山種美術館で開催されている「特別展琳派400年記念 琳派と秋の彩り」展のブロガー内覧会(9.12)に参加した。
内覧会は山種美術館の山崎妙子館長の説明で開始。なかなか歯切れのいいわかりやすい説明をいただいた。なお、館長の後ろの作品は鈴木其一の「牡丹図」(山種美術館蔵)。
私の目的というか、展覧会の第一印象は12日の記事にもアップしたけれども、会場に入ってまず酒井抱一だと感じた。
会場に入ってすぐの作品は俵屋宗達と本阿弥光悦の合作である「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」であるが、「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)を記している。私の好きな歌である。書の座り具合、画面上の金地、下の銀地らしく思われる彩色などは好きであるが、鹿の姿態がどうしても好きになれない。多分私の理解力というか鑑賞能力がまだまだ不足していると思うしかない。
しかしこの作品に反対側の作品に眼を移すと、途端に圧倒されるような感触を味わった。まず目に入ったのが、酒井抱一の秋草図。詞書きは「七色の露も‥‥園の色」と読めたが、間が残念ながら読めなかった。野ではなく園というこだわりが何を意味するかは分からないものの、鮮やかな印象にビックリ。ただし朝顔と月だから時間は無視されている。この作品は私は初めて見たように認識した。月に重なる芒、中の白い花、女郎花の微かな黄色、朝顔の紫、葛の赤紫、一番下の撫子の赤と色彩が細やかで鮮やかである。
誰かのことばで酒井抱一はさすがに後々までも残る高価な絵の具を調達できていた、というのを記憶しているが、確かにそのように感じた。
さらに3枚の抱一が並んでいる。3枚の中で私の一番気に入ったのは月梅図。枝ぶりがどこかで見たように感じて思い出そうとしたが思い出せずにいたら、解説をしてくれた山崎妙子館長から抱一は若冲を見ていた可能性が高い、これは若冲の梅の枝を模しているのではないかという趣旨の話をされていたと思う。「若冲と蕪村展」の図録をめくると月を配した作品に「月夜白梅図」があるもののこれは白梅が画面いっぱいに咲き誇り、趣きが違う。アメリカにある「梅花小禽図」、あるいは水墨画の「草花押絵貼屏風」(1780)などの梅を彷彿とさせる。
彩色画ではあるが、水墨画風の感じがする。また月の周囲には白梅、その下側に紅梅、それも淡い色の紅梅を配するあたりも、酒井抱一ならではの構図に細心のこだわりを持った作品ではないかと思うのだが、どうだろうか。
隣に「菊小禽図」は菊の白・黄・赤の色彩が鮮やかなのだが、赤に小鳥が紛れてしまっている。赤が少しくどいと感じた。しかし描き方はとても丁寧である。酒井抱一はこの丁寧さが何ともいえずいい。
その隣が「飛雪白鷺図」である。これは構図も色彩もとてもいい。鷺の白がとても印象深い。転々と振る雪が鷺の白に溶け込むようで溶け込まずに、不思議な均衡を感ずる。中央でX型に交わる枯れかけた細い草の茎が上下の白い鷺をうまく結び付けている構図、そして右下の枯れかけた黄色の多分菊の花も印象的である。
今回の展示の大きな目玉の作品が、酒井抱一の「秋草鶉図」。これはさすがにため息が出た。月は銀が黒く変色したものと思い込んでいたら、解説ではもともと墨で黒々と描かれたいたという。確かに銀よりは緑がひきたつのかもしれない。
これは屏風だからやはり下から見上げるように見ていると鶉5羽がとても仲がいいことにまず気がつく。同時にこの三角形を形作る5羽の鶉は、一連の動作のように描かれている。一番左下の地面に顔をつけてすっかり伸びたような鶉から右上に少しずつ立ちあがって行く。そして一番上にいる鶉は羽を伸ばして飛び出すようにも見える。右下の鶉はそのような運動には目もくれずひたすら餌をついばんでいる。この5羽の鶉の姿態は見ていて飽きることがない。
さらに下から見上げるように見ると黒く塗った月が不思議に違和感がない。芒の穂の金色が月を奥にして、手前に浮き上がって見える。同時にその一群の芒に奥行き感が生まれるように感じた。これは予想外の不思議な感覚である。その錯覚を確かめながらしばらく下から見上げていた。同時に鶉の三角形が向こうへ奥行きのある三角形にも見えてくる。紅葉の葉の赤がアクセントとなってそこの部分を手前に見せる効果があるのかもしれないと感じた。
他の抱一作品で「仁徳帝・雁樵夫・紅葉牧童図」なども眼を曳いたが、ちょっと異質な作品に見えた。
掲載の作品は図録より。すべて山種美術館蔵の作品から。