Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

閉所恐怖症と大音量嫌い

2020年10月11日 22時56分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の最高気温は22.8℃と平年並みの気温であった。平年並みと聞くとホッとする。平年とは大いに違う昨今の気象状況、特に気温や降水量などは身近な指標だけに、それらの数値が報道されるたびに身体が緊張するのが分かる。特に高齢者にはきついものがあるのではないか。
若い頃には何も気にしなかったが、最近は特に気になる。

 このところ複数の友人から映画の紹介がある。退職者会の仲間や学生時代の友人から上映中の映画や、これから上映される映画を勧められる。20代の頃は時どき見に行っていたが、30代以降ほぼ数年に1本見るか見ないか、という具合である。
 一番の原因があの大きな音響である。耳をふさがないといけないような機械的な大音響の中に自分を置くことが耐えられないのだ。ときどき映画館の前まで足を伸ばすが、結局は踵を返してしまう。
 二番目の原因は視力である。目がとても疲れる。これは40代半ば以降、近くでないとよく見えなくなった。そして目を凝らしていると1時間も経つと疲れて、目をつぶってしまう。多分今ならさらに見にくくなっていると思われる。
 しかも最近、狭い空間に身を置くことがさらに億劫に思う。エレベーターが極端に嫌いになった。いつもいく横浜駅前の家電量販店やデパートでもたとえ最上階でもエスカレーターに乗る。妻には「最近閉所恐怖症になったようだ」とからかわれる。最初エレベータ―に乗るのか嫌だと思ったのが、家電量販店のエレベーター内で常時流されている大きな音楽である。これが厭になり、いつの間にかすべてのエレベーターに乗るのを辞めてしまった。スカイツリーや超高層ビルではエレベーターに乗るしかないのだが、ふだんは乗ることは無くなった。そうなるとやはり「狭い空間に閉じ込められる」ということが厭になってしまった。
 しかしたくさんの方からいろいろな映画を勧められるので、いくつかは見に行ってみたいと思うものがある。あの暗闇の中に身を置くことが出来るだろうか。組合の会館の近くにはいい作品を上映し続ける名の知られる映画館が2館ほどある。何時かは、もう一度その映画館の前まではとりあえずは行ってみたいと思ってはいる。
 果たして、その気分になるのはいつなのだろう。

 また不思議なのだが、クラシック等の音楽会はまったく気にならない。好きであるからだとは思うが、理屈をつけるとすると、音は機械をとおしたものではなく、演奏されるのは電気的な音ではないことといえる。
 さらに家で聴くCDなどの音は小さくできる。自分の好きな音量にできる。自分にとってちょうどいい音量に設定できる。これは音で脳や身体を圧迫されるという心配がなくて安心して聞くことが出来る。

 音というのは、私にとってはとても大切なものである。同時に自分がだんだん偏屈親爺になっていくという心配もしている。



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