Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

腕まくり

2015年09月25日 12時28分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 寒い雨模様の日である。夜中から雨が本降り、雷は鳴っていないのでほっとしていたら、朝テレビの画面が時々ちらついた。雷のためか、もっと高層の大気に対する太陽風の影響かはわからない。雷注意報は発令にはなっていない。
 本日の予想最高気温は20℃ということで、長袖のシャツとズボンを着用してみた。いつものとおり長袖を久しぶりに着ると、左右ともに二の腕がどことなく煩わしく感じる。その上無意識に腕まくりをしてしまう。
 腕まくりというのが妻は嫌いたそうで、まくるなら半袖にすべきだという。腕まくりした格好というのが印象が良くないのだそうである。腕まくりというのがむさくるしく映るようだ。わからなくもないが、半袖から長袖に、逆に長袖から半袖に変わる季節というのは「しょうがないんじゃないの?」と私などはまったく気にしない。
 だいたい着るものにまったく執着しないというか、おしゃれなどというものに無縁で60数年過ごした者にとっては、服装というものを考えること自体が面倒である。もっとも妻もおしゃれというものには疎い方だし、派手なものや、着飾るということが嫌いである。つまり本当はどっちもどっちなのである。二人共アクセサリーというものを持たない主義である。

 さて本日は眼科と内科にいづれも薬の処方をしてもらいに出かける必要がある。雨の中で歩くのは億劫だが、やむを得ない。

伊藤若冲の鶏図

2015年09月24日 20時47分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日電車の中で「モチーフで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)を読んでいたら、次のような指摘があった。
 「鶏」の項で「若冲の描く鶏は、人間以上に風格と威厳がある。単に神聖な対象を描いたというより、いくつかは画家自身の自画像のようにも見えてくる」とあった。取り上げている作品は「仙人掌群鶏図」(1789)である。この作品は晩年の作品である。残念ながら「若冲と蕪村」展では展示されてはいなかったが、文庫本に取り上げられている図版を見る限りなるほどと思った。ただし晩年にしては諧謔味やとぼけた味わいが感じられない。鋭いまなざしで不羈の面構えと踏ん張りで力がこもっている。



 「若冲と蕪村」展では晩年の彩色の雄鶏図は展示がなかった。晩年の水墨画の「釣瓶に鶏図」(1795)はすでに取り上げているが再度掲載してみる。これは鶏の表情に若さは感じられない。それなりに歳をくったような表情でとぼけた味わいがある。

   

 そして「若冲と蕪村」展から初期の作品に分類されてた作品から目についた2点を取り上げてみる。水墨画の「粟に雄鶏図」は比較的雄鶏を大きく主役のように描いている。表情は特にりりしくは描いていないが、目が少しとぼけたようなひょうきんな感じである。
 一方で彩色画の方はきつい眼をしている。
 若冲は水墨画と彩色画で同じ対象を描くにしてもその表情を変えて描いた可能性もあると思う。どちらかというと水墨画は力を抜いて諧謔味があり、ひょうきんでとぼけた味わいを追求したのかもしれない。彩色画は描かれている動物の視線も姿勢も人を恐れない不羈の表情をして威厳すらある。若冲という人の二面性を物語っているのであろうか。
 宮下規久朗氏が指摘したのは、彩色画の方である。自画像というのはなかなか魅力的な指摘である。若冲晩年の鶏図を見る機会があったらこの指摘を忘れずに鑑賞してみたいと思う。

「モチーフで読む美術史2」(宮下規久朗)

2015年09月24日 08時47分18秒 | 読書
   

 昨日読み終わったのは「モチーフで読む美術史2」(宮下規久朗、筑摩書房)。電車の中での読書用にリュックの中に入れておいたもの。どちらかというと疲れた時に読む感じでのんびりと読み継いできた。たまたま「2」の方を先に購入したが、「モチーフで読む美術史」の方はこれから。
 「雲」以降は解説の量も図版も多くなる。この程度の解説で全体が構成されていたらなお、嬉しかった。「波」の項は楽しめた。
 図版は多いけれども、どちらかというと百科全書的な内容なので辞書的に利用させてもらうのがいいかもしれない。


