川崎浮世絵ギャラリーで開催している「型破りの絵師 歌川国芳 没後160年記念展」で、私が一番惹かれたのが、「里すずめねぐらの仮宿」(1846)。
1845年に吉原が火事になり臨時の遊里が設けられ、その様子を描いたとのこと。天保の改革で役者・遊女を描くことが禁じられていたために登場人物をすべて雀で描いている。
このような人の集団を描くのは国芳ならではの描き方なのか、浮世絵のあり方なのかはわからないが、西洋の絵画では戦争画、戴冠式などのイベントでの歴史上の人物の偉大さを描いていた。ナポレオンの戴冠式などの作品に見られる。英雄や宗教・神話を離れた作品ではブリューゲル、アングル、クールベ、ジェリコーくらいしか私には思い出せない。印象派ではルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を思い浮かべただけである。
逆に日本の絵画ではこのように人物を密に描いたものには英雄は出てこない。英雄は武者絵などに単体として大きく描かれ、背景に事件を象徴する場面が判じ物のように描かれる。
この密の状態でのドラマは藤田嗣治の戦争画につながるように私は理解している。藤田の戦争集団画には英雄は出てこない。無名の兵士が折り重なって最後の生のエネルギーを放っている。
国芳は、庶民のこの猥雑な世相の中に、庶民の生活の逞しさを描いていると感じた。当時のさまざまな仕草が描かれているのにも惹かれる。格子越しに禿に何かを差し出している使いのような人物、左端下の食べ物が載った御膳は何を表しているのか。主題・焦点がひとつではないので、ひとつひとつに釘付けになる。ここでは花魁も主役ではない。客と花魁のいる空間を仕切る格子で二つの空間の喧騒と静寂、動と静の対比が面白い。
もうひとつ惹かれた作品が「竹沢藤次の独楽のお化け」(1844)。
左端の人の顔が浮世絵風の顔ではなく、西洋絵画の人物像の顔に見えた。解説によると「東海道四谷怪談」の主人公のお岩の顔ということである。当時の人にとっても、人間の顔は浮世絵風の顔として認識していたわけではなく、このようなリアルな顔として脳裏に刻まれていたはずだ。この作品にも西洋絵画の影響を見つけた。遠近法などだけではなく、世俗画の世界でもこのような人物の顔によりリアルなものが求められていたのであろう。
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