Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大雨・強風・波浪注意報

2021年11月09日 22時54分36秒 | 天気と自然災害

 現在、すでに雨は上がり、風も今のところ強くはない。警報は解除された。しかし横浜市域には大雨(土砂災害)・強風・波浪注意報が出ている。
 強い雨のあと、天気の回復はかなり早く、雲も早くに東に去るものと思われたが、意外と雲が長く残っていた。雷は3度ほど鳴り渡ったものの、その後は音は聞こえなくなった。梅雨明けの雷のように、雨が上がる予告のような雷だった。
 20時過ぎには星も見えるようになり、木星が鮮やかに光っていた。いくつかの星も見える中、のんびりと歩いて家にたどり着いた。空を見上げながら歩く体力は残っておらず、うつむいたまま歩いた。

 天気の予報を見ると、少なくとも明日の19時過ぎまで雨が降ることはなさそうである。

【追伸】この記事をアップした直後に「大雨注意報解除」のメールを受信した。


川崎浮世絵ギャラリー「歌川国芳」展

2021年11月09日 22時29分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日友人と三人で川崎駅にある「川崎浮世絵ミュージアム」を訪れ、「型破りの絵師 歌川国芳 没後160年記念展」を見てきた。駅の建物の中にあり、改札口を出て2分ほどの場所にある者の、訪れる人は少なく、ゆっくりと見て回ることが出来た。
 展示作品は充実しており、「武勇見立十二支」のシリーズなど実際に見る機会のなかった作品が多数あった。戯画のコーナーでは当時の幕府の意向に抵抗して猫を人物に見立てた作品なども初めて目にすることができた。
 特に大判錦絵三枚を連ねた「里すずめねぐらの仮宿」の実物を初めて見た。これまで図録で見たことはあったが、実際に見るとその細やかな描写に驚かされた。また初めて目にする「竹沢藤次の独楽のお化け」の顔が浮世絵特有の顔ではなく、リアルな顔の造型が印象に残った。

 国芳が活躍したのはペリー来航直前の1840年初頭から明治維新直前の1861年の死まで。激動の江戸末期の世相を反映している。歌川広重と同年生まれである。激動の江戸末期の世相を垣間見るだけでなく、西洋の美術の影響が手に取るように感じられるのも刺激的であった。詳細は明日以降に記すが、とても充実した鑑賞タイムであった。入場料500円、図録800円というのもありがたかった。

 鑑賞後は友人3人で駅近くの新しいレストラン街で安く、軽く飲んで解散。充実した時間を過ごすことが出来た。美術展に行くのをためらっている1年半のうちに、いつの間にか出かけるのが億劫になっていた。再び美術展を回る気力を回復させてもらった感じでうれしかった。
 


大雨(浸水)・洪水警報

2021年11月09日 13時20分22秒 | 天気と自然災害

 12時半を過ぎて大雨(浸水)・洪水警報に切り替わった。
 現在出ているのは、大雨(浸水)・洪水警報、大雨(土砂災害)・雷注意報である。河川の情報はその後入ってこない。
 そして雷が鳴り始めた。そろそろパソコンの電源を切ったほうがよさそうである。
 しかし私の住んでいるところは13時過ぎが雨のピークの用でもある。急速な回復を期待したいものである。そろそろ出かける準備。
 


大雨・洪水・雷注意報

2021年11月09日 12時20分28秒 | 天気と自然災害

 先ほどブログをアップしたのち、急速に眠気が襲ってきた。11時頃には耐え切れず、ベッドにもぐりこんだ。昨日はそれほど体力を使った覚えもないのだが、疲れたのだろうか。妻はそれほど疲れた様子は見せていない。45分ほどしっかりと寝た。

 一段と雨が強くなっている。現在大雨・洪水・雷注意報が出ている。
 気象庁の今後の雨の予想を見ると時間雨量で最大50mmの雨の区域が横浜市域にある。私の住んでいるところをこの区域が通過するか、微妙なところである。
 横浜市域の西部では避難判断水位を超えた地点がある川が4河川ある。宇田川(汲沢中学校橋)・名瀬川(栄橋)・いたち川(水神橋)・平戸永谷川(嶽下橋)の4河川。次第に東部に移ってきている。
 私の住んでいるところでも雨の音が強くなっている。雨の区域は朝から変わらずに南西から北東へ動いている。
 ピークの雨の区域が通過したのちは急速に天気は回復に向かうような予想になっている。早く雨が上がってほしい。