土門拳「法隆寺西院回廊列柱礎石」

2015年09月23日 07時30分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「法隆寺西院回廊列柱礎石」(1961)を見たとき、礎石と柱の根元にある細く平行な横の縞模様に吸い寄せられた。大げさかもしれないが本当に釘付けとなった。
 多分回廊に縦の細い板が細かく並んでいる部分から漏れている光である。回廊そのものは記憶にあるが、柱の根元を見た記憶がない。もっとも見たのは30代初めの頃だから、30年も前のことである。そのころはそのような視点を持っていなかった。
 写真の世界はほとんど興味はなかった。絵画を見るのは好きだったが、画家に「美」を提示してもらって眺めるという域を出なかったと思う。
 もう一歩踏み込んで自分から「美」的なものを探して見る、という気持ではなかった。いい風景や建築物を見てもぼんやりと眺めていては自分なりの感動を得ることはできない。自分の中に感動として取り入れることはできない。
 この細い明暗の線が、地面の起伏に沿って微妙な曲線を描きながら大きな礎石と柱の間を縫って伸びていることに、この建物を設計したり、実際に造った人間の美意識というものが映し出されていると思った。
 設計者や職人が手を直接触れて造った構造物だけに美があるのではない。それらが光を受けて地面につくる影、自然の樹木の中に占めるそれらが占める景色、水に移る影、それらを実際に使用する人々の意識の中に静かに痕跡を残すことで美が美として生きてくるのではないだろうか。
 またこれらの構造物の美が反映している場面を時間を経ても再発見する行為もまた「美」を生む行為でもある。私はそれらをいつも満喫したいと思う。実に図々しくかつ贅沢な心情である。水墨画に似ているといわれる写真のモノクロームの世界が、これだけの強い光と、石と柱の重みを表現できるということに、あらためて驚きである。水墨画もモノクロームの写真も違いは大いにあるが、提示する世界はとても広くて魅力的な世界である。
 またこの作品は文庫本サイズで見るのではなく、大きく引き伸ばして見たいものである。

明日は代々木公園へ

2015年09月22日 23時41分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は11時横浜駅集合で代々木公園へ。単組の退職者会として26名もの参加予定者がいるので、責任者ではないが役員としては体だけ持って行けばいいというわけにはいかない。渋谷駅から代々木公園まで徒歩で20分ほどだろうか。集会後デモもある。
 仕事としては、参加者のチェックと、会報に掲載用並びにホームページ作成用に必要な写真撮影や資料の収集、渋谷駅から公園までの移動の安全確認と事務連絡の伝達‥といつものパターン。だいたい集会が終わると疲労困憊であるが、デモがあるとなると解散地点まで息が抜けない。
 デモが無事解散地点まで行けば、帰路は各自の責任で無事帰ってもらうしかない。解散後はいつものとおり、大体が10人くらいの集団で居酒屋に乗り込む。一人3000円前後で2~3時間楽しんで終了となる。出来れば4000円にはならないで欲しいと思ってはいるが‥。
 しかしこの解散後の、渋谷や新宿や新橋、東京と普段行くことのないターミナル駅で楽しむというのが、行動参加の主目的となっている。これが退職者会の元気の素でもある。現役の頃よりも顔を合わす機会が多い。

墓参りは無事終了

2015年09月22日 21時04分53秒 | 山行・旅行・散策
 陽射しが強くて暑いくらいであったものの、湿気がないので多磨霊園の太くて逞しい樹木の影を歩くととても気持ちが良かった。行きは霊園中央までタクシーの分乗、帰りは茶屋までは歩き、そこからはバスを利用して武蔵小金井駅まで。
 秋の彼岸なのでバスも霊園の中も混雑しているかと心配したが、さすがにひろい霊園のため人はまばら。バスも余裕をもって座れたので助かった。往路のバス通りが若干渋滞した程度であった。中央線もいつものとおりの混みようで、行きも帰りも3姉妹は座ることができた。
 お墓では枝が伸び放題だったユスラウメとナンテンを大胆に選定をしてスッキリとさせた。随分と風通しもよくなり、重なり合った枝も無くなった。
 しかし腕の筋肉がだるくなってきた。

