読みかけたついでに本日中に読み終わるつもりで、「国造(くにのみやつこ)-大和政権と地方豪族」(篠川賢、中公新書)を読書中。
本日中に読み終えることができるか、ギリギリといったところ。
本書の内容とはかけ離れてしまうが、最近の日本の古代史の啓蒙書を読むと、私たちが高校生の頃に読んでいた教科書の解説本や、高校生用の日本史の辞典類がどれほど違っていたのか、よくわかる。
というよりもきわめて断定的に記載してあった事柄が今は覆ったり、疑問符が投げかけられている。教科書というもののあり方もまた変わらなければいけないと思う。あまり断定的に決めつけてしまうのではなく、歴史の解明が現在進行形であるように記載するほうがずっと若い感性を刺激するように思う。権威でもって押し付けてわかったような気持ちにさせるのではなく、疑問を解明しようとする意欲と感性がどの教科にも求められてしかるべきだと思う。特に高校生の教科書となれば、そのほうがいい。
当時は(多分現在も)重箱の隅をつつくような設問が多数ある。わからないままに棒暗記させられていた苦い思い出なしには、このような啓蒙書を読み進められないのも不幸なことだと思う。
今現在はそのときのいやな思いを払拭するために時々この手の啓蒙書を読んでいる。私がこの手の書物に手を出す根拠である。