昨晩の日付が変わる直線に年賀状85通を投函し、満月兼十五夜の月に照らされながら帰宅。風は冷たかったが、ホッとした。
本日は、「キリストと性 西洋美術の想像力と多様性」(岡田温司、岩波新書)と、「奇病庭園」(川野芽生)を交互に読んだ。
「キリストと性」の第3章「マリアとキリスト」を読み終え、第4章「もしもキリストが女性だったら」へ頁を進めた。
「使徒ヨハネとマグダラのマリアとの宇陀で、三角関係にも似た葛藤のストーリーが語られてきたていう経緯があったように思われる。」(第1章)
「ユダというキャラクターがいかに中世の人々の想像力を刺激していたか・・・・。福音書記者たちが伝えてきたよりもはるかに豊かなイメージが、ユダというキャラクターのうちで響き合っているのである。」(第2章)
「マリアとイエスの愛は、本来の母子愛をはるかに凌駕して、女性性/男性性、肉体/精神の境界にも揺さぶりをかけて北のである。マリアの存在は、三位一体という男性中心的な教理をも揺るがしかねない力がある・・・・。」(第3章)
中世からルネサンス、そして現代までも聖書の登場人物達に、さまざまな物語を付け加えられて行く過程、それがあるからこそ聖書が息長く生き延びてきた秘密も見出される。同時に「性」にまつわる複雑な意味付与や「解釈」が世俗の実体の反映でもあることは想像に難くない。取り済ました「正統な解釈」だけにキリスト教があるのではないことが充分にわかる。
「奇病庭園」はまだ飲み込めていないので、後日。