Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳「岐阜平湯峠カラマツ」

2015年09月18日 22時26分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 15日に久しぶりに取り上げた土門拳の作品。本日は「岐阜平湯峠カラマツ」(1964)。ひょっとしたら今はよく見かけるような構図かもしれない。誰もがこの作品が頭にあるのかもしれない。
 このような風景の切り取り方が「美」として認知されたことによるのであろう。
 「美」というものは発見でもあり、「これが「美」だ」という主張を伴うものでもある。
 ある意味では、模倣や後進の手本となり多くの類似の作品が輩出することで、先行者の価値が高まるのが「美」と言い換えることもできる。あるいは何かを常に付け加えられることもまた運命なのかもしれない。それが独り歩きということであろう。
ひょっとしたらこの作品も先行作品があるかもしれない。独創的な何かが付け加わっているならばそれで十分オリジナルとして先行作品になりうることもある。

消えるもの、消えてほしいもの

2015年09月18日 22時11分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 大雨洪水警報も雷注意報も竜巻注意情報も消えた。そして津波注意報もさいわいにも解除になった。残念ながら「安保法案」は廃案にはならずに残っている。
 日付が変わったころに成立してしまうという情報があるようだ。さて、これからどうなるのか、どうするのか。



理想との対話、新しい運動、そして政治のあり方

2015年09月18日 13時36分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の国会周辺の雨は強烈であった。私たちは憲政記念館の建物の周囲にいて、集会か始まるたびに合羽を着て歩道に出た。傘ではとても避けられないような雨で、運動靴の人は可愛そうであった。
 私はビニールのポンチョとズボンをそれぞれ430円で購入した藻を持参して助かった。靴も防水仕様のウォーキングシューズを履いていたので濡れることはなかった。長袖のシャツをこの秋初めて着用したが寒かった。もう少し厚めのものが良かったかもしれない。
 朝8時から参加している仲間もおり、18時半からの集会がほぼ終わった19時45分頃に会場を離れて渋谷で体を温めて帰った。

 私たちの退職者会では総勢7人がこの日も集まったが、私たちの周囲には会社がひけてから参加したと思われる単身参加の若い女性が大勢いた。それぞれにペンライトや、小さく折りたたんだA4の紙に印刷した手製のポスターを掲げて熱心に参加者の話に耳を傾け、コールをしている。
 労働組合や各種の団体には属さずに単身で参加されているのが一目でわかる。生活の時間からささやかでも貴重な時間を持ち寄って来るこのような人々に、連日の集会は支えられている。このような彼女たち、彼らがいなければ集会は成功しないし、持続しない。

 あたらしい運動のあり方、政治への関わり方が生まれつつあると感じている。これによって集会参加者の平均年齢も大いに下がっている。横浜の公聴会会場を取り囲んだ参加者も、シットインに加わった人々もかなり若い人々である。自由な発想、従来の枠にはとらわれない行動パターンが生まれている。この動きを大事にしないといけない。

 人は誰もが自分の理想像というものを持っている。その理想像というのは日々作り替えられて行くであろうが、核になっているものは人生そのものがリセットするような体験をしない限り変わるものではない。また変えようとして簡単に変わるものではない。この理想像と対話をしながら、日々の思考、判断、行動を人は決断し、修正して生きていくものである。
 この理想像との無言の対話というものを如何に上手にするか、これが人間のコミュニケーションの始まりでもあり、社会とのコミュニケーションの基本でもあると思っている。この対話ができないと、そして理想像と現実の狭間をどうするのかという苦闘がよりよい対話を生む。他者とのよりよいコミュニケーションを生むことができる。
 国家にとってはこの理想像は憲法である。きっかけは第二次世界大戦直後の世界秩序を形成していた国家関係の理想的な姿である。それが押しつけかどうかは問題ではない。これを前提に戦後世界秩序が形成されていたということであり、その承認無くして日本の戦後国家は歩めなかったということである。東西対立等々のによってこの秩序自体は大きく変質せられているが、理想としての国家関係、国家のあり方についての基本には変更はない。またそれを変更する必要性はないと判断できる。
 誰もが知っている「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し‥」という前文は多くの若い人にとっては身に沁みついている。
 国家の外交や内政には常にこの理想像との対話、現実との折り合いの葛藤が求められる。それを国民がつぶさに見ているということを政治家は自覚しなければ政治家とは言えない。
 最近は政治家でも、また政府の閣僚の一員である議員が公然と「そもそも主権が国民にあるということ自体がおかしい」といいだしてしまっている。国際社会で通用しない議員が跋扈するという、「政治の劣化」が公然と語られてしまう。とても恐ろしい社会である。
 この政治の劣化が、さまざまに社会を規定する法律の改悪として社会生活を圧迫し始めている。それを多くの人々、特に若い人々がひしひしと身に染みているのであろう。

