Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ナサニエル・ローゼン&落合敦デュオコンサート」

2013年12月11日 23時49分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日は、ナサニエル・ローゼン&落合敦デュオコンサートを、みなとみらいホールの小ホールへ聴きに行った。
 二人分のチケットを貰えた。ブラームスのチェロソナタ2番、ドビュッシーのチェロソナタ、その外ブルッフ、ウェーバー、ラフマニノフなど7曲。なかなかの選曲である。
 残念ながら演奏者のことは存じ上げないが、チェロのナサニエル・ローゼンはチャイコフスキーコンクール金メダル・ピッツバーグ交響楽団首席というなかなかの経歴の65歳。一昨年より日本在住となっている。ピアノの落合敦はフェリスの教授とのこと。
 チェロに興味のある妻にはもってこいの演奏会と思われる。全席自由席、良い席に座ることが出来るか心配したが、やや後方の中央の席を確保できた。
 ブラームスのチェロソナタはいつもヨー・ヨー・マとエマニュエル・アックスのものを聞いているので、少々チェロが地味に聞こえてもの足りなく感じた。
 ところが初めて聞くドビュッシーのチェロソナタになって俄然目が冴えた。曲がとても技巧的でピアノとチェロの掛け合いが難しいと思われたが、そんなことを微塵も感じない緊張感溢れる演奏であった。特に第二楽章・第三楽章の細かな掛け合いの息がぴったり合っていると感じた。チェロもピアノも細かく跳躍する音型が続くのだが、チェロという楽器がよく鳴っている。音の厚みもある。
 解説では1738年製の「モンタニアータ」なる楽器を使用しているという。どういう楽器だか知識は無いが、ドビュッシーなどに適した楽器とは思えないにも関わらず存分に楽器が鳴っていると感じた。演奏者の力量なのだろう。
 そして、休憩とピアノのソロの後、これも私ははじめて聞くブルッフの「コル・ニドライ」。解説ではヘブライの旋律に基づく曲のようだが、「哀歌」ともいうべき情感溢れる静かな祈りのような曲である。聴いた瞬間に気にいった。それをあまり感情移入を感じさせない感じで弾いている。謹厳実直な感じのチェリストが不器用な感じで情感溢れるように弾くととても私などは引き寄せられてしまう。あまり情に流された演奏はだれてしまうが、そんな甘さが無いのがいい。
 続いての曲は現代日本の作曲家久木山直(くきやまなおし、1958年生)の「リニアG」という技巧を駆使するかなり活発な曲。この曲も細かく跳躍する恩恵が生命のチェロの曲だが、実に楽器がよく響いていて好感の持てる演奏であった。時間も短く感じるほど緊張感をもって聞くことが出来た。
 続いてウェーバーの「アダージョとロンド」もたっぷりチェロの音を聞かせる曲である。
 この後半の3曲は選曲も順番もなかなか凝っている。充分にチェロの音を堪能することができた。
 アンコールのチャイコフスキー:ノクターン op.19/4 チェロ・ピアノ、そしてグラズノフ:スペインのセレナードもたっぷりと聞かせてもらえた。
 この18世紀に作られたという楽器からすれば、本日のブルッフやウェーバーのような曲が適していると思われるが、現代の音楽でも充分にチェロの重厚な音を響かせながら聞かせる技量に敬服した。同時にピアノの技量にも感心した。
 とてもいい演奏会であったと思う。チケットをいただき感謝この上ない。

「絵巻を紐解く」

2013年12月11日 15時13分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今日は神奈川大学の公開講座「絵巻を紐解く」という講座の最終日。
 「源氏物語絵巻」「伴大納言絵巻」「信貴山縁起絵巻」「鳥獣人物戯画」を絵巻物の最初の作品と位置付け解説してくれた。
 最終日の今日はそれ以降の作品展開の概略の講義。
 絵巻というものが、絵と詞書きの配置や模様など、大変な労力と資金と人材を動員したプロジェクトであり、強いリーダーシップの下に作られたことなどを教えられた。
 大和絵の見方、構図の特質、時間・季節の扱いなど中国絵画との違い、仏教絵画との違いなども教えられた。
 個別の絵の見所も教えてもらい、いい時間を過ごすことが出来た。

