Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日から「芸術原論」(赤瀬川原平)

2025年02月24日 11時57分10秒 | 読書

 昨日は午前中と夜に退職者会ニュースのおもて面の原稿づくり。午後は横浜駅まで歩き、いつもの喫茶店で読書タイム。昨晩アップした通り、「最後に、絵を語る。」(辻惟雄)を読み終えた。
 退職者会ニュースは、20時前には一応おもて面の9割程が出来上がった。残りは25日の現役世代を中心とした夜の集会の模様の報告文を入れるスペースである。25日の朝一番でこの部分を除いて印刷会社に送信することにしている。

 本日の午前中は団地の管理組合の業務のお手伝いで、一時間程かけて来年度の作業予定のための現地調査。午後からはいつものように出かけてウォーキング&コーヒータイム・読書タイム。

   

 本日から読む本は「芸術原論」(赤瀬川原平、岩波現代文庫)。芸術家による「芸術論」というのは、私の勝手な決めつけであるが、洋の東西を問わずほとんどの場合読みにくく、「論」とは言えない代物である。記述や論理に飛躍が多く、定義されない言葉が次々に出てきて、読者を混乱させ、閉口させ、そしてその本を放り投げさせたり、読み続けるのを断念させようとする。読者を煙にまいて、多分作者はどこかでニタニタしているのだ。
 もともと芸術は論ずるものではなく、作り上げて何かを表現しているものである。だから芸術家が芸術論を口にするのはもともと自己矛盾である。それでも芸術家の「何かを表現したい」という衝動の根拠を覗いてみたいのである。芸術家が語る一言で一挙に視界が広がって作品を楽しむことが出来る場合がある。作家のこのような一言が「芸術論」に含まれるのであるならば、「論」がその役割を果たしてくれることをおおいに期待したい。
 そんな私の偏見や願いをこの本は適えてくれるであろうか。過度な期待は常に裏切られる。なおかつ私は現代芸術には嫌いではないが疎い。疎い私の入門書になってもらいたいと密かに期待しているのだが・・・。