土門拳「法起寺遠望(三井新田より)」

2015年09月22日 20時34分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「朝早くお寺に行こうと、野畑(のばた)という田圃を寝惚け顔で通りかかったとき、真っ青な竹林の向こうに三重塔が霞に煙って、小さく遠くに見える風景を発見したのである。「これだ」と掛声ももどかしく、カメラを組み立てて撮影にかかった。撮るものが駆け足で逃げて行くような思われて、われにもなく慌てふためいて「もう一枚、もう一枚」とシャッターを重ねに重ねた。」
 文庫本からスキャナーで取り込んだが、ページの境目の糊が写ってしまった。残念なだが、許してもらうしかない。
 この作品、見た瞬間水墨画のように感じた。画面全体が単色で手前の広葉樹の濃い色がとても印象的である。本来ならば濃い墨で描かれるべき主題であるお寺の三重塔が霞んでいる。また右側の中央に先端だけ葉の茂った木の造形も印象的である。それは濃い色の手前の樹木の上にすっと立っているためにいっそう印象的である。三重塔と左右でバランスを取るかのように塔と拮抗している。葉が上だけにある樹と濃い色で写し込まれた手前の樹、それと三重塔の重みが釣り合っている。
 私もいつかこんな写真を撮ってみたい、と思わせる作品だと思う。


本日は多磨霊園に墓参

2015年09月22日 09時52分49秒 | 山行・旅行・散策
 本日は多磨霊園に墓参り。合計262歳のそれぞれに独り暮らしを続ける3姉妹を同伴して行く。車椅子など使わずに自力でちゃんと待ち合わせの武蔵小金井駅まで来てくれる。一昨年までは武蔵小金井駅から歩いて多磨霊園中心部のお墓まで行った。約20分ほどを歩いた。が、昨年からタクシーに分乗して茶屋経由でお墓に行くことにした。それでも昨年は帰りは歩いた。今年はどうするか。まだ考えていない。
 従妹と私ども夫婦が付き添いである。天候は快適、雨模様でなくて助かった。


本日のお酒「松みどり」

2015年09月21日 22時36分52秒 | 料理関連&お酒
   

 結局本日はウォーキングはサボり。横浜駅まで歩く途中にある喫茶店でランチとコーヒー、そして横浜駅のスーパーで買い物につきあい、お酒を購入したあとは書店で立ち読み。その後は家電量販店をぶらぶらして帰宅した。
 本日は豆乳鍋と、スーパーでカゴにそれとなく忍び込ませた鮭の塩麹漬けに日本酒。本日は神奈川県の地元のお酒(神奈川県松田町)。「松みどり」という中澤酒造のお酒。
ホームページを見ると「文政8年創業。小田原藩の御用商人として小田原城にお酒を届けていたが名前がついておらず、藩主より松田周辺の景勝にちなんで酒名「松美酉」を賜った」「昔ながらの麹造りに始まり、ふねによる上糟まで全量手造りにこだわり取り組んでいます」と記載されている。この蔵元の11代目は私がよく飲む「一ノ蔵」で修業したとのことも記載されている。何となく親しみを覚えるものである。
 やや辛口といわれる+2~+3の日本酒度ということであるが、「濃醇・辛口」の分類になるのだろう。あっさりとした肴があうのかもしれない。このお酒の肴としてはこの鮭の塩麹漬けは味が強かったようだ。といっても特に舌に違和感はまったくなく、美味しくいただいた。