上弦の半月と宵の明星

2013年12月10日 23時01分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝からの荒れた天気も夕方には上がった。午前中から時々日も差していたが、夕方には再び雨が降ったようだ。横浜駅の地下街の喫茶店で不覚にも寝入っていたので気がつかなかった。メールで雨の予想のお知らせが着信していた。帰り際に地上に出てみたらなんとなく路面が濡れていたので、メールの内容に間違いはなかったようだ。
 オーロラツアーの件で旅行会社に、パソコンのカスタマイズと納入日の件で家電量販店に出かけて打ち合わせ。そして地下街をブラブラした後16時過ぎに某喫茶店の一番奥に座って不覚にも寝てしまったのだが、実はその時間には妻もこの喫茶店に来たらしい。買い物の帰りに喫茶店の入口近くの席にわずか20分ほどいただけということだが、私のことはまったく目に入らなかったとのこと。(あるいは眠っているのをさいわいに見えないところで寛いでいたのかもしれない)
 私は18時半近くになってあわてて喫茶店を出て、地下鉄で帰宅。帰ってから話をしているうちに喫茶店の話になってびっくりした。
 いつもは歩いて帰るのだが、久しぶりに地下鉄に乗ったため、富士山の見える西側から団地に入って、天頂から西に傾きかけた上弦の月と宵の明星と富士山が直線で並んでいる光景にしばらく見とれた。ところどころに小さな雲が浮かんでいるが、嵐の後の空らしく濃い深い藍色が広がっている。流れ星が見えたような見えないような、しかし気持ちの良い空を見ることができた。

 シベリウスの若い頃の作品を堪能した2日間だったが、ここは久しぶりにシベリウスらしい曲が聴きたくなった。本日はもう遅いので、明日の午前中に時間が出来ればバイオリン協奏曲でもかけてみようかと思う。
 仙台の古い友人をツィッターで見つけて、久しぶりに連絡を取った。彼も昔の同窓の仲間と会っているとのこと。お互いにそのような歳になっているのだろう。



シベリウス「ピアノトリオ全曲演奏会」

2013年12月10日 13時33分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨夜の演奏会、プログラムは

1.ブレトーク(舘野泉(シベリウス協会会長)、フォルケ・グラスベック、佐藤まどか)
2.ピアノ・トリオ「ロヴィーサ」(1888年)
3.ビアノ・トリオ(1884年)
4.ピアノ・トリオ「ハフトレスク」(1886年)
5.ピアノ・トリオ「コルポ」(1887年)
(6.ピアノ・トリオ アレグロ(1889年))

 バイオリンは佐藤まどか、チェロはフォルケ・グラスベック、ビアノはタネリ・ツルネン。

 前日のシベリウスの室内楽とおなじく若い頃の作品である。だが、前日はほとんどが家族内での演奏を目的と本当に習作の段階のものも含んでいたが、昨日の第2部の一部の曲と本日の曲は自覚的に作曲家であることを志向した時期の作品と理解できる。
 作曲法を音楽院で正式に学んだのが1887年以降ということだが、独力で作曲法は真剣に学んでいたようだ。これらの曲は当然にも内々のものではなく、独自の音楽表現として意識的に作曲されたものであろうと推察できる。
 シベリウスは1865年生まれだから19歳から23歳位までの作品である。多分人生の暗中模索の時代である。何につけても自分の方向がようやく定まりつつある時代であろう。自分の表現を獲得するための悪戦苦闘の時期なのであろう。
 音楽的な評価は別として、楽曲の構成や完結性への志向は凡庸なものには到底達成できないようなものがある。しかもいかにもシベリウスらしい後年の表現に接することができた。作品としての評価はなくとも、これだけの曲を仕上げるということはすごいことである。
 シベリウスはこの時期の初期の作品を発表することには極めて消極的であったらしい。このビアノ・トリオも「ロヴィーサ」を除いて1982年に遺族が手稿を公開してから公になったものである。「ロヴィーサ」も晩年のシベリウスが目を通してから公開されたらしい。それもそうであろう。家族の前の内々作品はもとより、習作の段階のものまでの公開は表現者にとっても思いはあるであろう。しかしある極めてすぐれた表現者の歴史は、その名誉のためにこそ存在する場合もあり、豊穣な世界が広がっている場合もある。
 最後のアンコール曲は、1988年のピアノ・トリオの翌年にひとつの楽章の草稿として存在していたらしい。これはちょっと込み入りすぎて、美しい旋律もなかったように思えて、感銘は受けなかったが、難しそうな曲であった。
 今回のこの5曲、私は三番目の曲「ハフトレスク」の1、2楽章の旋律が美しいと思った。いかにもシベリウスらしい長い旋律が美しく奏される。3楽章以降はあまりに複雑にガチャガチャとしすぎて、耳には残らなかった。しかしシベリウス調は堪能できたと思う。