 このことを自覚的に政治過程の中に繰り入れなければ、今の政治党派も立ち行かなくなる。無論政治そのものがさらに立ち行かなくなる。国際社会からもますます孤立する。

   

津波、大雨・雷・竜巻

2015年09月18日 12時20分57秒 | 天気と自然災害
 朝から、テレビや私のツイッター、携帯電話には、まず3時のチリ地震に伴う津波注意報、横浜でひどかった5時過ぎの雷と豪雨による大雨警報、雷・洪水注意報さらには竜巻注意情報が続き、参議院特別委員会での「採決」などの安保関連情報があふれている。
 雷は突然の雷光と雷鳴で目が覚めた。同時にその雷光にも勝るような雨の音が続いた。一瞬停電になり、風呂のガス釜のリモコンが点滅していた。
 驚いたのは居間のふたつの照明の内ひとつが突然点灯したことである。一瞬の停電の後の復旧時に点いたのだろうが、常時通電していてリモコンで点滅を操作する型式のものである。しかしもうひとつも同じ形式なのに点灯しなかった。不思議である。
 パソコンはシャットダウンだけではなく、電源タップの通電も遮断しておいてよかったと思う。雷サージ式のタップだが、前の日から雨模様なので念のため、このようにしていた。時々忘れてしまうのだが、用心のため毎日忘れずにした方が良さそうである。


今週のブログ更新は滞る予定m(__)m

2015年09月17日 10時27分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は早朝にブログを更新したものの、夜遅く帰宅したため2回目の更新は出来なかった。
 本日もこれから出かけ、多分帰宅は遅くなる予定。更新は困難かと思われる。今週は更新は残念ながら滞りがち、内容もあまりないと思う(もともと深みはないけれど‥)。
 妻からは呆れられている。

日比谷公会堂の大規模改修

2015年09月16日 06時41分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 日比谷公会堂でこんなチラシが「アーカイブカフェ」においてあった。
 回収が来年から始まる日比谷公会堂、どんな形になるのかわからないが、現在の建物の内にいろいろな催しが企画されているようだ。



 「オープンデー」は公会堂としてのイベント。

 他のふたつは現在の公会堂にまつわる歴史を、過去と現在と結びつけて見直そうというイベントである。10月1日の集会は旅行中で私は参加できない。9月20日は三かできるだろうか?

   

   

土門拳「西芳寺 孟宗竹林」

2015年09月15日 23時49分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 先ほど慌ただしく本日の集会の資料をスキャナーで取り込んでいた時、たまたま本箱の片隅に土門拳記念館で購入したポストカードが片隅から出てきた。10枚の程のポストカードの中に目についたのがこの「西芳寺 孟宗竹林」(1965)である。このブログをはじめて1年目くらい2010年5月ごろに土門拳を取り上げていた。しかしこの作品は無視していた。
 いま見るととても落ち着いた雰囲気が伝わってくる。降り積もった竹の葉と孟宗竹の6本の根元近くが写っているだけである。が、竹の緑がいろいろな表情を見せていてとても惹かれる。慌ただしい時にふと心にこのようなものが入ってくる一瞬というものは捨て難い時間である。そしてその時に心に触れた美しさというものは忘れがたいものである、と確信できる。
 私はこのような一瞬というものは大切にしたい。たとえ忙しくて頭がパンクしそうでも、また時間が押していても、こういう時は少しの時間でも立ちどまっていたい。


