春の嵐は収まったように思える。カラスも収まったと判断したのだろうか、鳴き交かわしながら数羽が団地の中で飛び始めた。西の空では地平線に近いところで雲が切れており、夕焼けが黄色く見える。いつものカラスの夕方のおしゃべりタイムなのだろうか。東の空にはかすかに虹が出現した。
私はできるだけ外界の気象状況の変化に敏感でありたいと思っている。近くの高層マンションでは、家族での宴会の大きな声が気象異常時でも聞こえることがおおい。気象状況を拒否する、というよりもまったく無関係に暮らしているように思えるのだ。
それに比べると元公団の建てた5階建ての団地は、気密性が高層マンションほど高くはないためだろうか、異常気象時にはシンと静かである。外界の異常が、気密性の低い窓ガラスや、外部空間に直接面した玄関扉から伝わってくる。
戸建ての住宅は、団地よりもさらに直接外界の影響を受けやすい。雨漏り、庭の樹木の揺れや折損の被害、草花や芝の被害などより直接的に住んでいる人に恐怖を植え付ける。
反対に、現代のビルの中で仕事をしていると、まったく気象条件と無関係に時間を過ごしてしまう。雨・風の音などほとんど聞こえない。意識的にならないと外の様子は伝わらない。
「より安全に」、ということが大気の息吹や大地の鼓動とは無縁なところに自分を押し込めるのではなく、「自然」とより密接な関係を維持しつつ、危険を避けることを考えたいと思う。それが「より安全に」ということにつながるのではないか。
私は、大気の息吹や大地の鼓動に敏感であることを、常に意識していたい。それらと直接に関わりながら生きてきた過去というのは、遠い過去かもしれないが、ごく近い過去でもある。その過去の人々の、文学や芸術にも表現されてきた豊かな感性を身近かなものとして受け止めるためにも、常に意識していたいと思う。気象災害時、地震時にも、避難を余儀なくされたときの生活にも、何らかの糧になる。人はそうやって生き延びてきたと思う。
氏は今のところが一番だと思う。安全だし、カーテンで囲えば、涼しくもなるし、温かくもなる。何より安全だ。近所のお付き合いで煩わしいこともあるが、時と場合である。今をより住みやすくされれば十分。終の棲家と思い、気を入れ替えて、酔いしごとをされよ。高級マンションには、うるせえぞ、と、どなってあげなされ。冗談……………………
団地の管理の仕事からも離れたい‥。
我が家の内装もそろそろ限界かもしれないので、それも準備すべきものが‥。
あぁ、つらいですね。
面倒なことが出来したら、酔って寝てしまいたい。幸せな顔をして‥。