 一昨日から、もしも演奏者にインタヴューできるならば聞きたいと思うことを反芻しながら昨日は演奏を聴いていた。
 まず、習作である以上また、若い頃の作品である以上、演奏家としても「ここはまずいんではないか?」「手直しをした方がいいのでは?」というような個所は幾つもあったと思う。これは具体的にどの個所だったのか。そしてそれはどのようにしたらよくなったと思うか、ということである。
 ベートーベンがフランツ・クレメントの、ブラームスがヨアヒムの、チャイコフスキーがイワン・コテック助言を得ながらあの名曲のバイオリン協奏曲を書き上げたように、演奏家としての判断を是非とも聞きたいと感じた。
 シベリウスのバイオリン協奏曲はソリストの助言を求めたということの逸話は聞かないが(シベリウス自身がかなり名手であった)、シベリウスは初稿からの大きな改訂をしており、より完成度を常に高める作曲家であった。初稿の演奏を禁止したりするほどの完璧性を求めることが強かったと聞いている。
 そんなシベリウスの作品だからこそ、「ここがシベリウスらしくない」などの話なども多いに聞きたいものである。
 次に与えられた楽譜から、シベリウスらしい表現にする技量というものをどこで使ったかということも聞きたかった。同じような楽譜でもシベリウスらしい表現の仕方をして、あるいは円熟期や晩年のシベリウスの表現から省みての表現の仕方、ニュアンスのつけ方というのがあったと思う。ここら辺の話しは多いに興味がある。
 またシベリウスの研究者でもある演奏家に聞きたかったこともある。
 それはシベリウスといういわば北欧というヨーロッパの北辺といっては失礼だが、その地域のナショナルな動機を持ち続けた作曲家が、どのように世界的な普遍性を持つ表現者に飛躍しえたのか、その表現は具体的にどのような表現として指摘できるのか、と言うことである。音楽理論の言葉として、また演奏技法上のことを言葉で聞きたいと感じている。

 「言葉」を過剰に求める私のような鑑賞者は邪道なのかもしれないが‥。

冬の雷

2013年12月10日 11時26分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝起きてみると、妙に暗い。雨が強く降っている。携帯には「神奈川県では大気の状態が不安定で竜巻に注意」との情報が着信していた。強風・波浪・雷注意報が出ている。これだけ竜巻被害が出ているとそのうち「竜巻警報」というのも新設されるかもしれない。そして10時半過ぎには突然に雷が鳴り出した。結構大きな音がして近そうである。残念ながら天気予報が当たった。「残念ながら」といっては気象の予報官には申し訳ない。「予報が正確であったことは喜ばしいが、残念ながら歓迎したくない天気」という表現の省略形として理解して欲しい。
 今日は久しぶりに予定はない。午後からは天候が回復し温かいとの予報になっている。オーロラツアーの催行が決定したようだ。旅行会社に午後から出向いて金額の打ち合わせなどをして、喫茶店でくつろぐことにしようと思う。家でゴロゴロしているとかえって腰の痛みが増すような気になる。
 そういえばパソコンの手配はどうなっているのであろう。旅行会社と同じビルに家電量販店があるのでついでに覗いて見ることにする。
 昨日の感想は出かけるまでに作り上げたい。