セキセイインコはほぼ回復

2015年09月15日 22時26分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼前に横浜駅に集合して、約30名の仲間と日比谷公会堂での集会に参加した。例年は銀座に繰り出すデモで社会保障の充実などの訴えを行うのだが、今年は安保法制や労働者派遣法・労基法の問題で国会周辺のデモと集会に切り替えられた。安保法制についての夜の集会の前段に連合の退職者会としての集会も行われ、そのまま夜の集会まで周辺で待機して、集会に参加してきた。
 そしてようやく国会周辺から帰宅。云いたいことはいっぱいあるが、感想や主張は今のところはツイッター上のリツイートに任せてもらうことにしている。
 この報告を夜中過ぎまでに退職者会のホームページにアップして本日の作業は終了の予定。明日以降の予定はまったく立たない。

 さて、昨日アップした「琳派と秋の彩り」展の感想のその2は帰宅が遅くなったので本日のアップは明日以降に延期。ひょっとしたら来週に持ち越しの可能性も出てきた。
 といっても尾形乾山と鈴木其一、そして菱田春草の若干の作品の感想を上げるだけで精いっぱいである。なかなかすべてを論じるだけの力量はない。少しずつ作品に触れる機会を増やしていくことさえ出来れば嬉しい。そんなに偉そうな感想を記すほどの知識を蓄積することはこの歳ではかなわないことである。

 メスのセキセイインコの回復はかなり順調だとのことである。本日は妻に病院まで連れて行ってもらった。わずか3日でそれなりに回復しているらしい。確かに元気が出ている。昨日までは止まり木に止まって静かにしていたが、先ほど籠を覗いてみたら盛んに動き回っている。気が強い性格なので、何事につけ気に入らないと籠にぶら下がっているブランコや餌箱に八つ当たりする。それらを突っつくのだがそれを繰り返している。いくどかそれを繰り返すと落ち着く、そんなことを繰り返している。
 睡眠時間なので風呂敷を籠にかけて少し暗くして寝かせなくてはいけない時間になった。おとなしく寝てくれるとありがたい。

山種美術館「琳派と秋の彩り」展(その1)

2015年09月14日 23時25分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 山種美術館で開催されている「特別展琳派400年記念 琳派と秋の彩り」展のブロガー内覧会(9.12)に参加した。
 内覧会は山種美術館の山崎妙子館長の説明で開始。なかなか歯切れのいいわかりやすい説明をいただいた。なお、館長の後ろの作品は鈴木其一の「牡丹図」(山種美術館蔵)。
 私の目的というか、展覧会の第一印象は12日の記事にもアップしたけれども、会場に入ってまず酒井抱一だと感じた。



 会場に入ってすぐの作品は俵屋宗達と本阿弥光悦の合作である「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」であるが、「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)を記している。私の好きな歌である。書の座り具合、画面上の金地、下の銀地らしく思われる彩色などは好きであるが、鹿の姿態がどうしても好きになれない。多分私の理解力というか鑑賞能力がまだまだ不足していると思うしかない。



 しかしこの作品に反対側の作品に眼を移すと、途端に圧倒されるような感触を味わった。まず目に入ったのが、酒井抱一の秋草図。詞書きは「七色の露も‥‥園の色」と読めたが、間が残念ながら読めなかった。野ではなく園というこだわりが何を意味するかは分からないものの、鮮やかな印象にビックリ。ただし朝顔と月だから時間は無視されている。この作品は私は初めて見たように認識した。月に重なる芒、中の白い花、女郎花の微かな黄色、朝顔の紫、葛の赤紫、一番下の撫子の赤と色彩が細やかで鮮やかである。
 誰かのことばで酒井抱一はさすがに後々までも残る高価な絵の具を調達できていた、というのを記憶しているが、確かにそのように感じた。



 さらに3枚の抱一が並んでいる。3枚の中で私の一番気に入ったのは月梅図。枝ぶりがどこかで見たように感じて思い出そうとしたが思い出せずにいたら、解説をしてくれた山崎妙子館長から抱一は若冲を見ていた可能性が高い、これは若冲の梅の枝を模しているのではないかという趣旨の話をされていたと思う。「若冲と蕪村展」の図録をめくると月を配した作品に「月夜白梅図」があるもののこれは白梅が画面いっぱいに咲き誇り、趣きが違う。アメリカにある「梅花小禽図」、あるいは水墨画の「草花押絵貼屏風」(1780)などの梅を彷彿とさせる。
 彩色画ではあるが、水墨画風の感じがする。また月の周囲には白梅、その下側に紅梅、それも淡い色の紅梅を配するあたりも、酒井抱一ならではの構図に細心のこだわりを持った作品ではないかと思うのだが、どうだろうか。



