Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

会議と作業と居酒屋談義と‥

2021年11月15日 20時50分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝からの会議と作業はなんとかいつものとおりの16時前に無事終了。1200通の封書作成は流れ作業でこなせるが、会議ではいろいろな意見が出て、それなりに充実している。意見が何も出ないよりも、ざっくばらんに本音の意見が出るほうが、会議は有意義である。それだけお互いに意見交換できる信頼関係がこの10年間で構築できているのがうれしい。

 会議終了後、楽しくいつもの中華居酒屋に三々五々集まってきて、さらに忌憚のない意見を述べながら、楽しく時間を過ごした。

 これより本日の会議で決まった日程をスケジュール帳に打ち込んで本日の作業は終了予定。今年は昨年よりも忘年会の予定は多い。昨年自粛した忘年会が、かなり復活してきた。この分では新年会もかなり復活しそうな気配である。


明日は朝から会議

2021年11月14日 23時06分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 印刷はまもなく終了。明日の準備が出来た。明日は退職者会の幹事会。奇数月なので、ニュースなどの発送作業があり、朝から大忙し。事前会議もいくつかある。
 終了後は、先月の作品展の慰労も兼ねて、居酒屋に繰り出そうという話が先月からあった。はたして実現できるか。
 何事につけても、慰労会、歓迎会等々と言い繕って呑み会にしてしまうのが、得意技のわが退職者会である。そして消費するアルコール類が半端ではない。どこが「高齢者」なのか、と参加している自分でもあきれている。ただし私はそれほど強くない。すぐに眠くなるほうである。


「仕事」終了

2021年11月14日 21時30分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ようやく「仕事」終了。いま原稿を妻に点検してもらっている。それが終われば80部の印刷はプリンターがやってくれる。なんとか本日中に印刷が終わる見込みとなった。

 昨晩は0時に入浴して、2時就寝。しかしなかなか眠ることが出来ず、少なくとも4時直前までは記憶している。
 結局ベッドを離れたのはいつもの8時半。睡眠時間が細切れだったので、疲れが取れず、いつもより30分は余計に寝てしまった。

 膝の痛みはだいぶ解消。午後遅くになってからサポーターをして横浜駅まで、バスで出かけた。規制解除明けの日曜日とあって、横浜駅の地下街の人出はとても多かった。
 昨日とおなじ6500歩余りで帰宅。幸い出かけたときより痛みはひどくなっていない。何とか明日は普通に歩けるようになりたいものである。


少し慌てて「仕事中」

2021年11月14日 14時19分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

  忘れていた退職者会の私の属するブロックのニュースづくり。慌てて朝から作成している。全体に配布する1100部作成の退職者会ニュースとは違い、80部ほどの部数。しかもA4両面なので、記事の量は半分で済む。
 今回のニュースで、忘れてはいけないのは80歳になった会員へのお祝いの記事。お祝いを送った時に返信されてきた近況報告などを掲載することにしていた。現職の時とは違い、なかなか顔を会わせることが出来ない退職者会の会員にとっては、大事な発信である。「あの人も元気なんだ」という記事は、退職者会にとっては一番大切なことである。
 とりあえずおもて面は出来上がった。うら面は、健康に関する記事などを寄せ集めて作る。おもて面よりは労力は少ない。
 今夜中に80枚の印刷を終えなくてはいけない。原稿さえできれば、これは我が家のプリンターでカラー印刷できる。最近のプリンターはこの程度の枚数の印刷は、安価でかつとても楽にできるのがありがたい。


九夜月

2021年11月13日 20時55分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

         

 本日は風もなく、穏やかな日であった。両ひざの後側が痛いので、湿布と膝のサポーターを併用しながらゆっくりと妻と歩いて、JRの駅の傍にある大型スーパーに出向いた。冬物の長袖のポロシャツがだいぶ傷んだので新しいものを購入しに行った。5枚を廃棄して本日購入したのは、3枚のポロシャツと1枚の開襟シャツ。通年で着ているランニングシャツも傷んできたということで、これも2枚購入。
 途中の緑道でヨコハマヒザクラとドウダンツツジの紅葉を撮ってみた。今年は桜の紅葉がいい。葉に黒くなったり穴が開いたり、というのが少ない。そして一枚一枚の葉が大きいような気がする。
 私の住む団地のソメイヨシノ、オオシマザクラはほとんど葉が落ちている。しかしいつもの緑道のカワヅザクラ、ヨコハマヒザクラはまだまだたくさん紅葉した葉が残っている。
 日差しは団地も緑道も変わらない。種類によって葉の散る時期が違うとすると、開花の時期の早い種類の桜ほど遅くまで葉をつけているのだろうか。その予測もまた違うように思う。何が原因なのだろうか。



