先ほど上田秋成の「雨月物語」所収の「仏法僧」を読み終わった。秀吉の甥で、関白の地位にありながら高野山で切腹を命じられ、一族郎党惨殺させられた秀次の話、ということで昔から血なまぐさい場面が語られるのかと思いこんで、これまで読まなかった。
そのような思いはまったく的外れであったのは、とても恥ずかしい限りである。高野山を訪れた父子が、山中で一夜を明かしたときに、亡霊となった秀次一行や連歌師の紹巴が現れ、酒宴を開く場面に遭遇するという物語である。
しかし秀次が「二人(父子)も修羅に連れ来たれ」と二人を連れて行こうとするが「いまだ命つきざる者なり、例の悪行なせさせ給ひそ」と諫められ、父子は助かる。この場面はこの物語を書いた上田秋成の、修羅道に落ちた秀次の造形を示しているようだ。
文庫本2頁をA4に拡大コピーして読んでいる。文字が大きいとやはり読みやすい。理解も早い。視力は大切にしたいものである。