 隣に「菊小禽図」は菊の白・黄・赤の色彩が鮮やかなのだが、赤に小鳥が紛れてしまっている。赤が少しくどいと感じた。しかし描き方はとても丁寧である。酒井抱一はこの丁寧さが何ともいえずいい。



 その隣が「飛雪白鷺図」である。これは構図も色彩もとてもいい。鷺の白がとても印象深い。転々と振る雪が鷺の白に溶け込むようで溶け込まずに、不思議な均衡を感ずる。中央でX型に交わる枯れかけた細い草の茎が上下の白い鷺をうまく結び付けている構図、そして右下の枯れかけた黄色の多分菊の花も印象的である。



 今回の展示の大きな目玉の作品が、酒井抱一の「秋草鶉図」。これはさすがにため息が出た。月は銀が黒く変色したものと思い込んでいたら、解説ではもともと墨で黒々と描かれたいたという。確かに銀よりは緑がひきたつのかもしれない。
 これは屏風だからやはり下から見上げるように見ていると鶉5羽がとても仲がいいことにまず気がつく。同時にこの三角形を形作る5羽の鶉は、一連の動作のように描かれている。一番左下の地面に顔をつけてすっかり伸びたような鶉から右上に少しずつ立ちあがって行く。そして一番上にいる鶉は羽を伸ばして飛び出すようにも見える。右下の鶉はそのような運動には目もくれずひたすら餌をついばんでいる。この5羽の鶉の姿態は見ていて飽きることがない。
 さらに下から見上げるように見ると黒く塗った月が不思議に違和感がない。芒の穂の金色が月を奥にして、手前に浮き上がって見える。同時にその一群の芒に奥行き感が生まれるように感じた。これは予想外の不思議な感覚である。その錯覚を確かめながらしばらく下から見上げていた。同時に鶉の三角形が向こうへ奥行きのある三角形にも見えてくる。紅葉の葉の赤がアクセントとなってそこの部分を手前に見せる効果があるのかもしれないと感じた。

 他の抱一作品で「仁徳帝・雁樵夫・紅葉牧童図」なども眼を曳いたが、ちょっと異質な作品に見えた。

 掲載の作品は図録より。すべて山種美術館蔵の作品から。

阿蘇山が噴火

2015年09月14日 11時12分01秒 | 天気と自然災害
 先ほど阿蘇山の噴火のニュースが流れた。災害が連続している。噴火のニュースも続いている。災害が押し寄せ、個人の資力も、自治体や国家の財政もますます苦しくなっていく。財政の活力も無くなっていく。
 江戸幕府の財政は幕末の地震や飢饉という自然災害で追い打ちをかけられるように破たんしていた。西欧列強が日本に押し寄せてきたころ、江戸幕府は財政破たんで全国支配のタガが緩み切って、修復不能の状態ではなかったのか。
 昔中学生だったころに日本史の先生にそんなことを教わったような気がする。今の研究水準はどのようなものなのかはわからない。またどのような教え方をしているのかもわからない。

 東京新聞のサイトでは【http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015091401001143.html
 気象庁によると、14日午前9時49分ごろ、熊本県の阿蘇山が噴火した。これを受けて政府は、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した。また気象庁は、阿蘇山噴火について、8月の運用開始後初めて「噴火速報」を出した。従来の規模を上回る噴火時などに発表される情報で、気象庁は周辺住民に噴石や噴煙への警戒を強めるよう求めている。
(共同)
 NHKによる動画はこちら。
https://twitter.com/nhk_seikatsu/status/643236435332435968


 何年か前に休暇を取って熊本から別府までの旅行をしたことがある。そのときバスで加工を覗いた記憶がある。シェルターがいくつもあるその場所がテレビに映っていて、あらためて怖いと感じた。今回はその近辺にいた人に被害はでなかったのであろうか?

