Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シューマンのピアノ曲2

2010年09月11日 18時38分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の午後はゆったりとした気分で伊藤恵のシューマニアーナの2と3を聴く。実に極上の時間を過ごさせてもらった気分。シューマンの曲がこのように魅力的だとは知らなかった。特にピアノソナタ2番とパピヨンが耳に残った。
 芸術作品というのは、同じ作品でも受け取る側(聞き手、読み手‥)の心の状態でまったく受け取り方が違う。その作品が心に響くか否かはまったくもって受け取る側にもわからないという厄介なものである。
 歳とともに、気分によって、周囲の状況によって、季節によって、すべてが違ってくる。音楽が騒音に聞こえるときもあるし、詩がまったく理解できずに目で追うばかりになるときもある。厄介なものである。そのくせ、無視をするととたんにいろいろな作品が恋しくなる。
 1回聴いて、読んで忘れられなくなるものの、すぐには再度耳にしたくない、目にしたくないものもある。しかしある時間が過ぎると再び聴きたくなる。よいと思ったものでもすぐに再び味わいたくないものもある。
 シューマンの曲、まだ13枚のCDのうち3枚しか聴いていないが、ショパンと違ってメロディーが耳に残るというのではなく、短い曲であっても複雑な和音、重厚な構成そのものが耳に飛び込んでくるような感じがする。不思議な感じだ。この感じはどこからきているのだろう。演奏の特質ではないと思う。伊藤恵の演奏の特質は音符ひとつひとつを丁寧に扱っているような感じだ。そして女性の演奏にありがちな線の細さはなく、十分にピアノが鳴っているように思える。

本日の俳句(100911)

2010年09月11日 07時28分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★片腕に残暑むんずと仁王かな
★竹林に秋の入り日と木魚聞く

 昨日の夕刻、仕事の途中古い寺の横を通った。紋の仁王像の腕の筋肉が印象的であった。今年の強烈な残暑の中、握り締めた手に残暑をゆだねてしまいたいものだと感じた。
 庭にわずかなながら竹があり、読経の声が聞こえた。法事でもしているのであろうか。木魚の音を聞こうとしたが、そんなにとどまっては居られなかった。