Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の準備作業終了

2021年11月04日 23時38分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の葬儀のために身に着けいてくものの点検で残っていたものは黒い革靴と白いワイシャツ。さいわいにも黒い革靴にもカビは生じてはいなかった。白いワイシャツは昔は大きめだったが、今はちょうどいい大きさになっていた。革靴を毎日履かなくなって10年以上。ときどき先輩などの葬儀やイベントの時に履く程度であった。ワイシャツも20年近くは着用していなかったようだ。9年半前の退職辞令のときに黒い革靴も白いワイシャツも久しぶりに着たという感想をもったものである。

 斎場まで行くために、電車の時間を調べ、家を出る時間を決め、持ち物をリュックに放り込んで、本日の作業は終了。

 あとは無事終了することをめざすのみである。


「図書11月号」から その2

2021年11月04日 21時20分23秒 | 読書

 昨日、岩波書店の「図書11月号」の読みたいと思ったものは読み終えた。前回は[表紙]の司修の「夢見下のフロッタージュ」の最後の2行を引用した。
 昨日読んだものは、次の6編。
・ミルテを植える               落合勝人

・残念だが、パーティーは次回にお預けだ    鷲田清一
「雑然、雑多。複数の時間が絡まり、積層しているのが、わたしたち一人ひとりの現実だ。‥コロナ禍のもとで(さまざまな行事等が)延期ないし中止になった。そういう仕切りのあったことも思い出しにくくなった。‥時間は表情も律動も失い、のっぺらぼうになる。‥時間が滞留し、向かう方向もまた定かではない‥。」
「《いま》という瞬間に閉じ込められるというのは、ひとにとってカタストロフィックな事態である。人間の意識というものは現在から不在への意識のたなびきのなかにこそ住まうからだ。‥《いま》という瞬間の連続ばかりがあって、時が流れないというのは、きわめて危うい状況である。」
「相互接触を、現場感覚を、開かれた相互交通を、多様性を--と私たちが訴えてきた価値をいったんしっこうさせるという、そういうことをずっと強いられてきた一年半である。」

・新出・智月宛芭蕉書簡            藤田真一

・父と兄の書棚が招いた変な読書        志茂田景樹

・十一月、実りの秋の動物たち         円満宇二郎

 今号はこの6編のみで終了。


服に体を合わせるしかない

2021年11月04日 18時15分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の葬儀に向けて、いろいろと手続きや支払いや、相談事が重なった。それなりに慌ただしく、忙しい日であった。

 明日は朝から斎場行き。喪服が体に合うのか、まだ来ていない。服が小さくなったのではなく、体が大きくなって着れないのではないか、という不安が大きい。背広は多分着ていると窮屈で肩が凝りそう。ズボンは目いっぱいにアジャスターを広げると何とかなると思う。そして白いワイシャツが着られるのか不明である。
 食事後、試着である。試着といってももう対策はないので、無理して着るしかない。


少々高めの居酒屋

2021年11月03日 22時27分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど帰宅。打合せ終了後に、居酒屋に繰り出した。日本酒1合とハイボール2杯、アジの刺身とトマトサラダで3500円にもなった。予定よりも1000円ほど高かった。初めての店なので止むを得ない値段かな、という感想。もう少し店構えを吟味してから入ってもよかった。しかし店内はとても清潔で、好感は持てた。お酒も美味しいお酒が置いてあった。お小遣いがあるときにもう一度訪れてもいいかもしれない。

 多くの友人は呑み会のあとはラーメンを食べる人が多いが、私はラーメン店には行かない。量も多いうえに、味が濃く、くどいので食べる気にはなれない。小腹が空いているときは、コンビニでおにぎりを一つ買って歩きながら食べるのが好きである。
 たいていは30分くらい歩いて帰るので、家に着いたときはおにぎりもおなかの中でこなれている。帰宅して飲むお茶がとても美味しい。お茶は煎茶を少し濃い目に淹れたものか、ウーロン茶である。たいてい2~3杯は飲む。
 昔からこのパターンは変わらない。まだコンビニが普及していなかった頃は、お店でおにぎりを注文したり、スーパーなどで購入したものである。当時はおにぎりが大きくて、食べ残したことが幾度もある。
 そして私のおにぎりの定番は、シャケ、鰹節、塩昆布、葉唐辛子くらいなもの。葉唐辛子は少し高めなのであまり食べた記憶がない。本日は鰹節のおにぎりとお煎茶のペットボトルを購入。帰宅後は煎茶をレンジで温めて飲んで、ご満悦。

 明日の午後は、明後日の叔母の葬儀の準備のために、出かける予定。退職者会のニュースについては、一か所だけ訂正箇所が見つかり、本日の朝に送信した。しかし本日は祝日で印刷会社は休みであった。退職者にとっては平日も休日も祝日も関係ない。思いついた時が吉日、仕事を受ける側にとっては迷惑なことだと思う。申し訳ないとは思う。
 


秋の日和

2021年11月03日 14時28分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 風もほとんどなく、暖かい。歩くと汗がでるほどである。薄く糸を引いた秋の雲がゆっくりと西から東に流れている。
 横浜駅に近いいつもの喫茶店の外のテーブル席に座ることができた。これから1時間ほどの休憩タイムを確保。