土門拳「般若寺石造十三重塔双輪」

2015年09月21日 21時32分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 土門拳のこの1961年の作品を見たのがいつの頃であったろうか。2010年にこのブログに土門拳の作品を続けて取り上げた頃だろうか。これをマネして似たようなものに挑戦したことがある。あるいはもう10年以上も前だったかもしれない。しかしいくら真似をしてもなかなかうまく撮影できない。写真機の性能にもよるだろうが、やはり腕がまったく違う。
 特に下の草の部分のピントがなかなか合わない。双輪の少し手前から双輪までピントが合っていなくてはいけない。似たような構図で、この範囲でピントの合う絞りの値と、実際の双輪までの距離感とが一致する撮影位置が見つからずに諦めてしまった。無論基本的なカメラについての知識が不足もしていたと思う。
 双輪にあたる夕日の柔らかい光線の具合もうまく表現できなかった。そして絞りを開放に近づけて双輪をより浮き立たせると草の部分がつまらなくなる。
 構図と絞りの関係からするととても微妙な関係と感じた。さらに双輪が中央よりも左にあるのがとてもいい位置であるとも感じた。真ん中にあるよりも太陽に面した明るい部分が広い方が、開放感がある。
もう少し写真についての基礎知識が必要だと思ってそのまま真似をするのをあきらめてしまった。あきらめがいいというか、執着心がないというか、作品をつくるということに熱中することができない自分の性格が今でも嫌になる。

本日は休養日

2015年09月21日 11時56分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はまったくの休養日となった。朝からボーっとするようにSF小説などを取り出している。天候はとてもいいしのぎやすい。ウォーキングにはうってつけであるものの、横浜駅界隈で飲む一杯のコーヒーの誘惑も捨てがたい。
 昨日は横浜で開催された、集会とデモに参加。明日は墓参りに武蔵小金井駅まで出かける。混雑していないように願いたいものである。明後日は代々木公園まで、退職者会として参加する集会とデモに出かけることになっている。
 最近は東京での集会に退職者会が参加する機会が多い。会計年度は4月からではあっても年間たった3000円の会費なので、到底交通費など出せる状況ではとっくになくなっている。
 まあ顔を合わせるのが楽しみと云えばそれだけだが‥。この間はほとんど毎日顔を合わせる会員がいた。退職後の姿としては悪いことではないのだろう。こんな状態になるとは退職した時は想定していなかった。

土門拳「瑞巌寺廊下内部」

2015年09月20日 13時02分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この「瑞巌寺廊下内部」は土門拳が1975年に瑞巌寺を撮影に訪れた時の一枚である。本当は土門拳の作品よりも右側のほんの少しを切らせてもらった。本の折り目でどうしてもスキャナーでボケてしまったからである。左右対象から文庫本の大きさで5ミリほど割愛させてもらった。横の広がりが詰まって見えるのはそのためである。勘弁してもらうしかない。
 さて土門拳はその「撮影記」でつぎのように記している。
 「30年来という大雪にすっぽりと包まれた瑞巌寺は、想像を超えるすばらしい景色であった。杉並木の、そして庫裏の屋根の、真綿のような雪がやわらかく光を照り返すさまは、ほのぼのと温かく、手足は凍えているのに、かぜか心が和むのであった。この温かい光が雪をすぐに溶かしてしまうのではないかと気がせき、光を追いかけ追いかけ、シャッターを切ったのである。」
 庫裏の内部も同じようなことが言えるのではないだろうか。雪に反射し光と、直射日光が障子越しに柔らかく感じられる。廊下も雪の季節の寒さとは思えないように柔らかい陽射しを反射して柔らかそうな波を打っている。
 実際はさすがに冬だからきりっとした空気が張り詰めているのだろうが、それを感じさせない。
 雪というものは土地土地によってイメージも働きも少しずつ違う。大まかな私のイメージでも南東北と北東北、北海道で違いがある。日本海側と太平洋側でも微妙な差がある。北東北の太平洋岸の雪のイメージは私にとっては、身を切るような乾燥した寒風に混じって厳しく顔を切りつけるような雪である。家の中も温まることなどなく吹き抜ける。春が近くなってもやさしさからは程遠い。
 だが、南東北の雪はどこか柔らかく暖かい所がある。雪が降った翌日の陽射しは暖かい。やわらかく雪を溶かしていく。家の中でも陽射しがやわらかい。
 あくまでもイメージだから実際は厳しく低い気温と強い風に苛まれることの方が多いのだが、それでも雪に対してどこかそっとやさしく受け入れる姿勢が地元にはどこかある。それを感じる。
 この写真作品、人々が歩いて、磨いて黒光りする廊下と、上部の屋根を支えている太い横木の光を反射しない黒々とした塊の対比にまず目がいく。規則的なようでいて不規則な繰り返しを見せる波のような廊下、と幾何学的な天上の横木は特に特徴的だ。その次に左右と奥の白い壁、障子をとおして入ってくる雪の日の朝の柔らかそうな光。
 左右対称のがっちりした構図、教書のような遠近法の消失点にある白い壁、どれをとってもあまりに安定した構図で面白味がないと直感するが、微妙な光を見つめていると見飽きることがない。きっと波のような廊下の揺らぎがそうさせているとおもう。
 これがおなじように寺の内部でも、北陸の永平寺や、北海道の日本海側、あるいは北海道の東側、下北方面などで抱く感想は違ってくると思う。

