「名画の生まれるとき」(宮下規久朗)を読み始め、本日は第1章「名画の中の名画」の「名画のはらむ新解釈」を読み終えた。カラヴァッジョ《聖マタイの召命》の中に描かれているはずの「マタイ」とはどの人物を指すのか、という議論と最近の解釈についての解説である。
私は端から左端の人間が聖マタイと思いこんでいたし、これからもそう思い続けると思うが、なかなか単純ではないらしい。しかもキリストと見られる人物が指さすしぐさも何となく力が入っておらず、キリスト自身もペテロの影に隠れて影が薄い。
キリスト自身も召命に自信が持てていないのか、聖ペテロを中心とした初期キリスト教会の操り人形であったキリスト、という物語が当時からあったのかもしれない、という解釈もできる。元徴税吏であったという聖マタイという話も、徴税吏のいた場所から誰かが召命を受けた、という落ちをまことしやかに話している人にもあったことがある。
いろいろな解釈があるということは、このカラヴァッジョの作品が「本当のことを描いている」ような迫力に満ちている証左でもある。
そんなことを考えさせてくれる一節であった。