Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

杖を使用

2022年05月26日 21時31分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は帰るとき、家の傍の地下鉄の駅の階段で右膝が痛くなった。リュックから杖を出して、やっと家までの急坂を昇った。杖を突いて歩いたのは何日ぶりであろうか。ここ二週間ほどは痛みも弱くなり、杖を突くことを忘れていたのだが、残念である。
 どういうわけか、8000歩も歩いていた。少し歩数がかさみ過ぎた。本日は湿布をたっぷりと塗って寝ることにした。

 明日は12時から整形外科でのリハビリの予約になっている。14時過ぎまで雨の予報である。雨の中、傘を指して歩くのはつらい。駅までの急な気だ理坂、駅の昇り降りの階段は杖を突いても滑りやすい。
 しかしサボるわけにもいかない。行くときは団地からタクシーを使うのが一番いいかもしれない。700~800円くらいと思われる。帰りはバスにて横浜駅まで行くと、喫茶店で時間を潰して雨が止んでからバスで帰る方法がある。
 本日膝が痛くなったので、無理としたくない。


沖縄料理の店で泡盛

2022年05月26日 20時04分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は金沢区を訪れたのち、久しぶりに金沢シーサイドラインに乗って新杉田駅経由で関内に出た。関内駅のそばで、土曜日に初めて訪れた沖縄料理の店に妻と二人で入った。
 私は泡盛の水割りを2杯、つまみと食事はお通しの外、二人でモズク酢、海鮮サラダ、ソーミンチャンプルー。歳のせいと思うが、これだけでもうおなかはいっぱい。海鮮サラダは量がいっぱいであった。次回はモズクの天ぷらと島ラッキョウの塩漬け、沖縄そばを食べたい。けっして安くはないが、とてもおいしかった。

 店を出ると横浜スタジアムでセ・パ交流戦、にぎやかな応援のラッパと太鼓が響いていた。しかしスマホには「強風・雷・波浪注意報」が着信していた。明日の夕方まで雨が続くらしい。


「日経サイエンス7月号」から

2022年05月25日 23時00分44秒 | 読書



 明日のオンライン講座の資料を読み終わってから、「日経サイエンス7月号」を少々読んだ。読んだのは特集「デマを見破る」の二つの記事である「メディアリテラシー教育 手探り続く米国の苦悩」と「拙速な思考は陰謀論に弱い」。さらにもう一つの記事「ネアンデルタールの首飾り クロアチアの遺物が語る知性」にも目を通した。

 「デマを見破る」を読むと、現在のアメリカのあまりに困難な状況とともに、それが日本でも当たり前になっている恐ろしさをひしひしと感じた。
 アメリカの病理として「ホロコーストはなかった」「新型コロナはでっち上げ」「2020年米国大統領選挙には不正があった」などと主張する生徒の存在などが記事の冒頭に書かれている。日本でも「南京大虐殺は無かった」「日本国憲法はアメリカの押し付け」などは保守派の国会議員や大臣経験者が真顔ではばかりなく主張しており、最近も「新型コロナはでっち上げ」「ワクチンは効果がなく、陰謀」と主張する人々も一定存在している。アメリカの病理だけではなく、身近な現実であることがわかる。

 要約などから引用すると「ネット上を中心に誤情報があふれ、意図的な偽情報キャンペーンも横行している。特に青少年は恰好の標的になっている。」
「根拠のない陰謀論的な考えを信じるようになるのは14歳からだ。」
「対処策のひとつが「メディアリテラシー教育だ。受け取ったメッセージを批判的な目で吟味し、真実を装った偽情報に気づく方法を子供たちに教えようというものだ。」
「具体策を巡っては異論もあり、効果は検証されていない。‥最適な方法と効果を把握する必要がある。」
「多くの人は十分な検討無しに即断で結論に飛びつく傾向がある。これは一種の「認知バイアス」である。」
「結論に早く飛びつく人ほど推論や決断で誤りを犯しやすい。陰謀論を歩支持する傾向があり、超常現象などを信じやすく‥。」
「反射的思考に流されず熟慮するようになると‥。判断の根拠となる事実をもう少しだけ集めるように努めることが、大間違いを避ける道だ。」 

