本日目を通したのは次の6編。
・東京五輪の年に読む徳田秋声「縮図」 大木志門
「秋声にとって「縮図」に描かれたうらぶれた世界こそが庶民の生きる実際の日本であり、本当に問題にするべき現実であったのだ。また秋声は「計算では勝目のないことは専門家にはわかってゐるものらしい」と「縮図」中断の約二か月後、日米開戦を間近に控えた1941年11月27(日)の日記に書き残している。勝算のない先の戦争をやめられなかったのと同様に、相次ぐ不祥事と感染拡大の中で決行された二度目の東京オリンピックを経た私たちは、「縮図」を読みながら変わらずその裏側にある日本の現実に思いをはせ、同時にそこで懸命に生きる人々の姿に僅かな希望を見いだすのである。」
・石原純の一九二一年 西尾成子
・演劇とその分身 石田英敬
・逃れられなかったものとして 片岡義男
「言葉はもっとも深く浸透する。自分の言葉とは、主義やその主張ではなく、もっとも普遍的なものとしての、抒情なのだと、僕は思考する。」
・韓非子 冨谷 至
「人間の共通した本性は、損得に対する本能的打算であり、欲に基づく利己的行いをとる輩が絶対多数を占める。韓非は事柄の分析と政策の遂行において、常に視点をこの絶対多数の凡庸に置いていた。ただ、かかる過程で欠落していったもの、それは個別の人間の固有の独立性、後の時代でいう「人権」であった。
・炭鉱町から来た人 斎藤真理子