 実は、太平洋側でしか育ったことのない私は、雷とは夏から冬にかけてみられる現象だとばかり思っていた。俳句をはじめてから冬に雷、という表現があることを知り、びっくりした。中学・高校から気象にはそれなりに興味があり、テレビの天気予報などはじっくりと反芻しながら聞いたり、天気図作成に幾度も挑戦したこともある。しかしこのことは迂闊にも知らなかった。
 今から15年ほども前に「冬の雷(らい)」という俳句の冬の季語があることを知った。だが、基本的には日本海側の雪の前触れのことをさすと教わった。「雪起こし」という季語もこの冬の雪をもたらす雷をさすという。これは日本海を通過する寒気に伴う大気の乱れにより発生するものであり、雪の少ない太平洋側ではみられない。太平洋岸の冬の雷は珍しい。世界的に見ても冬の雷というのは北欧のノルウェーで見られる程度とのことらしい。
 「鰤起こし」というのも冬の雷をさす。これなどはいかにも生活感溢れることばで俳句らしい言葉として好きである。

 寒雷に日のさしかげる船障子(石原舟月)
 海沿ひの一筋町や雪起こし(小峰恭子)
 一湾の気色立ちをり鰤起こし(宮下翠舟)

「下村観山展」とシベリウス「ピアノトリオ全曲演奏会」

2013年12月09日 23時48分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、横浜美術館で下村観山展を1時間ほど見てきた。感想は後日書く予定だが、ひょっとして私の好みで言えば、私には横山大観より好印象だったような気がする。もう少し頭の中でこなれてから感想を書いてみたい。
 その後、錦糸町駅まで昨日に引続きシベリウスの演奏会。本日は「ピアノトリオ全曲演奏」と題して初期のビアのトリオ4曲を聴いてきた。初期の習作の域を超えている作品だと思った。とても19歳から23歳の頃の作品とは思えない。細部ではまだちょっとと思うようなところも有るが、とてもいい曲を聴いた気がした。アンコールでは24歳の時の一楽章だけのピアノトリオを弾いてくれた。普段の演奏会では聞くことの出来ない、ある意味マニアックな演奏会ならではの試みでうれしかった。
 19時から21時10分までの長丁場を、バイオリン・チェロ・ピアノが弾きっぱなしである。演奏家にとっては大変な体力と緊張力が要求されるプログラムである。演奏家に脱帽である。この感想も明日に記す。

 演奏会が終った後、南口の駅舎の5階のレストラン街に21時20分ごろ行ったが、22時閉店とのこと。それでもまた駅の外に出るのも大変なので、お酒1合とマグロ納豆とキス天ザル蕎麦を同時に注文したら、とりあえずお酒とマグロ納豆は先に持って来てくれた。しかし10分後には他のお客さんもいなくなってしまってあわててお酒を飲み干し、お蕎麦を食べて21時45分には出てきた。あわただしかった。
 しかしそのおかげで23時半には家に着くことが出来た。

 本日は美術館にいるときに腰に違和感を感じ始めた。横浜駅までゆっくり歩いたが、だんだんひどくなって、演奏会場に着いたときには痛み止めのロキソニンを服用した。おかげで痛みは和らいでいるが、明日行こうどうなるか。さいわい明日は予定は無いのでノンビリ休養できる。
 ここ6日ほどかなりハードに毎日平均2万8千歩ほど歩いていたので、ここは休養しなくてはいけない。

 もうひとつ忘れていたことがある。パソコンがダウンしてようやくノートパソコンにスキャナーとプリンターのソフトをインストールしたので、ノートからも写真をアップできるようになった。
 ということで、お酒のラベルの紹介。5日に日本酒を購入したが、いつものようにアップするのを忘れていた。「澤姫」というお酒。5日の記事に「ウンチク」は記載したので、本日は写真のみ。

   

