終わってとび出した真昼の世界。いいようのないあの興奮とよろこびとはつづいている。」
が私にはうなづけない何かがある。この違和感は解けない。
 あとがきでは「8月15日の青空と輝く白い雲とを、私は複雑な気持ちで眺めたが‥」とある。小説の書き方として、主人公の造形として「興奮とよろこび」としたのだろうか。あるいは主人公と加藤周一を同一視しすぎたための違和感なのだろうか。
 私なら、自分の周囲の世界の転換点に立ったとき、了解不能として、たじろぎ・たたずむしかない精神の衝撃として書くのではないだろうか、と勝手に思っている。