加藤楸邨の第8句集「山脈(やまなみ)」より。「山脈」は1948年から1952年までの句を収める。楸邨が43歳から47歳にかけての年である。
この句集は「太白抄」(1948-1949)の90句と、「山脈祥」(1950-1952)の396句からなる。前者と後者に句数に大きな差がある。前者が大田区に家を新築するが、病に臥すことの多かった年月であったとのこと。40代半ばといえば私の年齢では一番気力も充実させて極めて慌ただしかった年代である。多分多くの人にとっては社会生活上でもさまざまな場面で責任を負わされたり、自身のライフワークでも力の入れ時であったはずである。
そのような時期に病に臥しながら、作者はどのような句をつくっていたのであろうか。
「太白抄」より
★一方向を得て落葉群移動せり
★宙に垂れ没日と秋の蜂の脚
★油虫殺すいちめんの夕日色
★梅雨余寒瞼に翳(さ)すは妻の手か
★夏は癒えよ虹生んで水栓迸り
★大旱の蟻はしるその影の上
★蟻はしる地図の代赭はゴビの色
★夕映や梅雨の机をはかにす
★路地抜けて遠夕焼けの一世界
★蟇蜍(ひき)あるく糞量世にもたくましく
★ものの隙いま夕焼かめざめくる
★曲の出の沈みて深し水澄むや
★月の出の一挙にあがり甍重し
★鉄の刃の鉄を截りとる夏まひる
★鰯雲鞴(ふいご)の息に鉄目覚め
★石の蝶金色すべく没日まつ
★月明の石より墓を磨ぎいだす
★沼の上の月は下弦に蛇つかひ
「油虫」、「大旱」、「蟇蜍あるく」などの句のように動物の生の営みと死の緊張の一瞬を見つめている。緊張感ある句であると思った。
同時に絵画的な、色彩豊かな句が多いと思った。「宙に垂れ」「夏は癒えよ」「夕映や」「路地抜けて」「ものの隙」「石の蝶」「月明の」などの句は絵画的である。景色を平面の二次元世界に言葉で描き直し、言葉の特性として「時間軸」を散りばめている。私としてはとても好感のもてる句が並ぶ。
なお「沼の上の」の句はアンリ・ルソーの「蛇使いの女」が下敷きにある句かと思った。しかし実際のルソーの絵画では下弦の月ではなく満月である。この絵画を下敷きにしているとすると、時間が静止したような絵画への親和性も感じる。ひょっとしたら、この「女へびつかい」が画面の奥から手前に幻想のように浮かび上がってくるごくわずかな時間を見逃していなかったのかもしれない。
ただしこれはあくまでも私の勝手な妄想である。頓珍漢の可能性は大であり、違っていたらゴメンナサイである。