 帰りがけに見つけた月は月齢8.6、九夜月という名がついているとのことである。


オンライン講座「ゴッホ展」

2021年11月13日 17時34分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日の午前中の美術のオンライン講座は「学んでから行く「ゴッホ展」 ゴッホの生涯と作品」という題で、たっぷりと110分。講師はいつも御世話になっている中村宏美氏。詳細なゴッホの作品年表も添えて資料を作ってもらった。いつも講座の資料は丁寧でたくさんの作品がならび、とても参考になっている。
 「ゴッホ展」は東京都美術館にて12月12日(日)までの会期で開催している。日時指定ではなくなったし、11月中の平日には訪れたいと思っている。
 講座によるととても充実しており、初期のデッサンも充実しているとのことであった。この展覧会はヘレーネ・クレラー=ミュラーの収集とクレラー=ミュラー美術館の収蔵品で構成されている。
 気に入った作品や展覧会の感想は、訪れてから記載するつもりでいる。今回の講座でとりあげた作品の中では、《糸杉に囲まれた果樹園》、《サント=マリー=ド=ラ=メールの眺め》、《サン=レミの療養院の庭》、《草地の木の幹》。また初期のデッサンの数々も見たい。
 作品として残っているものは死までのわずか10年になるかならないかの短い期間である。この間のゴッホの画風の確立に向かう変遷を追うことは、興味ある事である。

 なお、東京都美術館のホームページには、次のように記されている。
「フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の芸術に魅了され、その世界最大の個人収集家となったヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)。ヘレーネは、画家がまだ評価の途上にあった1908年からおよそ20年で、鉄鉱業と海運業で財をなした夫アントンとともに90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集しました。ファン・ゴッホの芸術に深い精神性を見出したヘレーネは、その感動を多くの人々と分かち合うべく、生涯にわたり美術館の設立に情熱を注ぎました。本展では、クレラー=ミュラー美術館からファン・ゴッホの絵画28点と素描・版画20点を展示します。また、ミレー、ルノワール、スーラ、ルドン、モンドリアンらの絵画20点もあわせて展示し、ファン・ゴッホ作品を軸に近代絵画の展開をたどる、ヘレーネの類まれなコレクションをご紹介します。さらに、ファン・ゴッホ美術館から《黄色い家(通り)》を含む4点を展示し、20世紀初頭からファン・ゴッホの人気と評価が飛躍的に高まっていく背景にも注目します。」

 またヘレーネの愛した芸術家の作品もいくつか並んでいるようで、オディロン・ルドンの《キュクロプス》(1914)も展示されているとのこと。これも是非直接目にしたい作品である。

 Bunkamura ザ・ミュージアムの「甘美なるフランス」展と、東京都美術館の「ゴッホ」展はまとめて見て回りたい。
 


冬の午後

2021年11月13日 09時43分28秒 | 山行・旅行・散策

      

 昨日はいつものコースで横浜駅までウォーキングをした途中で、数枚。空にはまだ秋の印象の雲と飛行機雲、道路脇の低木の植樹帯ではドウダンツツジの葉が赤くなり始めていた。今年はサクラモミジも葉が黒くなる面積が少なく、黄色がよく目だった。
 この3点を同時に写し込むことは難しくて、断念。カメラを持っていなかったので、いつものとおりスマホにおさめた。
 


「万葉の時代と風土」から「万葉の詩心」

2021年11月12日 21時30分57秒 | 読書

   

 本日読み終わったのは「万葉の時代と風土」の「万葉の詩心」。以下、まとめのような箇所を引用。

「日本人の思考自体が「重ねの構造」をもち、思考に対応することばも、重ねの文脈によって作られてゆくのではないか、と。重ねには、二つのものを他者としつつも、重ね得る同質性があり、かつ両者が構造体として別種のものを作るというのではなく、常に原質を保有しながら展開発展してゆくという性質がある。‥われわれの文脈に、このような重ねを具現させることばが、「の」なる助詞であろうということも、かつて述べた。「の」を「重ねの助詞」と呼んでみるのである。」

