Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「名画の生まれるとき」

2022年11月07日 12時43分28秒 | 読書

   

 時間がかかってしまったがようやく「名画の生まれるとき 美術の力Ⅱ」(宮下規久朗、光文社新書)を読み終えた。予定よりもずいぶん時間がかかってしまった。
  今回は次の一ヵ所のみを記してみる。
(『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル)には)一日の過酷な強制労働を終えて帰路につくとき、赤々とした夕焼け空にみな言葉を失って呆然と眺めるという場面が印象的であった。人間は、死と隣り合わせの極限状況においてさえも、夕日に感動できるということに著者は驚いている。夕日の美は、ひれほどまでに人を打つものだが、美術に登場するのは以外に遅い。‥新潟の農村でひっそりと制作しつづけた佐藤哲三の《みぞれ》は、蒲原平野の寒々とした湿地帯に厚くたれこめる雲や水田に夕日が反射する風景を、荒々しい筆触で描いた傑作だ。死の直前に病魔と闘いながら描いたものだというが、作者の心象風景であるとともに、北陸の寒冷な空気と微弱な光を見事に表現している。フランクルの一節を思い起こさせるが、重苦しく困難な状況でも、夕日の紅色はわずかな慰めを感じさせる



 掲出した《みぞれ》は、2005年に鎌倉の神奈川県立近代美術館で開催された佐藤哲三展の図録を利用した。私が佐藤哲三の作品の全容を知ったのがこの時であるが、既に「絵の中の散歩」「気まぐれ美術館」「さらば気まぐれ美術館」で洲之内徹の眼と体験を通してこの画家に親しんでいた。
 実はもっと以前に作品を眼にした記憶があるのだが、それは既視感であって、そんな体験はないのかもしれない。はっきりしない。あるいは、図録の最後の年譜を見ると1987年に日曜美術館で佐藤哲三が紹介されているので、その時に作品を知ったのかもしれない。
 敗戦直後から新潟で教員組合を立ち上げるなどの活動を経て44歳の若さで亡くなる。《みぞれ》は最晩年の作品であるが、私にはそんな若い時の作品とは今でも思えない。老境の画家の作品のように思ってしまう。あの寒々しい夕日の茜色とうつ向きながら歩く人々にはどんな思いが込められているのか、この作品を見るといつも対話をして時間が経ってしまう。



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