本日までに「万葉集の起源」の第3章と第4章を読み終えた。第3章の結語部分は、次のようになっている。
「モソ人の独詠的恋歌は、男女が悪口歌を掛け合って別れていく歌掛けとは距離を置いたところ、たとえば女同士の歌掛けや、母が娘たちに歌う場で歌われるのであった。ここに悪口を掛け合うべき相手はいない。独詠的恋歌は歌掛け歌と同じストーリーに則りつつ、それに抗する歌を拮抗させることによって自らの心の機微や揺れといった抒情の原則を見つめていく。それは歌掛けの技術を継承したものだ。また相手が不在であることによって、相手に向けられるべき非難は自ら向けられ、それが自らの心を対象化し、自らを自嘲するような表現になってしまうのであった。このような声の歌のなかで、相手の歌の欠落が自らの心を見つめさせ、より抒情的な言葉が求められるという万葉恋歌の抒情表現のありようは形成されてきたのである。」
第4章は、古事記の仁徳(大サザキ)と女鳥王、速総別(はやぶさわけ)王の物語、万葉集巻2の高市皇子と穂積皇子と但馬皇女の物語、万葉集の巻4の大友家持と坂上(さかのうえ)大嬢(おおいらつめ) との贈答歌が引用され、私にとってはことに興味深い章であった。
「歌垣ではストーリーとそれに抗する歌を拮抗させることによって心の機微や揺れを発現させ、そこに相手の人柄や誠実さを読み取るところに関心があった。‥そういう歌垣の周辺で老人たちの楽しみとして歌掛けが行われることもあった。その掛け合いは結婚相手を探すという現実的な関心から切り離されているため、心の機微や揺れ、個人の心が抱える社会性と個別性の矛盾といった、原型的な抒情そのものを追求するところに主眼が置かれていた。そういう抒情の方法が宮廷に持ち込まれ、‥一首一首の歌表現そのものの抒情を追求しようという方法意識があった。‥こうした方法はストーリーを曖昧化させ、より普遍的な心の動きを表現することになる。歌垣における掛け合いの技術のなかに胚胎し、現実的な関心から切り離された歌垣周縁の文芸空間で醸成された抒情の方法は宮廷の文芸空間における歌物語や連作される恋歌の抒情の方法へと継承されていくのである。」