Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「漢字の成り立ち」 その3

2022年03月23日 22時09分03秒 | 読書

 本日の午後には「漢字の成り立ち」の第5章を読み終えた。白川静による字形からの字源研究の評価と問題点の整理である。
 白川静の著書にずいぶん親しんだ私が抱いてきた問題点をきちんと整理してくれていると思った。

「漢字は中国の古代文明で作られたものであるから、文字の背後にあった当時の文化を探ることは、字源研究のうえで重要なことである。白川の手法は、漢字の字源について、それまでの研究で見落とされがちだった文化や思想の面からも分析したものであった。白川は字源研究で大きな成果を挙げたのだが、まったく問題がなかったわけではない。むしろ、字音からの事件研究とはまた別の課題が多く残ることになった。特に大きな問題は、呪術儀礼を重視ししすぎたことである。白川は字形からの字源分析法を確立した人物といっても過言ではないが、その白川自身が、字形からの分析よりも呪術儀礼としての解釈を重視して字源研究を行ってしまったのである。‥白川が字源研究をほぼ完了した1980年代以降、中国を中心にして甲骨文字や金文などの資料整理が進められており、それを元にすることでも、白川による字形の解釈や時代関係の分析に不備があったことが判明する。」

「白川は「万葉集」や「古事記」なども研究しており、それによって古代における日本と中国の文化的共通点を見出そうとしたのであるが、文明や社会の状況が違えば思想も異なるはずである。血液や死をケガレとした日本と、定期的に家畜や人間を犠牲してしていた中国では、忌避する対象が同じだったは考えられない。」

 おおむね了解できる白川静の方法に対する評価であると思いながら読んだ。特に文化大革命以降の考古学資料の評価をしながら、1960年代~70年代の資料の再検討は必要だと思った。
 後段も同意できるが、同時に「古代」、「神聖王権」という時代区分が千年の時を隔てても比較出来る場合についてもあり得るのではないか、とも思っている。殷・周の時代と万葉集の時代との比較文明論というのは、前提となるべき諸条件を踏まえれば、方法論としても成り立つと思える。
 白川静の場合、この諸条件の評価を抜きにして比較してしまったことが限界だったと思える。
 私は藤堂明保までの漢字字源研究の硬直した状況に対して、白川静の方法論の自由さと、それを中国と日本の文明比較まで飛躍せしめた自由な飛翔が痛快であった。そのことは否定し去ることはできない。それは白川静の問題点を論理的に批判したとしても、以前として評価すべき地平だと思っている。

   

 



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