 14時前には家を出たいのだが、雨はどんな状態になっているのだろうか。
 


宵の明星

2021年11月09日 09時52分16秒 | 天気と自然災害

 夜中から降ったり止んだりを繰り返していたようだが、明け方からは予報通り絶え間なく降り続いている。雨の区域は明け方までは南東から北西へ移動していた。現在は南西から北東へ移動している。14時以降は5mm未満の弱い雨になるらしいが、17時近くまでは降るらしい。
 雨が上がると急速に雲がなくなるようだ。昨日に続いて宵の明星を見ることができるとうれしいのだが‥。

 ツィッターなどには昨晩の三日月と金星=宵の明星の写真がたくさんアップされていた。私も撮影したかったが、間に合わなかった。本日は三日月は金星からだいぶ離れ、そして太くなっているはずだ。三日月は細いほど印象が深いもの。月は離れても金星は来月の上旬までますます明るくなる。夕方以降、団地の西側の入口を通るのが楽しみである。


「万葉の時代と風土」から「呪と美と」

2021年11月08日 22時42分53秒 | 読書

   

 スカイツリーに行く電車の中で、「万葉の時代と風土 万葉読本Ⅰ」(中西進)の「呪と美と--「袖振る」をめぐって」を読み終わった。
 巻1の20、大海人と額田との贈答歌として有名な「茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」の「袖振る」についての論考である。
 私も常にこの歌を見るたびに、野守=天智という解釈で、時の権力者の前での露骨ではばかることのない慕情表現という解釈に首を傾げてきた。納得のいく解釈に巡り合えたことがない。
 この書では、この歌は春の祝祭における大勢の参加するイベントではなく、野守の不在時の贈答と見立てている。「野守は見ずや」は「天智の耳に入ってしまうのではないか」という恐れと解している。その上で最後の「六 結」で以下のようにまとめている。

「第一に「袖振る」という行為は‥呪的招魂の行為であり、広く東洋の東全体に存した古代的習俗である‥。この神にかけての行為のゆえに大海人の行動は額田を不安と興奮とに陥れたのであった。」

「第二にかかる「袖振る」歌は庶民歌に圧倒的である。‥民衆詩は、呪などというおよそ詩以前のものを基調として成立して来るものである‥(山上憶良や髙橋虫麻呂、大伴家持)らの詩の造型は、民衆詩の造型論理とあい矛盾することなく、積極的に文芸的制作の中にそれを組み入れることによってすら、なされていた。万葉集における民衆詩の生活性とそれを汲み上げる貴族詩の造型の論理を、私は強く言いたかった」
「第三に、(万葉集は)生活的呪と文芸的美とを平然と同一のことばによって表現したことになる。この無節操さ、この詩的自覚の脆弱さは、しかし一方になんと野放図な何とふてぶてしくも逞しいことではないか。‥「袖振る」を民俗学的に解するか文芸学的に解するかといった立場に置き換えてしまうことは、およそ無意味なことであって、この総体としての万葉の資質をとらえることのひとつの手がかりが「袖振る」なのだということを、私はもっとも主張したかった」

 難解だけでなく、結論がよく見えないのであるが、私としてはもう少し読み進める中で、理解を深めてみたいと思っている。先を読めばわかる、ともいえないしもう一度この節を読み返すことでわかる、とも断言できない。もう少し時間をかけて見たいものである。

 


川崎浮世絵ギャラリー「歌川国芳展」

2021年11月08日 21時18分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 スカイツリーからの帰路、17時45分過ぎに家の傍で三日月と金星が並んでいるのを見つけた。とても明るい金星=宵の明星である。本日は金星食で、その直後であったと思う。
 さらに家の傍でじっくりと見ようと思って急ぎ足で歩いた。しかし南から雨雲がどんどん広がり、家まで5分の西南の方向の眺望のよいところまで来た時には、ほぼ全天が雲に覆われ、あまつさえ、ぽつぽつと降り出してしまった。
 1時間後には雨は上がっていたが、日付が変わるころには本降りになるらしい。

 明日は学生時代の友人と川崎駅前にある、川崎浮世絵ギャラリーを訪れる予定。川崎浮世絵ギャラリーは、「公益社団法人川崎・砂子の里資料館から市が無償貸与された作品を展示。公益社団法人川崎・砂子の里資料館の浮世絵コレクションの特徴は、川崎ゆかりの浮世絵含め、所蔵数は約4000点。「斎藤文夫コレクション」と冠し、三菱一号美術館はじめ国内外の美術館に出展、高い評価を受けている。」とホームページに記載されている。
 今回の展示は、「型破りの絵師 歌川国芳 没後 160 年記念展【後期】」となっており、
「江戸時代後期の浮世絵師・歌川国芳(1797-1861)は、武将の姿や合戦の様子を描いた武者絵の第一人者として知られています。躍動感みなぎる身体描写、大胆な構図、縦横な筆致など、エネルギーにあふれる作品を次々と発表し、江戸っ子たちの心をつかみました。また、洋風画法を取り入れた風景画、風刺のきいた戯画、凛々しい役者絵、小粋な美人画など幅広いジャンルにおいても多彩な才能を発揮しました。斬新で機知に富んだ画風は同時代の他の浮世絵師とは一線を画し、現代もなお多くの人々を魅了し続けています。本展では没後 160 年を記念して、型破りな国芳の世界を 2期にわたってご紹介します。」
となっている。