日比谷公会堂

2015年09月14日 10時35分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日と明日は労働組合の退職者会の全国集会。屋内の集会後はアピールのためのデモが例年行われる。
 私の属している退職者会も例年30名近くが参加する。これが楽しみという会員もいる。高価なお弁当が出るわけでもないし、交通費の実費が出るだけなのだが‥。本日は日本教育会館、明日は日比谷公会堂で開催される。
 日比谷公会堂というこの歴史的な建物の、ひんやりした石造りのロビー・暗く狭い階段、低い天井などマイナスイメージであるものの雰囲気としてはなかなか捨てがたい。
 1階にあるレトロ感いっぱいの「アーカイブカフェ」の展示コーナーはいつ行っても変わることはないようだ。この建物の歴史的な集会が記された年表を見ていると、時代の雰囲気が伝わってきて好きである。今年はまだ開業しているのだろうか。何か記念グッズでも購入しようかと例年思うが、そのようなものは普段購入したことがないので、いつも手に取って見ることはするものの結局やめてしまう。記念グッズというものを飾っておくという習慣が我が家ではあまりない。
 大規模改修が来年度から始まるらしいので、来年度は別の会場になると思われる。


本日の業務終了、マーラー「交響曲第4番」

2015年09月13日 23時23分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 マーラーの交響曲第2番はもう何度も続けて聞いたが、やはり感想が上手くまとまらない。印象がうすい、というよりもひとつの曲としてまとまった印象が浮かんで来ない。
 とうとう諦めてしまった。これまで幾度か聴いて、印象の良かった交響曲第4番を聴くことにした。本日は作業をしながら1回聴いてみた。とても懐かしい旋律が嬉しい。
 この曲ならばそれなりに感想をまとめることができそうである。

 さて、ようやく本日の業務は終了。一時はどうなるのかと、悲鳴が上がってしまったが、何とか本日中に終わらせたかったことは形になった。
 まず医者に連れて行ったメスのセキセイインコは糞がまだとても通常のものに戻っていないが、食欲は少し戻ってきたように思われる。じっとうずくまってばかりいたのが、夜になって少し動き回るようになってきた。このまま順調に回復するとうれしいのだが‥。
 ふたつの業務もとりあえずは順調に片付いた。
 しかしさすがに草臥れた。

予定どおりには行かないばかりか、仕事が怒涛のように押し寄せてきた

2015年09月13日 15時18分42秒 | 読書
 どうも予定どおりには進まないようだ。
 ブログにいくつか記事を掲載しようと思っていたのだが、朝起きてみたらメスのセキセイインコがまったく元気がない。昨日までは特に変わった様子は見られなかったのだが、糞が白くて塊がない。止まり木に止まって動かない。いつもヤンチャで元気いっぱいな鳥なのでびっくり。この間具合の悪かったオスは元気となって安心していた。今度はメスということで慌てた。日曜日も開業している小鳥専門の病院までは40~50分はかかる。
 妻に予約を任せて、私は団地の管理組合の諮問機関の会議に出た。しかし思ったより時間がかかって、妻だけで先に病院に連れて行った。妻のお昼用のサンドイッチを購入して病院に着いたのが13時前。ちょうど診察が終わったところ。対処方法と薬の飲ませ方などを教わり先ほどようやく帰宅できた。

 しかも5時には再び人と会うために家を出なくてはならない。

 昨日の国会前の行動の結果を退職者会のホームページにアップすることと、一昨日の取材の報告記事の原稿をつまくる作業を、合わせて二つともあと2時間以内に完了することはとても無理。後者の仕事を先に片付けることが優先度が高い。
 しかし前者もこれから4日間毎日ホームページを更新しなくてはいけない状況なので、本日中に片付ける必要がある。どういうわけか一挙に仕事が押し寄せてきてしまった。

 「俺は退職して現役を離れたのだぞ」と、開き直りたいものであるが‥。

山種美術館「琳派と秋の彩り」展ブロガー内覧会に参加

2015年09月12日 23時08分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は「青い日記帳×山種美術館 ブロガー内覧会「【特別展】琳派400年記念 琳派と秋の彩り」(@山種美術館)をリアルタイムでレポートしよう!」に参加した。詳細は後日にアップする予定。


【山崎妙子館長の説明 後ろの作品は鈴木其一の「牡丹図」(1851) 山種美術館蔵】



 久しぶりに恵比寿駅で下車し、山種美術館に向かった。途中いつも気になるぐるぐる回されて目の回る歩道橋である。
 本日はこの歩道橋の安全性を論ずる場ではないが、この歩道橋を渡るたびに、これはセンスがないばかりかぐるぐる回されて見通しがきかないので人とぶつかる確率の極めて高い危険な歩道橋であると思う。誰が考えたのか、また誰が設計を承認したのかはわからないが道路管理者としての資質に疑問を感じる。改修が早急に必要と思われる。ということだけは述べておきたい。ぐるぐる回る階段での人と人の衝突事故の責任は設置した道路管理者が問われるべきだと思う。

