先ほど「雨の予報はハズレか?」という記事をアップしたら、22時半過ぎから10ミリほどの雨が降り始めた。昨日は雨が降るという予報はかろうじてハズレはしなかった。
天気予報の当たり、ハズレは論じたくないし、外れたからといって文句は言わないことにしている。そしてこの秋もおしまいの弱い雨の音を聞きながらの風呂は格別である。
今晩から私の部屋にガスストーブを据えた。4畳半用の小さなストーブで、本箱とプリンターと机とパソコン台とタンス、三面鏡が並ぶ狭い室内には十分すぎる大きさである。10分もつけていると暖かさを通り越して暑くなる。
日付が変わって4日になった。今年の立冬は11月7日。ほぼ立冬にストーブを点けることになった。ストーブを据えると冬の気分となる。
★銀の匙おけばチリンと冬隣 長谷川葭
★行秋や膝から暮れる屋台酒 窪田 穣
第1句、例年より気温は高めのようだが、秋から冬へ移ろうとしている。例年なら空気も乾燥し、高い金属音がよく響く時節である。銀の小さなスプーンが何かに触れて微かな心地よい金属音を響かせる。それが夏とは違って気持ちよく響く。作者の音に対する繊細な感覚が好ましく伝わる。そのような音を聞きもらさないところが好ましい。冬を迎えようとする緊張感も伝わる。
秋から冬へ、静かな音楽をじっくりと聴きたくなる。
第2句、行く秋、というと昔から寂しさを含んだ語感である。同時に冬隣りという季語よりはまだ暖かみが残っている。それも多分夕方の太陽に照らされた明るい暖かさのなかに、寒さが潜んでいる。橙色をした深い秋である。寒色だけの世界ではない。まだ紅葉が残っている感じがする。銀杏の落葉が似合う。だが日が暮れてしまえば、冬とも追われる冷気が足もとを過ぎてゆく。
そんな季節を屋台酒を持ってくることで取り出していると思った。果たしてこの作者は屋台の前に座っているのだろうか。それとも屋台で飲んでいる人を観察しているのだろうか。この屋台、私のイメージでは街路樹や公園の樹木の下にある屋台である。紅葉した葉が降っているはずである。ありふれた感傷といわれようがそれでよい。
年に3回くらいしか寄ってませんでしたよ(*_*)
大通りから3軒ほどの店をかわるがわる、利用してました。
亡くなった高校の同級生に教わったのが「一富士」でした。
屋台の飲み屋はどこにあるのでしょうか。
西口にラーメンの店が出ていましたが、今も引いているのかな?
甘栗の店も西口に出ていましたが、どこに行ったのかな?
港南区にも、栄区にも屋台の店はなかったです。
仙台で一度だけ焼き鳥の屋台に入ったことがあります。串をちょろまかしたけどちゃんとメモを取っていて、多分間違いなく請求されました。仙台駅の海側だったような記憶があります。