いただいた野菜の料理

2013年12月09日 12時00分28秒 | 料理関連&お酒
 昨日の夜に妻はいただいた野菜をふんだんに使って、鮭の粕汁を作っていた。いただいた里芋、大根、春菊のほかにニンジン・ネギ・シイタケを加えて。どちらかというと東北の日本海側の料理の雰囲気がただようのが特徴である。ただし2人とも塩味は極めて薄いのが好みなので多くの人は物足りないかもしれない。そしてたっぷりのショウガの輪切りを加えた大根と豚肉の煮物、及びカブは葉も使った浅漬け。
粕汁は朝に温めてなおして出してくれた。春菊と里芋が特においしいと感じた。春菊の強い味が私は好物である。

 お昼に向けて、いただいた大根の葉と蕪の葉を混ぜてシラスと炒めている。大根と蕪の葉は、噛むのが楽しい。この葉の食感はスーパーの大根や蕪にはついていないので、味わうことが普段はほぼ不可能である。これもいい感じで出来上がった。鮮やかな緑とシラスの白の対比がいい。食欲をそそる。食べ過ぎないようにしないといけない。
 これらの葉は、味噌汁の青い彩としてもいいものである。むかし共同で産直の野菜を購入したとき、しおれた大根の葉を見てがっかりしたのだが、水に漬けてもどすと鮮やかな緑によみがえって感激したことがある。そんなことを思い出した。

 夕方からふたたび錦糸町駅までいくのだが、その前に横浜美術館に行って下村観山展を見てこようと思う。この画家も私はまったく不案内である。名前だけは有名だから聞いたことはあるのだが‥。どんな感じの絵なのだろう。折角年間5000円の協力会会員になって企画展・通常展がいつも無料なので、見る機会を多くしたい。

錦糸町駅界隈を歩く

2013年12月09日 06時14分15秒 | 山行・旅行・散策
 今年の3月31日に続き、昨日・本日と錦糸町界隈を音楽会の休憩時間に歩いてみた。3月の時は、線路沿いに西へお隣の両国駅までを総武線の北側のバス通りを往復した。夜には東へ同じく隣の亀戸駅まで同じく北側を歩いた。
 今回は、昨日が総武線の南側、国道14号線(京葉道路)をお昼に両国駅まで歩いた。錦糸町駅は北口よりも南口のほうが人通りは圧倒的に多い。JRAの施設があり、大きな商業施設も複数有る。食べるところも北口よりも多いようだ。
 しかしどの飲食店、飲み屋も圧倒的焼肉・焼き鳥等の「肉」系ばかりである。どうしてこんなに日本人は「肉」系統の店ばかりを繁盛させてしまったのだろうか?と疑問がわいてくるような雰囲気である。魚などを売りにした店がとても少ないと感じた。特にこの界隈がそうなのだろうか?
 私はいつも「揚げ出し豆腐」「漬物ないしサラダ」、「魚」(煮魚・焼き魚・刺身)を注文する。時々焼き鳥など肉系統も注文することあるが、基本は豆腐・野菜・魚である。こんな私では入りたい店がなかなか無い。昨日も結局はやっと見つけた蕎麦店にはいって「山葵菜のおひたし」「冷奴」を肴に焼酎の蕎麦湯割り、そして冷しタヌキ蕎麦となった。
 帰りは国道14号線を再び両国までを歩いた。

 本日の夕食はどこにしようか、本日は多分21時過ぎの終了なので、迷っていては時間切れになってしまうので、さっさと決めないといけない。帰りは馬喰町駅まで歩くといいかもしれない。

「シベリウス 室内楽vol2 デュオ、トリオ、クァルテット」

2013年12月09日 00時29分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         


 昨日・本日の演奏会の題名は正式にはこんなに長い題名。今年3月31日の「クァルテット&クインテット演奏会」に続く企画である。
前回よりも少人数のデュオ、トリオ、クァルテットの編成だが、作曲年代はほぼ同時期の20代の時のもの。10代はじめの時のかわいらしいものから10代末の若書きの作品、そして本格的に作曲家として自立するまだの初期作品となる。若いシベリウスの出発点ということになるのだろうか。
 作品としての完成度からいうとまだまだというところも当然感じられたが、早熟な偉大な作曲家の萌芽を感じることも出来る。
 シベリウスの世界を充分に堪能できる。
 第1日の今日は、第1部、第2部。春にも演奏した若手演奏家の演奏もあった。若手といっても充分に楽しむことが出来た。
 最後は佐藤まどか、タネリ・ツルネン、フォルケ・グラスベック、小高遵子の演奏で締めくくったが、これはさすが聞かせる演奏である。

