Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「眼の神殿」(北澤憲昭) 4

2021年02月06日 12時12分17秒 | 読書

 昨日から本日にかけて第2章を読み終えた。眼の疲労が強いので、なかなか進まない。
 いつものように覚書として。

へだたりを絶対の条件とする視覚は、見る主体を事物から疎隔し、あらゆる事物を対象と化してしまうはたらきをもつ。近代は、そのような視覚の働きを極度に、しかも他の諸知覚を差しおいて、一方的に発達させることによって確立された‥。写実画法、透視遠近画法は、近代の在り方をしめす典型的事例であり博物館や博覧会もまた視覚の時代の産物であった。」(6.眼の権力装置―監獄と美術館)
さまざまな事物が博覧会の秩序に収められるためには、‥それらが本来ある場所から切り離されなければならない。‥国家が創出した博覧会の秩序のもとで一堂に展覧されるというのは、明治日本の縮図の提示であり、‥博覧会は明治が創出すべき統一国家の模型であった‥。同時に内国勧業博が近代国家の模型であったとして、国家というものを存在を広く民衆に知らせるためには、特別の仕掛けが必要とされた‥。仕掛けとは、審査・褒賞制度であったのではないか‥。審査・報奨制度は、現実を模型に馴致させる仕掛けとして、事物と事物をつくりだす行為とを制度化する働きをなした‥。見ることは、分類と審査によって博覧会を支え、支えることによって権力に仕えることになる。眼は支配の道具と化す。」(同)

   



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