シルバーウィーク

2015年09月20日 00時37分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世の中、シルバーウィークということで5月の連休と同じく最低5連休ということなのだそうである。2回目の大型連休ということで旅行会社や温泉・宿泊施設など大きな需要が目論稀ているとのことである。世はどこもが観光資源に飛びつく。大きな経済効果を見込んでいるという。しかも暦の関係からは外国からの観光客ではなく、国内で働く人の需要増を期待している。
 だが果たしてそれだけの効果を生むであろうか。世の中、暦通りの勤務の人の割合はとても低下している。労基法の適用の「緩和」が進んだのが原因と云っては即断過ぎるかもしれないが、かなりの職場が交代・変則勤務になっている。工場のラインも24時間の稼働が当たり前になっている。商店も長時間営業でほとんどが交代勤務である。
 長時間勤務が蔓延している時代、そう簡単には皆は長期のまとまった休みを取得して旅行に行くことはないのではないか。

 もっとも遠出をしたり、贅沢な旅行が幸せの実感かというと一概にはそうはならない。近場の公園で時間的なゆとりをもった家族団欒がもっとも好ましいと思う風潮も大切にしたい。
 本当は暦の上で強制的に休みを取らせるという施策よりも、有給休暇をもっと自由に取得できる労働環境の整備、国民的コンセンサスの方がもっと大切なのではないか。働く人が、時間のより自由な処分権を手にする方が、満足感はあるはずだ。
 観光地や遊園施設の混雑もより平準化するのではないだろうか。


土門拳「薬師寺金堂薬師如来坐像」

2015年09月19日 23時17分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 土門拳「薬師寺金堂薬師如来坐像」(1961頃)が掲載されている小学館文庫から第2巻から選んでみた。
 文庫本では見開きの左側の頁に薬師如来の全体を写した作品があり、左側の頁にこの作品がならんている。これがこの頭部ばかりの大写しならばすぐに仏の顔であると認識するのはなかなか難しい。
 これは右側の作品の頭部を拡大したものでもない。現に照明の反射の白い部分の位置が違っている。頭部だけ別に撮影したことがわかる。
 黒光りする飴のような艶を持つ顔をじっくりと見ていると、両方の頬の白い照明の反射が涙にも見えてくる。単に慈愛の表情だけではなく、我々を見る眼が憐れみの表情にも見えないだろうか。
 さらに彫りの滑らかな顔の凹凸が消えて、黒地に白い線だけが浮かぶ凹凸の無い作品にも見えてくる。顔が、顔という制約から抜け出て、左右対称の模様に見えてくる。
 凹凸をキチンを捉えて3次元的に見えるようにするのが、この手の作品の眼目からするとそれを否定しているようにも見える。あくまでも2次元の世界に拘るように見える。
 こんな鑑賞の方法はひょっとしたら土門拳という作家の意図を無視した、頓珍漢なのかもしれない。