 春もそうだったが、他の演奏家には申し訳ないが、やはり佐藤まどかの演奏は格が違うというか、群を抜いている。
まず、弓全体を存分に使いきって弾いている楽器から出てくる音の厚みがすごい。伴奏になっても表情が豊かでそして演奏にメリハリがあって、主題、副主題など主要なメロディーが浮きあがって聞こえる。楽器が充分に鳴っている。かすれや重音のアンバランスが無い。
 作曲家の若い頃の習作や未完で終った作品などがあたかも完成された作品のように弾きこなして聞かせる、これも演奏家というものの力量なのか、という感想を持った。完成された後年のシベリウスという作曲家の音、和声などからこれら若い頃の作品を演奏上の色づけをしているのだろう。シベリウスの雰囲気に満ちていると思わせる。

 本日夕方からの4曲のピアノトリオの演奏が楽しみである。

シベリウスの室内楽漬け

2013年12月08日 12時55分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は錦糸町のトリフォニーホールで、日本シベリウス協会主催の「シベリウス生誕150年シリーズ 室内楽vol2 デュオ、トリオ、クァルテット」という催し。
 第一部が14時開演で5曲、第二部が17時開演で10曲も。終了は20時過ぎだろうか。
 
 昨夜は遅かったので眠い。寝ないようにしないと・・。

 明日は18時開演。2月に続き2日間シベリウス漬けになる幸せ。2日で5000円は安い。ありがたい。感想は後日に・・

 


いつもの反省

2013年12月08日 11時13分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は遅くまで飲み過ぎて、京浜東北線の最終電車に乗ったが、蒲田止まり。タクシーだと1万円を超えそうだし、乗り場は長蛇の列。川崎駅まで歩くことにした。
 1時15分から2時20分までかかって、六郷大橋を無事渡って旧東海道を川崎駅まで大急ぎで歩いた。7000歩。人通りも車も少なく、冷たい風が心地よかった。
 川崎駅からタクシーで帰宅。5000円になる寸前で着いた。風呂に入り就寝が3時半。
 朝9時からの管理組合の会議がつらかった。
 反省。

東京駅八重洲南口

2013年12月07日 11時33分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は久しぶりに東京駅を訪れた。日比谷公園の特定秘密保護法の反対集会に退職者会の仲間と参加したが、デモの解散後東京駅の八重洲南口にたどり着いた。最近は八重洲中央口と日本橋口を利用する機会が多く、八重洲南口は4~5ヶ月ぶりに訪れたのだが、すっかり様相が変わっていた。ずっと工事をしていたのはわかっていたのだが、これが終了して工事用の囲いが取り払われ、出入り出来なくなっていた地下への階段も解放されていた。大きな柱が何本も立ち並び、びっくりするほど変わった雰囲気になっていた。
 地下街の居酒屋に入るつもりだったのだが、地上の様子がかわり、どこの階段から地下にはいったらいいのかかなり戸惑った。適当な階段を下るとすぐのところに「酔心」を出す居酒屋があった。集会の参加者の半分の6人が押しかけたのだが、ひとまとまりで座ることが出来た。地下街全体も入った店も集会・デモ帰りの客で賑わっていた。
 茄子の漬物と唐揚。お酒は生ビールと「酔心」で約1時間半で切り上げた。旅先のお酒や名物の話を中心にあっという間に時間が過ぎた。

