ようやく「鬼の研究」(馬場あき子、ちくま文庫)を読み終えた。たくさんの付箋を貼ったが、ひとつひとつ引用をし、それをつなげて再構成する能力が私にはない。読解不足などは素直に告白すればいいのだが、それすら危うい。
ということで、終章から少し長いがまとめを引用しておきたい。
「反体制、反秩序が、基本的な鬼の特質であるとすれば、近世の封建的社会体制の確立しゆくかなで、当然、鬼は滅びざるを得ないものであり、そして褒め日たと言えよう。・・・しかし本当に蟹は滅び切ったのだろうか。・・・平安京を見下す山岳部を選挙して、疾風迅速の変化の技をももって怠惰な状況を告発した鬼の族や、信仰の権威とわたり合って堂々の論陣を張り、呪術験方を競った鬼どもの挑発が、いかに末細りになったとはいえ、全く絶滅しつくしたとは考えられない。忍者部落の鉄の規律が、人にして鬼たることの必須の条件として守られたことなどをもってしても、盗人集団がきびしい掟のもとに秘密結社を維持したことをもってしても、日常を保つに必要な人間の規律に数倍する規律だけが、その鬼たる身分を保つ法であったことがわかる。このような形で保たれた鬼の志には単純な利害得失の概念では、はかりがたい偸盗の歴史が埋められていたのではなかろうか。・・・鬼とはやはりひとなのであり、さまざまの理由から〈鬼〉と仮に呼ばれたにすぎない秘密が隠されているのを感じた・・。その秘密を知ることが、その後の私と鬼との交渉をきわめて親しいものにし、ついには自分もまた鬼であるかもしれないと思うようになっていった。」(終章「鬼は滅びたか」)
また解説の中で谷川健一は次のように記載している。
「『鬼の研究』の出版された1971年は私が『魔の系譜』を刊行した。私は拙著のあとがきに次のように書いた。『魔の中に自分があり、自分の中に魔があるという個人的な体験をあじわったものはさいわいなるかな。魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり、自分の中にしばられ、とじこめられている魔が、その窮屈な囲いをぬけ出したがって、叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは、本書に無縁である。』私が自分の中に〈魔〉のもどかしい叫び声を聞いたように、馬場さんは自分の中に〈鬼〉を見出した。」
付箋を貼ったところは剥がさずに残しておきたい。再読したい本である。