 開館は一昨年2019年12月、まだ2年たっておらず、私はその存在を知らなかった。約束は午後なので雨も上がる予想になっている。しかも入館料は500円と格安。楽しみである。

 


コニカミノルタプラネタリウム「天空」

2021年11月08日 19時46分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日はスカイツリータウンにある「コニカミノルタプラネタリウム“天空”」で、加藤登紀子による「LIVE in the DARK」を聴いてきた。1時間ちょっとの番組。
 このプラネタリウムはライブ時は、学芸員による解説というのではなく、ライブ番組をプラネタリウムの投影をバックに行っているとのこと。元天文ファンとしては、ちょっと複雑というか、せっかくのプラネタリウムの能力が生かされていないのではないか、という気持ちが湧いてくる。ライブ番組ではなく、通常投影の時はどのようなものか、今度体験してみたい。
 しかし同時に、星空をバックにライブ出演者がどのような番組、構成を考えるか、という興味もまた大いに湧いてくる。
 疑似星空空間とはいえ、満天の星をバックに紡ぎだされた歌の構成は面白く、堪能出来た。注文をつけるとすると、せめて今晩の天の北極を中心とした正しい日周運動を背景にしてほしかった。いつの日時の星空なのかわからない空で、たまたま天頂にある星を中心にした回転運動は、ときどき逆回りになるなど、不思議で、違和感満載の星空であった。

 京浜急行で横浜から押上まで、快特で約45分。妻も私も実に1年7カ月ぶりの遠出。半ば旅行気分であった。

 14時に番組が終了し、娘のリクエストで、そらまち内の天ぷら店の天丼を注文した。丼からあふれる天ぷらのボリュームに圧倒された。美味しくてすべて食したものの、胃にもたれてしまった。大きなエビ2尾の天ぷらもさることながら、茄子と海苔の天ぷらが私にはとても美味しく出来上がっていると思った。
 帰りの電車内の暑さもあり、妻も私も少々気分が悪くなり、横浜の手前でいったん降りて涼んでから、次の電車で横浜駅まで帰った。
 年齢相応に胃袋の消化能力を考慮しないといけないと、いたく反省。夕食を食べたいと思う状況にはならない。胃薬の御世話になった。


スカイツリーでプラネタリウム

2021年11月07日 22時14分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 明日は妻とスカイツリーに行くことになっている。娘がスカイツリーのプラネタリウムで行われる加藤登紀子のショーのチケットを手に入れたとのこと。
 プラネタリウムは小さい頃は渋谷の東急文化会館で親に幾度も見せてもらった。中学生になってからは、横浜の紅葉坂にある県の施設で見学した。
 子どもが小さい頃に一度だけ横浜市の磯子区の洋光台にあったプラネタリウムを見たことがある。最近では、仙台市博物館と、相模原市立博物館のプラネタリウムを見学させてもらった。
 プラネタリウムもさまざまなシナリオが用意され、興味深い番組に仕上げられている。科学的な啓蒙だけでなく、星をめぐるさまざまな知識や歴史などで興味を惹いている。昔よりも格段に幅の広い番組となっていることは確かである。
 投影機械が進化を重ねているだけでなく、学芸員もなかなか大変な勉強をしているのがよくわかる。また歌手とのコラボレーションというのも私が若かったころにはなかった。星をめぐる興味の幅と、ファンの幅が広がっている証左なのであろう。
 実は、東急文化会館でのプラネタリウムと、日比谷野外音楽堂での加藤登紀子のコンサートは、妻と見に行った。まさか両方が同時に体験できるとは想像もしていなかった。

「1966年のデビュー以降、今なお音楽シーンの前線を走り続け、世代やジャンルの垣根を超え圧倒的な支持を集める加藤登紀子。そんな彼女にとっても、キャリア初となるプラネタリウムでの音楽ライブが決定しました。サポートにはキーボーディスト・細井豊氏を迎え「時には昔の話を」「ひとり寝の子守唄」といった不動の名曲をはじめ、加藤自身がプラネタリウムライブのために選んだ曲目を披露する予定です。暗闇に輝く星々のように、いつの時代も私たちを照らし続ける加藤登紀子の音楽をぜひ、プラネタリウムで。」