 引用した個所は難しいが、例歌を引用した説明はわかりやすく、納得できるものであった。

「東歌が集団歌として、よく古代和歌の典型を死す目と考えたからである。著名歌人を多く持つ万葉集の和歌は、もとよりさまざまに名歌をうんでいる。しかし本末を転倒してはならぬという気持ちが私には強い。万葉集を論ずるのに、少数派の芸術をもってするのもまた、片手落ちだという警戒心が私には強い。‥自然のもろもろと心情との重なりが、美しい万葉の詩を紡ぎ出していった源だと思われるのである。」

 


ウォーキング疲れか?

2021年11月12日 20時18分21秒 | 読書

 強風注意報が継続して出ており、風が強かった。しかし気持ちよくウォーキング。

 連日休みなくウォーキングを続けたためか、ちょっと太腿と脹脛の筋肉が疲労気味になった。無理をしてはいけないので、自宅から横浜駅までのウォーキングだけとすることにした。帰りはバスを利用し、二つ手前の停留所で降りて平坦な道をゆっくりと歩いてみた。痛みが少し出るのは、歩き始めだけであるが、用心に越したことはないので、ごくゆっくりと歩いた。汗をかかないので風が冷たかった。
 横浜駅近くの喫茶店では外のテーブル席は空いていた。風が向かい側のビルでさえぎられてほとんど風を感じなかったが、足を冷やすとまずいと思い、店内の席で読書タイム。
 中西進の「万葉の時代と風土」の中の「万葉の詩心」をほぼ読み終わった。久しぶりに充実した読書時間だった。

 来週もまたスケジュール帳は埋まっている。70歳というのはこんなにも予定が立て込む年齢なのか?と思いつつ、スケジュール帳が空白であることよりは幸せなことだと思うことにしている。
 


風が強い

2021年11月12日 13時07分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は、パソコンまわりの整理を少々行ったのち、「日本美術の歴史」(辻惟雄)の第5章「平安時代の美術」の「三 善を尽くし美を尽くし[院政美術]」の前半を読んで過ごした。

 午後からはウォーキングとコーヒータイムの時間。「万葉の時代と風土」をリュックに詰めて出かける。本日も横浜駅までを遠回りで往復。
 横浜市域には強風・波浪注意報が出ているが、ウォーキングはなんとかできそう。しかし喫茶店の外のテーブルは無理なようだ。


明日こそは‥

2021年11月11日 22時19分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は読書タイムは確保していない。ここ最近、むさぼるように読む、ということがない。少し回復したと思うとすぐに下降気味。どこかでこの小さな振幅を、高原状の曲線に変えたいものだが、なかなか変えられない。
 毎日毎日、「明日こそは」と思いながら布団に入るのだが、どうも朝になるとその決意がどこかに消えてなくなる。
 読書タイムの確保だけが、生きがいに繋がるものではないのだが、それがないと頭の体操になっていない。これが怖い。どこで思考に刺激を与えるか、物事を考えるための刺激を欲している。
 明日はいつものとおりのウォーキング&コーヒータイム&読書タイム、書店散策、ウォーキングというパターンに挑戦である。午後からは気温が低くなるというが、かえってウォーキングには適しているかもしれない。 


金星、半月、土星、木星

2021年11月11日 19時32分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は市民病院で診察、午後は団地の打合せ。夕方に買い物などの用事はないので、ウォーキングに出かけた。風が強かったがそれほどの寒さは感じなかった。7500歩ほどを歩いて帰宅した。
 ウォーキングの途中で木星・半月・金星・土星をスマホで撮影してみた。フェンスの金網に押し付けたものの手振れは防げていない。
 右下のマンションの屋根の上に宵の明星=金星、対角線を左上にたどって、微かに土星、そして木星。対角線の木星より少し下側に上弦の半月を配置してみた。土星が暗くて見難かった。土星から垂直に降りたところにある白い点は星ではないと思われるが、不明。


