この10日間で風邪で4日も寝込んでしまった。ぶり返しの4日間がもっとも辛かったが、不思議なもので直り始めたかな、と思うとみるみる回復してきた。夕べの夜中に目を覚ましたら風邪がサヨナラといって去っていくような気配。「風邪が抜けた」と実感し、そして朝方実にすっきりと目覚めた。10日ぶりの爽快な朝を迎えることが出来た。
一昨日、番茶に梅干と長ネギとたっぷりのおろし生姜を入れたものを二杯飲んだ。その前の日と夕べは柿を一個半ずつ。柿は大好きなもので出始めた頃からもっと食べて風邪の予防に心がけておけばよかったかと反省している。熱が出ていれば体を冷やす効果とビタミン補給でもっと食べてもよかったが、お茶との相性が悪いようなので一個半にしておいた。
友人のブログに「柿は柔らかく熟した物が好み。スプーンですくうくらいのものを‥」と書いてあってうれしかった。最近では私の周りはみな、柿は歯ごたえを楽しむという人ばかり。妻は少しやわらかめが好みのようだが。私はスプーンですくうほどのものもいいが、その手前の状態、包丁で切るとつぶれそうなくらいのものをそっと切ってずるずると手を汚しながら、服を汚しながら食するのがいい。せめて実が透き通る程度に熟した物がいい。
テレビの報道で最近は柿(生も干し柿も)と干し芋を食さない人が老若男女増えているそうだ。なんとももったいない話。干し芋・干し柿は山に携行食・非常食としてよく持っていく。干し芋をα米に入れて芋粥もどきとしてずいぶんと世話になった。
風邪の間に多少の読書。折口信夫の「歌の話・宇夫の円寂する時・女流短歌史」(岩波文庫)を読了。初めて折口信夫の著作に目を通した。どうも私にはわかりづらい。私の理解力が足りないのは当然なのだが、「歌の話」を読んでも折口信夫のイメージする歌の本質、芸術の意味が伝わっては来なかった。
短歌の宿命として「宿命的に纏綿している抒情の匂いの為に、叙事詩となることが出来ない。これでは短歌の寿命も知れて居る。戯曲への歩みよりが、恐らく近代の詩の本筋であろう。叙事詩は当来の詩の本流となるべきものである」との結語のようなものには、とても首肯できない。
論理ではなく、文体として、思考の流れとして、私の波長に合わない、いやもっと謙虚に、理解する能力が私にはなさそう。当分この方の書に手を伸ばすことはなさそう。
一昨日、番茶に梅干と長ネギとたっぷりのおろし生姜を入れたものを二杯飲んだ。その前の日と夕べは柿を一個半ずつ。柿は大好きなもので出始めた頃からもっと食べて風邪の予防に心がけておけばよかったかと反省している。熱が出ていれば体を冷やす効果とビタミン補給でもっと食べてもよかったが、お茶との相性が悪いようなので一個半にしておいた。
友人のブログに「柿は柔らかく熟した物が好み。スプーンですくうくらいのものを‥」と書いてあってうれしかった。最近では私の周りはみな、柿は歯ごたえを楽しむという人ばかり。妻は少しやわらかめが好みのようだが。私はスプーンですくうほどのものもいいが、その手前の状態、包丁で切るとつぶれそうなくらいのものをそっと切ってずるずると手を汚しながら、服を汚しながら食するのがいい。せめて実が透き通る程度に熟した物がいい。
テレビの報道で最近は柿(生も干し柿も)と干し芋を食さない人が老若男女増えているそうだ。なんとももったいない話。干し芋・干し柿は山に携行食・非常食としてよく持っていく。干し芋をα米に入れて芋粥もどきとしてずいぶんと世話になった。
風邪の間に多少の読書。折口信夫の「歌の話・宇夫の円寂する時・女流短歌史」(岩波文庫)を読了。初めて折口信夫の著作に目を通した。どうも私にはわかりづらい。私の理解力が足りないのは当然なのだが、「歌の話」を読んでも折口信夫のイメージする歌の本質、芸術の意味が伝わっては来なかった。
短歌の宿命として「宿命的に纏綿している抒情の匂いの為に、叙事詩となることが出来ない。これでは短歌の寿命も知れて居る。戯曲への歩みよりが、恐らく近代の詩の本筋であろう。叙事詩は当来の詩の本流となるべきものである」との結語のようなものには、とても首肯できない。
論理ではなく、文体として、思考の流れとして、私の波長に合わない、いやもっと謙虚に、理解する能力が私にはなさそう。当分この方の書に手を伸ばすことはなさそう。