 最近私は友人と待ち合わせするときは八重洲北口と日本橋口の間にある「黒塀横丁」を利用している。特に理由は無いが、日本橋口は人通りが比較的少なく広いので待ち合わせに便利である。そこから遠くない飲み屋街というと限られてしまう。それほど多くを食べたり飲んだりはしないので、安くはないが、特に高いというふうには感じない。結構サラリーマンで賑わっている。
 工事が一段楽したようなので、再び八重洲南口を利用する頻度が高くなるかもしれない。やはり丸の内口よりも八重洲口のほうが気楽である。本当は新橋駅辺りが安いし、もっと気楽な雰囲気があり好きなのだが‥。偏見かもしれないし、場所を知らないからかもしれないが、渋谷・新宿となると年寄りの私たちはちょいと場違いな感じで敬遠してしまう。特に渋谷は落ち着かない。私たちが落ち着けるような店を探すのが面倒である。滅多にいかない私たち年寄りが気楽に入れるような店が欲しいと切実に思う。
 新宿のすぐそばでも大久保駅周辺は気楽でいい。本日はそこで古い友人たちと忘年会を行う。
 話に聞くと都内の北の端、赤羽はいい居酒屋がたくさん集まっているという。しかし横浜からだと遠すぎる。湘南新宿ラインが京浜東北線で乗り換え無しなのだが‥。そういえば池袋もあまり行くことが無い。
 横浜の人間が気楽に入るとなると、やはり横浜市内、川崎・武蔵小杉駅あたりが北限となるようだ。

22時過ぎには終了して帰宅のため電車に乗ったが、電車の中はとても混雑。ひさしぶりに混雑した電車に体を揉まれて帰ってきた。

白菜の美味しさ

2013年12月06日 10時42分55秒 | 料理関連&お酒
 いただいた野菜の話題を続けさせてほしい。

 白菜というのがこんなにおいしいとは思っていなかった。白菜というと北国の漬物しか思い浮かばない。函館に住んでいた頃は近所ではタクワンと白菜を漬けるのが風物詩となっていて、たくさんいただいていた。仙台でも漬物にしたものを随分と食べた記憶がある。しかし横浜に長年すんでいるとこの漬物にはあまりなじみがなくなっていた。最近は白菜キムチを食べる機会の方が多くなっていた。我が家では鍋物などでもそれほどは多く入れることはなかった。
 妻に聞くと白菜はこれまではスーパーでは半分、4分の1が主流であったが、最近は6分の1、8分の1も売られるようになっているとのこと。確かに少人数の家庭、1人暮らしでは4分の1でも持て余しそうである。
 昔から私は白菜のまるごとを見ると、チューバという金管楽器を連想する。オーケストラの中で目立たないが、料理では低音の重石のような役回りをしている。単体では目立たないし、味も強い自己主張はない。鍋物などに入れて他のものの引き立て役のような存在である。単体では漬物にして塩味がないとおいしくないと思っていた。歯ごたえが命の野菜と思っていた。

 今回、大きな白菜をまるごと1個もらったのだが、正直言って最初はその大きさにちょっと圧倒された。それでも周りの葉の緑色はスーパーや近所の八百屋では見かけないみずみずしさが目に入りとても印象的だった。
 妻は大きいね、とはいったが特に圧倒されて、どう料理するか悩んでいる風はなかった。漬物にする等の体力勝負の料理は妻は苦手である。洋風の洒落たような料理はしないが、和風の幾度食べても飽きの来ない家庭料理はまかせきっている。見ていると既に紹介したように白菜を結構うまく料理に使っている。たんたんと処理している。
 今日の朝は、白菜を細く切った上に、ベーコンをオリーブオイルで軽く炒めて、バルサミコ酢と合えたものが出てきた。熱いベーコンの油とオリーブオイルがかかって、白菜にアクセントがついている。食感のいい白菜のイタリアン風サラダになっている。イタリア旅行以来、オリーブオイルとバルサミコ酢のファンになっていたが、「なるほど」と感心した。ただしベーコンの量が少なかった所為もあり、やはり味が薄め。
 私がふと思いついて、かつお節をかけてみた。これが結構うまくいった。味がうまく合わさったと思った。バルサミコ酢とかつお節という取り合わせが以外にいい。