月と木星・土星‥

2021年11月10日 21時29分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 本日は早めに夜のウォーキングに出かけた。ウォーキングというよりも、近くのドラッグストアでの買い物を依頼されて、速足で往復4000歩を歩いた。
 途中で空を見上げると、すでに地平線の下に沈んだ金星の代わりに、月の傍には木星・土星・みなみのうお座の1等星フォーマルハウトがいつものようによく見えた。
 月のすぐ上が土星、写真の中ほど少し上に木星、写真の左端中ほどにフォーマルハウト(1.1等)。写真では微かで見にくいが確かに写っている。
 フォーマルハウトには惑星の存在を発見したとされたが、今は否定的な見解が主流となっている。
 木星のすぐ左下には、やぎ座でもっとも明るいδ(デルタ)星(2.8等)がなんとか確認できる。。δ星とはいうもののやぎ座では一番明るい星である。名前はデネブ・アルゲディ(山羊の尾)というそうである。

 明日の午前中は、市民病院の血液内科で採血と診察ならびに薬の処方をしてもらってから、午後は団地の管理組合の諮問委員会の打合せ。


宵の明星

2021年11月10日 19時22分49秒 | 読書



 だいぶ太った月齢5.5の月と金星=宵の明星が南西の空に見えた。昨日が金星食で、私は月のすぐ西側に光っていた金星を見たが、本日はもうだいぶ離れている。
 左上の月も1日でかなり太った。右下に微かに写っている明るい金星は、肉眼ではいつもながらよく目立つ。12月初旬にはマイナス4.7等級になるという金星、今はどのくらいの明るさなのだろうか。すでにマイナス4等級くらいの明るさなのだろうか。

 昨日は大雨警報が出るほどの強い雨が降り、本日は朝から終日風が強く、気温よりも寒く感じた。
 最大瞬間風速は西南西の風で18m。南寄りの風にしては冷たい風であった。

 明日もまたよく晴れるとのこと、ただし風は引き続き強いと天気予報では言っていた。

 


川崎浮世絵ギャラリー「歌川国芳」展 2

2021年11月10日 12時58分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 川崎浮世絵ギャラリーで開催している「型破りの絵師 歌川国芳 没後160年記念展」で、私が一番惹かれたのが、「里すずめねぐらの仮宿」(1846)。
 1845年に吉原が火事になり臨時の遊里が設けられ、その様子を描いたとのこと。天保の改革で役者・遊女を描くことが禁じられていたために登場人物をすべて雀で描いている。
 このような人の集団を描くのは国芳ならではの描き方なのか、浮世絵のあり方なのかはわからないが、西洋の絵画では戦争画、戴冠式などのイベントでの歴史上の人物の偉大さを描いていた。ナポレオンの戴冠式などの作品に見られる。英雄や宗教・神話を離れた作品ではブリューゲル、アングル、クールベ、ジェリコーくらいしか私には思い出せない。印象派ではルノアールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を思い浮かべただけである。
 逆に日本の絵画ではこのように人物を密に描いたものには英雄は出てこない。英雄は武者絵などに単体として大きく描かれ、背景に事件を象徴する場面が判じ物のように描かれる。
 この密の状態でのドラマは藤田嗣治の戦争画につながるように私は理解している。藤田の戦争集団画には英雄は出てこない。無名の兵士が折り重なって最後の生のエネルギーを放っている。
 国芳は、庶民のこの猥雑な世相の中に、庶民の生活の逞しさを描いていると感じた。当時のさまざまな仕草が描かれているのにも惹かれる。格子越しに禿に何かを差し出している使いのような人物、左端下の食べ物が載った御膳は何を表しているのか。主題・焦点がひとつではないので、ひとつひとつに釘付けになる。ここでは花魁も主役ではない。客と花魁のいる空間を仕切る格子で二つの空間の喧騒と静寂、動と静の対比が面白い。



 もうひとつ惹かれた作品が「竹沢藤次の独楽のお化け」(1844)。
 左端の人の顔が浮世絵風の顔ではなく、西洋絵画の人物像の顔に見えた。解説によると「東海道四谷怪談」の主人公のお岩の顔ということである。当時の人にとっても、人間の顔は浮世絵風の顔として認識していたわけではなく、このようなリアルな顔として脳裏に刻まれていたはずだ。この作品にも西洋絵画の影響を見つけた。遠近法などだけではなく、世俗画の世界でもこのような人物の顔によりリアルなものが求められていたのであろう。