本日は横浜ユーラシア文化館主催の「遣唐使とユーラシア世界」というシンポジウムに参加した。
はじめの石井正敏氏の報告は、書紀・旧唐書・日本紀略・菅家文草・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・延喜式などから遣唐使に言及した箇所を抜書きにした資料を見ながら、20回にわたる遣唐使の実相を浮き彫りにしてくれた。年表も整備してくれてわかりやすい説明が嬉しかった。
石見清裕氏の報告は東部ユーラシア世界という視点から、ソグド人といわれた人々を含めた極めて国際色豊かな唐、それも首都長安の繁栄、安禄山や史思明がソグド人で会ったことなどの指摘があった。
商人として唐までたどり着いただけでなく、既に中国国内で各都市に定住していたり官吏として登用されたりしていたことなど国際色豊かな長安の実相も語られた。
菅谷文則からは考古学の立場から文物の分析からソグド人などの役割について報告があった。
遣唐使の視線は文明国としての唐からの仏典・国家制度としての律令などの輸入に留まらず、ソグド人などの活躍を見ながら唐に限らない世界、唐の向こう側の世界をも冷静に見ていただろう遣唐使の目を指摘してもらったと思う。
文物や経典・律令が唐からもたらされただけでないようだ。西域起源のガラス器・楽器等が単に「もの」としてもたらされただけでなく、すでに「世界」がそれだけ大きいものとして認識されていたことになる。その「世界」のシンボルとしての文物という役割があったように思えた。
またソグド人・ペルシャ人も遣唐使と共に日本に渡ってきて定住していたことなどもあらためて紹介された。彼らの服装の一部が日本の女性の衣服や僧侶の衣服にも影響を与えていたらしい。
繰り返しになるが、唐という国が世界文化の大きな中心地ということだけでなく、唐という国自体が国際色豊かな他民族国家であったという印象を受けた。遣唐使は唐という国を通してより広範囲の国際社会を見つめていたことになる。
さらに唐という国家にとって、東の日本という国家よりも北方や西方の突厥や吐蕃に対する対応の方が腐心の対象であったとのことである。唐の日本に対する評価など、客観的なユーラシア地域の情勢から見た日本の立場を考えると、新しい視点に気がつくものである。
唐からの使節の迎え方など小「帝国」日本の二枚舌対応が破綻寸前だったことなども理解できた。
浅学の私にとってはなかなか刺激的なシンポジウムであった。
なお遅れていたユーラシア文化館の展示品のカタログが販売されていた。私がとても気に入ったものを掲げてみる。この美しい緑色の水注は魅力的ではないだろうか。