 おいしいみずみずしい白菜をもらって、随分楽しませてもらった。Kさんに感謝m(__)m

「ロール白菜」

2013年12月05日 21時10分51秒 | 料理関連&お酒
 本日生れて初めて「ロール白菜」を食べたと思っていたら、妻からこの料理を作ったのは結婚してから2回目だよ、と言われてしまった。私はまったく記憶に無い。これは困ったというか、記憶にないと言ってしまったのだから、もう取り繕うことも出来ない。アワワワッと焦ったがもう取り返しはつかない。
 しかしこの「ロール白菜」はなかなかいけると思った。ロールキャベツは挽肉のおいしさと、キャベツの味がうまくマッチしていて私も好きな料理であった。お世辞ではなくおいしかった。
 ロールキャベツと違って白菜の旨味は肉とは特に相性がいいというわけではない。しかしキャベツと違って肉の味が白菜の白い部分に充分沁みている。これはキャベツには無い効果である。白菜の白い部分を口に頬張ると肉汁の味が白菜の煮汁と共に口に広がっていく。芯にある強い繊維質が肉の味を閉じ込めているようでもあり、白菜の白い芯の部分から出てくる肉の旨味は味が倍増しているように感じた。いつも洋風のスープでは黒胡椒をたくさんかけるのだが、今回は事前に肉に胡椒を大分多く混ぜて練ったようで、胡椒が肉に馴染んだ感じがした。
 江戸甘味噌をつけて食べたフロフキ大根の味もよかった。まだ少しだけ芯が固めだったが、そんなことが気にならないほど江戸甘味噌の味が大根の甘味にマッチしていた。
 ツナと大根のマヨネーズで合えたサラダは下にレタスを敷いていて、歯ごたえもいっそう増したように感じた。マヨネーズがあまり濃いと私は嫌である。市販のものは味が濃すぎて私の口にいつも合わない。このようなときに家庭料理のよさが感じられる。

 日本酒は少し辛口が強めであったので、かえって野菜のおいしさがひき立ったように思えた。おいしいお酒とおいしい野菜、至福の夕食に感じられた。

大腸内視鏡検査結果&「澤姫」&「ロール白菜」

2013年12月05日 18時41分16秒 | 料理関連&お酒
 午前中みなとみらいで行われた服部土芳の三冊子の講座(講師:復本一郎氏)を受講した後、午後から市立病院で先月に受けた大腸内視鏡検査、本日その検査結果を聞いてきた。
 「1ヵ所のポリープを切除したが、問題なし。昨年切除した3ヶ所のポリープの跡が判別できないほどに回復しており心配ない。今後は二年おきくらいの検査で充分」とのことであった。これで毎年行う潜血反応をみる検便で異状が無い限り大腸内視鏡検査は3年おきということになった。ホッとした。

 自宅から講座のあるみなとみらい、市立病院、東神奈川駅経由で帰宅するまで31000歩を越えた。5日間で12万歩になった。気持ちの良い汗をかいている。しかし歩いていると街中でも汗をかくので、教室の中や昼食、病院の中だけは上着を着るが、歩いている最中は下着とシャツ1枚である。街中のサラリーマンなどの服装からは浮いている。恥ずかしいものがある。といっても今さら格好を気にしてもどうしようもない歳である。

 買い物から帰る途中、「検査結果が良かったから」と理由などどうでも良いのだが、日本酒の4合ビンを購入した。1050円。写真はノートパソコンにまだスキャナーのソフトを入れていないので省略。「澤姫」という銘柄。宇都宮市の井上清吉商店と記載されている。
 ネットで検索すると「水はもちろん、酵母も米も、そして技(人・杜氏)までもが地元下野産。南部杜氏流の伝統の技と心意気を受け継いだ若手蔵人達が、地元栃木産の五百萬石と栃木県酵母を用いて醸造した特別本醸造の無濾過生原酒です。若き蔵人達の地酒と地元への熱い志を「若人醸酒」という名前に託したこの生原酒は、旨みとコクが心地よく、爽やかな香りでキレの良い辛口。季節ごとの変化もお楽しみ下さい」とある。

 いただいた野菜で作った料理に合うかどうかはわからないが、妻が作るといっている「ロール白菜(ロールキャベツの白菜版)」と「フロフキ大根」「ツナと大根のサラダ」をこのお酒で楽しむことにしよう。