新庁舎への引っ越しが大詰めを迎えている関内駅前の市庁舎の内部を撮影してきた。撮影といっても組合運動で関連のあった個所数か所を撮影しただけである。一階のロビーや市会棟の入り口などなど、特に珍しい箇所などではなく、ふだん称していた個所である。
しかし市民広間に置いてあるピアノ、案内所、サンチャゴ市から送られた鐘、市民広間の壁面のタイル画などはとても懐かしいものである。
現役の職員にとっては新しい市庁舎での執務環境のほうが気になるのであろうが、退職者会の我々にとっては旧市庁舎の懐かしい箇所のほうに興味が湧く。
5月3日に掲載した横浜市庁舎の歴史について再度掲載しておくことにした。
1代目(1889-1911)
本町1丁目にあった横浜電信分局を利用。レンガ造り2階建て。
2代目(1911-1923)
魚市場跡地(現在の敷地と同じ)にレンガ造り3階建て。関東大震災で焼失。
3代目(1923-1925)
桜木町一丁目の中央職業紹介所を臨時市庁舎として使用。
4代目(1925-1944)
現敷地に木造2階建て。
5代目(1944-1950)
空襲を避けて野毛山の老松国民学校(現市立老松中学校)に疎開。鉄筋コンクリート造3階建て。6代目(1950-1959)
日本貿易博覧会神奈川会場(現在の反町公園一帯)の建物へ移転。木造2階建て。
現在の神奈川区庁舎の敷地。
7代目(1959-2020)
開港100周年記念で建設(村野藤吾設計)。関内駅南口。
鉄筋コンクリート造地上8階・地下1階。2代目・4代目と同じ場所。
8代目(2020- )
北仲通南地区。地上32階(高さ約155m)・地下2階。
みなとみらい線馬車道駅に直結。
私の現市庁舎の記憶はロビーのピアノとこの旧貴賓室と、そして杖を突いてひょこひょこ歩く故飛鳥田一雄氏の姿と、労働組合のさまざまな想い出とともにある。
建物の中に今後も自由に出入りができるといいのですが、どうなることやら。
しかしどうしてあんなに暗かったのでしょうか。
廊下も市民広間も窓はたくさんあったけれども、不思議です。照明も少なかったわけではなかったのに‥。
不思議です。