Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ある晴れた日に」Ⅱ

2009年11月14日 22時11分24秒 | 読書
 「私はその時が来るのを長い間のぞんでいた、しかしまさかそのときが来ようとは信じていなかった。すべての美しいものを踏みにじった軍靴、すべての理想を愚弄した権力、すべての自由を圧殺した軍国主義は、突然、悪夢のように消え、崩れ去ってしまった―とそのときの私は思った。これから私は生きはじめるだろう、もし生きるよろこびがあるとすれば、これからそれを知るだろう。私は歌いだしたかった。」
 友人から教えてもらった加藤周一「羊の歌」から、玉音放送を聞いたときの加藤周一氏本人の感想の部分とのこと。
 前回の私の「感想文」は「主人公の思想」=「作者の思想」という単純な思い込みがあった。小説だから当然作者の思想も意見も、主人公だけでなく登場人物に振り分けられて述べられていることは当然。また人間の思想や思いは、単純に1人の人間に体現されるわけでもないのは当たり前。そこら辺の整理がされないまま書き綴った感想は、私の誤読でもあり、誤解を与える感想ともなってしまった。
 それともう一つ補足。その後の歴史を知るものからの批評というのは「後出しじゃんけん」のようになってしまう。このことを前提に書いていることを説明していなかった。それこそ一方的な断罪になってしまう。 
 昨日最後に「私なら、自分の周囲の世界の転換点に立ったとき、了解不能として、たじろぎ・たたずむしかない精神の衝撃として書くのではないだろうか」と書かせてもらった。こういう精神状態の時、周囲の自然や周囲の事物はどのように映るのだろうか。そしてどのような振る舞いを自分はするのだろうか?とだけとりあえず記載しておこう。
 先の文章を教えてくれた友人に心から感謝。