 さて、始めに記したとおり詳細は後日に掲載するつもりであるが、今回の「琳派と秋の彩り」展のメインは私は何といっても酒井抱一の作品9点だと思う。まず階段を下りて展覧会場に入ってすぐ右側に酒井抱一の色の鮮やかな作品が並ぶ。これを見た瞬間に酒井抱一に的を絞って報告をしようと決意した。保存状態のいい作品、そして使用した絵の具が酒井抱一だけあって高価だったのではないか、と思ってしまった。至福の2時間を過ごすことができた。
 そのほかには私の好みである鈴木其一の3点、そして今回あらためていいと思ったのは、尾形乾山である。尾形乾山では今回は私には読めないものの絵に添えられた和歌を描いた書がとてもいい。柄とのバランスだけでなく、書自体が美しいと読めない私でも思う。これは今回の展示の私なりの収穫であった。
 廉価で嬉しい図録といくつかのポストカードを購入することができた。


今朝の地震

2015年09月12日 10時54分54秒 | 天気と自然災害
 明け方5時49分の地震にはびっくりした。縦揺れで自然と目が覚めた時にはもうすでに難病化は経っていたはずである。目が覚めて地震と認識するまでに何秒かかったのだろうか。そして地震にはいつもかなり鈍感な我が家のセキセイインコがバタバタしていた。私が目が覚めた時とバタバタし始めた時とがどの程度のタイムラグがあったのかわからないが、だいぶ怯えていた。10秒ほどして少し揺れがおさまったように感じてから、セキセイインコのところに行って声をかけて部屋を明るくしたら落ち着いた。私の顔を見て落ち着いたのだから、慣れない方のインコも落ち着いたのだから、それなりに信頼はしてもらっているようである。

 さて今回の地震については【http://www.jma.go.jp/jp/quake/20150912060012395-120549.html】に最低限の情報が載っている。深さ70キロ、マグニチュード5.3となっている。
 震源の位置は川崎市と羽田空港の直下70キロと意外と深い。最大深度5弱を記録した調布市よりも私の住む横浜市東部の方が直線距離にしたら近い。といっても深さ70キロの震源からの距離では大差はない。
今回の地震の揺れ、直下型の地震の揺れの破壊力の大きさを実感したように思う。
 振幅の大きい縦揺れ、そして小刻みな周期の短い大きい揺れが特徴である。地震の規模のマグニチュードの値が同じでもこれがもっと浅い震源ならば振動の破壊力はもっと大きいのではないだろうか。
 もう少し強い振動ならば、そしてもしも立っていたら、あの振動のエネルギーは腰におおきな負担をかけると思った。腰に力のない人は瞬間歩けなくなったり、ガクッと倒れるかもしれない。腰を痛めてしまう可能性もある。繰り返しになるが、直下型地震の怖さをあらためて実感した。政府機関の想定している首都圏の直下型地震がマグニチュード7クラスといっているが、深さや伝わり方によって揺れの仕方はさまざまであるので、一概には言えないが想定の地震が起きればかなりの被害と思われる。

 次に思ったのが、マグニチュードの割には揺れた範囲が広いということである。名古屋から宮城県北部までの太平洋岸である。ただし日本海側には新潟県の中央部を除いて伝わっていない。長野市から信越本線沿い、関川に沿って震度1が観測されている。これもまた不思議である。地震を観測した地域は谷川岳から苗場山などの関東と日本海側を隔てる山脈を越えてはいない。
 7時50分の発表では深さが57キロと少し浅くなり、マグニチュードも5.2と訂正となった。【http://www.jma.go.jp/jma/press/1509/12a/kaisetsu201509120750.pdf

 調布市内では水道管の破裂の情報があるとのこと。現役の頃、震度5を超えると地下埋設物への影響が出てくると云われたことを思い出した。特に小規模の管が入っている水道管とガス管は怖い。また下水道管は継ぎ目は水道管・ガス管と違って弱いので地震でつなぎ目がずれる可能性が高い。直下型の大きくて周期の短い地震波と地下埋設物への影響など考えだしたら切りがない。