という紹介が掲載されている。


ツワブキの花弁の幅

2021年11月07日 18時01分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 団地の中に咲くツワブキには、二つの形の花が見られる。混在している。
 花弁の広いものと細いものである。ネットで調べてみると花弁の広い、細いということでの変種というのはないようだ。栄養の差なのだろうか。だが、北側の日照条件の悪いところでも盛んに咲く、ということなので、太陽が当たる時間の差ということは考えられない。
 葉には差はないように見えた。花の色は細いほうが少しだけ黄色が鮮やかに見える。写真で細い花弁のほうは葉が細長いが、これはホトトギスの葉である。
 変種なのか、キク科の別の花なのかは結局はわからなかった。しかし二種類の花はそれぞれ毎年同じようなところに咲く。混在しているだけなのか、交配しているのかもわからない。
 いづれにしろ、比べるのは楽しいものである。

 


日常を取り戻したい

2021年11月07日 13時31分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は朝から団地の管理組合の諮問委員会の会議。会議終了は昼過ぎごろ。昼食後はいつものようなウォーキングや読書を再開したいものである。
 じっくり落ち着いてクラシック音楽を聴いたり、ウォーキングののちの読書タイム、あるいは好きな絵画作品を眺めて、空想にふけったり、そんな時間を欲しているが、なかなかその雰囲気になれない。
 外の環境に流されたり、突発的にいろいろなことが起きたりと、老人の生活も現役で仕事をしていたときに想定したよりも忙しく、慌ただしい。
 今回は身内の不可避の出来事でもあるので、前向きにきちんと対処しなくてはならないことである。そのことに文句はない。しかし体や精神力が追いついていかないのである。忙しくなればなるほどに、老いを強く感じるものである。
 誰しもがこの老いの状況というものを噛みしめながら、生きていくのであろう。50代より前の私には想定できなかった事態である。


ツワブキが目を惹くのは‥

2021年11月06日 21時19分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 もうあちこちで花をつけているツワブキ。私の住んでいる団地の中でも号棟の北側で今年もたくさん花をつけた。
 ツワブキの花は、根元の艶のある葉が特徴だが、艶があるといっても暗い闇を抱えている。そこから茎が伸びて、闇とは正反対の黄色の花が印象的である。
 闇を抱えた葉と対照的なので、輝いている黄色の花がとても際立つ。しかし花だけをじっと見ると、決してそれほど華やかな色ではない。
 葉の闇との対照で花が際立つ格好の例であると思う。ツバキやサザンカもこのような例であろう。

 


疲れは去らず

2021年11月06日 19時50分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は休養日のつもりだったが、妻が亡くなった叔母の家の後片付けを手伝いに行くとのことで、手伝わないわけには行かなくなった。午前中は団地のボランティア活動のお手伝いを少しこなしてから、妻に少し遅れて叔母の家に到着。結局具体的な手伝いはしなかったが、今後の手続等で必要ないくつかの書類を見つけてコピーなどをした。
 ウォーキングは結局行わず、ボランティア活動と部屋の掃除などで歩数計の歩数はわずか6000歩程。これで本日の歩数はおしまい。夜のウォーキングもパスすることにした。

 もう一眠りのつもり。
 


疲労感

2021年11月06日 09時00分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 ごく少数で10人に満たない親族だけが集まっただけの葬儀であった。斎場との折衝やら、役所への届け出などは退職者会で御世話になっている葬儀社がすべてこなしてくれた。体も動かしていないし、また気を使ったつもりはないけれども、とても疲れた。いわゆる家族葬・密葬である。
 昨晩はウィスキーを熱いお湯で濃い目に割って飲んだら、すぐに寝てしまった。血圧・体温の測定すら忘れてしまった。
 しかも今朝はいつもの時間にベッドを離れるのがつらかった。疲労感が抜けずに体が重い。しかし妻が亡くなった叔母の部屋の片付けに出かけるというので、私も寝ているわけには行かない。一緒に出かけることにした。役所への届けに必要な書類を持ち帰る必要もある。私の責任でこなせる手続きは早めに済ませてしまいたい。
 歳を取るとせっかちになるというが、否定は出来ない。
 


残務処理のほうが膨大

2021年11月05日 19時42分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 無事葬儀が終了。しかし自治体への届け、部屋の片付け、納骨、登記手続き、相続などなどこなさなくてはいけない事項は盛りだくさん。
 一つの節目を超えただけである。

 だいぶ疲れた。ウォーキングをしたわけではないが、足の筋肉もだるい。本日は夜のウォーキングは省略。
 これより幾枚かの書類のコピーや、役所への届け出書類の確認作業などを若干してから、ウィスキーなどで喉を潤したいものである。
 明日は私は休養日、妻は明日も部屋の片付けにいくとのこと。私は日曜日が団地の中の会議、そして10日に都内の役所に出向く予定。