読書の「勘」

2021年11月02日 23時15分21秒 | 読書

 明日は昼前には所用で出かけなくてはいけなくなった。夜まで外出予定。
 明日も本日のように気持ちのいい日和との予報であるが、ウォーキング三昧とはなりそうもない。いつもの目標の歩数を歩けるか、それも難しいかもしれない。もっとも二日続けて2万歩近く歩くと、3日目は筋肉がつらい。
 先月は3日続けて2万歩超えて歩いたが、腰が痛くなりそうになった。危険である。脹脛と太腿の筋肉にも疲労がたまったようで、4日目は大幅に歩数を少なくせざるを得なかった。無理は禁物である。
 本日は先ほど21時前に軽く夜のウォーキング。あまり汗はかかずに帰宅。昼間は帰宅時に宵の明星を見ながら、夜はいつものとおり木星と土星、おうし座のアルデバランをチョロチョロと見ながら歩いた。星をじっくり見ることなく、20分程度で帰宅。

 明日は合間に「万葉の時代と風土」(中西進)を少しでも読み進めたい。本日の「日本美術の歴史」を紐解いた時の感じでは、読書の勘も戻ってきたように思う。

 読書週間にちなんで、というわけではないが読書について思いついたことを少々。
 「読書の『勘』」というのは今思いついた言葉だが、読む気力、行間を想像しようとする気力、次の行・次の段落・次の節に進もうとする気力のようなもののつもりである。あるいはそれらが持続する状態を言ったつもりである。
 多分10代の半ばがその「勘」が冴えて、充実していたとおもう。そして私の場合は、20代前半の学生の時よりも、30代のほうがより冴えて充実していたように思う。読書をしたいという切実さがもっとも強かったのではないか。
 現在の読むエネルギーはどこからやってくるのであろうか。「読書の勘」というものはどういうときに働きがよくなるのだろうか。
 


ウォーキングと宵の明星

2021年11月02日 20時12分13秒 | 山行・旅行・散策

 妻は電動自転車を使って、みなとみらい地区にあるスーパーまで買い物。その近くの店で売っているおはぎが好物ということで、よく買いに行く。私は近くのスーパーで買い物を頼まれた。いくつかの食材が2週間に1度、他の店よりもずっと安くなるとのことである。毎朝私も食するものなので、拒否は出来ない。
 往復で5千歩程の距離であるが、本日はウォーキングにはもってこいの日ということで、大幅に遠回りで往復1万7千歩で帰宅。
 横浜駅とは別の方角の私鉄の駅の傍の喫茶店で30分ほどの休息をとった。そののち、ウォーキングの最後に、汗だくで大型スーパーに入り、買い物をした。まるで夏場の買い物のようであった。
 帰りがけには、宵の明星を見ながら帰宅。木星に比べてもかなり明るい。東方最大離角は先月30日であった。これからも12月8日までは明るさは増して、最大光度マイナス4.7等級になるとのことである。楽しみである。

 珍しく横浜駅には寄らず、書店での新刊情報収集はお預け。


「日本美術の歴史」第5章 2

2021年11月02日 19時14分05秒 | 読書

   

 16日ぶりに「日本美術の歴史」(辻惟雄)を紐解いた。第5章の「二  和様化の時代[藤原美術]」の後半「⑦  定朝以降の仏像、鉈彫り像」~⑬ 浄土庭園と「作庭記」まで。
 あまり早く読んでも頭に残らないので、この本はゆっくりと目を通すことにしている。

「仏像は彫刻、仏画は絵画として区別する現在の見方と違って、仏のイメージを伝えるものとしての両者の機能はあまり区別されていなかった‥。仏像、仏画は「儀礼」「荘厳」「仏」という三本の糸で、分かちがたく結ばれていた。そのことを念頭にとどめて仏画をみよう。」(「⑧藤原仏画」冒頭)

「平等院鳳凰堂の「九品来迎図」は仏画であると同時に「やまと絵」様式の誕生を告げる貴重な遺品である。」(「⑧藤原仏画」の「浄土教絵画」)

「「ひらかな」は最初は一字ずつ切り離して書くものだったが、字と字をつないで繊細な曲線のリズムを反復させる連綿体の書風が発達した。華麗な文様を施した料紙とあいまって作り出される連綿体の仮名書きの装飾美は、世界のカリグラフィの中でも独特な地位を占める‥」(「⑨仏教工芸と書」)


一日の終わり

2021年11月01日 23時31分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど印刷会社に最終の原稿を送信し、夜のウォーキングを完了して本日の業務は終了。私にとってはもっとも大切かな読者タイムが本日も確保できていない。こういう状態が続くと、モヤモヤとした気分になってくる。読書だけが価値ではないのだが、それが出来ないと喪失感もある。さらに一日が空虚に思えてしまうのは、常に何かにすがりたがるという幼児性を暴露しているのかもしれない。

 とそんなことを思いつつも、本日はもう寝る準備に入っている。これよりいつものように血圧や体温測定をして、入浴。

 


本日の作業終了

2021年11月01日 18時49分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝起きてから叔母の葬儀の件で親族といくつかの電話連絡をこなした。調整はなかなか難しい。昼前に組合の会館に出向いた。10人ほどで打合せ。現役の組合役員との意見調整も合わせて行うことが出来た。
 別の会場に移動して、講演を聞き、誘われるままつい居酒屋に付き合ってしまった。活気のある飲み会であった。先ほど帰宅。

 これより原稿の仕上げを行って、印刷会社に原稿の追加を依頼。これにて今月のニュース作成作業の私の役割は終了。ホッとしている。