新聞から2題

2015年09月19日 11時37分07秒 | 読書
敢えて引用のみ。これからひとりで外出。


★余録:秋の季語に「稲負鳥」がある…  毎日新聞 9月19日 朝刊

 秋の季語に「稲(いな)負(おおせ)鳥」がある。和歌の秘伝「古今伝授」が挙げる鳥の一つだが、正体は諸説があって分からない。藤原定家はセキレイ説、江戸時代の歌人・香川景樹はカワラヒワ説、同じく国学者の本居宣長はニュウナイスズメ説という(夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」)▲秘伝がらみで、正体は謎というのが、俳人の遊び心を刺激してきたのだろうか。そうそうたる歌人らが諸説をくり広げてきたのもおもしろい。なかには稲の種を背負って日本にもたらした鳥だという言い伝えもあるようだ▲さてこちらの「正体」については衆参両院の特別委員会で216時間の審議を経てきたという。聞けばこの安全保障関連法案、安保関係の法案審議で過去最長らしい。だから採決したと与党はいうが、審議すればするほどいよいよ謎が深まったのが実のところである▲審議では安倍晋三首相が日本人母子の乗船する図を掲げて説明した米艦防護は、邦人乗船の有無とかかわりないのが分かった。喧伝していたホルムズ海峡の機雷掃海は「想定していない」に変じた。説明していた「正体」が次々に消えてなくなって審議終了となった▲はなからまともな国民の理解や合意を求めていたとも思えない首尾である。安全保障は一部政治家と役人の「秘伝」でいいというのか。審議終盤になって政府の説明が次々にほころび、さすがに世論も気色ばんだところで首相から出た言葉が「今に分かる」であった▲平和が失われて「分かる」のではたまらないから、法案の成立がもたらす安保政策の変化は厳しく見守らねばならない。民主国家の統治機構に「秘伝」は無用だ。


★答弁で日本語壊された  高村薫    東京新聞 9月18日 朝刊

 安倍首相ら政府側の国会答弁によって、私たちの日本語が破壊されていった、という感じがする。政治家が言う「丁寧な説明」という言葉に、虫ずが走るようになった。「丁寧」が丁寧ではなくて、「説明」も説明になっていない。中身のない呪文になってしまった。
 一連の国会答弁は、一から十まで中身がなければ誠実性も欠いたもので、二種類の欺瞞でできていたと思う。
 一つ目の欺瞞は、事実ではないうその説明。日本人を乗せて避難してくるアメリカの艦船を防護できなくていいのか、という説明、これはうそ。ホルムズ海峡での戦時の機雷掃海の話も、当の駐日イラン大使がそんなことはあり得ない、と言った。あり得ないうそに基づいた説明を、堂々と国会の場で繰り返すことによって、集団的自衛権そのものへの不信を募らせた。
 もうひとつは、事実を隠すための不正確、不透明な文言。何とも結局説明がつかない、「存立危機事態」とか「後方支援」とか。事実をごまかす、隠すために不正確、不透明な文言でそれを説明するから、当然支離滅裂、意味不明なことになる。もともと不正確な文章というのは、いくら言葉を補っても正確な、明快な文章にはならない。説明すればするほど、ぼろぼろになっていくだけ。そういうものを私たちは聞かされ続けてきた。
 ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会答弁の場で言ってはおしまい。学問とか知識とか歴史に対する尊敬がなさ過ぎる。だからめちゃくちゃな日本語を使うんでしょう。
 揚げ句の果てに国民の理解が進まない、と。東アジア、中国の危機を国民は理解しないので、丁寧な説明をしてきたけれども、政治の責任で決める時は決める、というわけだから。ここまで言葉の論理や物事の筋道を軽んじる政治を私はちょっと想像できなかった。こんな政治があるんだとは。
 国会答弁というのは、やじも含めてすべて記録に残る。自分たちの一言一句が公式の記録として半永久的に残る、ということすらもう念頭にない。だからやじを飛ばせるんでしょう。そこまで国会をなめているし、政治をなめている、としか思えない。もちろん、国会をなめている、ということは国民をなめている。