 「ネアンデルタール人の首飾り」は、先日読み終わった「人類の起源」を思い出しながら目を通した。
「クロアチアのクラピナ遺跡の遺物の研究から、現生人類がこの地に到達する9万年前からネアンデルタール人が創造的で認知的に高度な行動をとっていたことが明らかになった」という要約が書かれている。例として身体装飾、美術品制作、抽象的形の刻印、幾何学模様・・・なども触れられていた。
 現生人類とは、交配による形態的特質の遺伝子を交換し合っていたことは前提となっていることがわかる。認知についても、現生人類だけの特質ではなく、かれらから受け継がれたものもあったはずである。


明日は曇り空

2022年05月25日 20時55分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は曇り空とのこと。10時から美術史のオンライン講座「一気に学ぶ世界と日本の美術史」の第3回。講師は中村宏美氏。先ほど送られてきた資料を打ち出した。今回は19ページ。
 これよりこの資料を読んで予習。途中で寝てしまわないように、熱いお茶を横においてから読むことにした。

 午後は二人で出かける予定。子どもに頼まれた用件はすぐに終わるが、同じ横浜市内でも少し遠いところである。講座終了後、昼食を遅めにするか、現地でティータイムとするか、明日の気分次第である。

 昨日に続いて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(スーク、コンヴィチュニー、チェコフィル)を聴いている。


昼寝が心地よかった

2022年05月25日 18時40分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いつもより少し早めに起きて、9時に家を出た。バスを二つ乗り継いで会議の場所へ。横浜駅まではいつものバスだったが、そこからは初めて乗る系統のバス。同じ市営バスであるが、少しドキドキするものである。当然初めて降りるバス停。
 会議の場所まではいつも他の交通手段で出向いているのだが、バス停がどこにあったかは記憶にまったくなかった。バス停で降りてしばらくキョロキョロ。自分の位置を確認してから歩き始めた。膝がまだ痛むので、余分な歩行はできるだけ避けたい。

 会議自体はあっという間に終了。再び横浜駅までもどり、今度は地下鉄を利用して組合の会館まで出向いて、一昨日の幹事会の残務整理を少々。

 13時過ぎには26.2℃と6月下旬の気温。暑く感じた。
 喫茶店での読書もせずに、さらに珍しく道草をせずに15時に帰宅。17時過ぎまでぐっすりと寝てしまった。暑さのせいではないと思いたい。


ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」

2022年05月24日 23時44分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はヨゼフ・スークの独奏によるベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」。フランツ・コンヴィチュニー指揮、チェコ・フィルの演奏。1962年の録音。
 スークの演奏では、ボールト指揮、ニュー・フィルハーモニアの1970年の録音のものもある。チェコ・フィルのほうがオーケストラは抑制的で、悪く言えば盛り上がりに乏しいかもしれない。あるいは録音技術の差か。
 第一楽章はボールトの指揮のほうが30秒長く25分、第二楽章はコンヴィチュニーのほうが1分ほど長く11分。たっぷり第二楽章を聴きたい私は当然にもコンヴィチュニーのほうが好みである。第三楽章はほとんど演奏時間の差はない。
 私は最初のティンパニーの4つの音がコンヴィチュニーのほうが断然好きである。
 スークの演奏はスークらしく線が細いがいづれも音が美しい。スークの音にそれほどの差はないと思っているが、果たしてどうであうか。

 学生時代の1970年ころになけなしの小遣いで購入したLPがこの組み合わせであった。レコード盤が擦り切れるほど聴いた。1993年にCD版で再発売されたのを見つけてすぐに購入した。

 1968年のチェコの「プラハの春」の成り行きに耳をそばだててテレビの音声を聴き、新聞や「世界」などを読み漁っていた高校2年生の私にとっては、1970年にチェコ・フィルとスークの取り合わせと聞いただけですっかりはまってしまっていた。



本日の読書タイム

2022年05月24日 21時06分05秒 | 読書

 午前中は家で、夕方には県立歴史博物館の傍の喫茶店で若干の読書タイム。「日本美術の核心」(矢島新、ちくま新書)の第6章「素朴を愛する」を読み終えた。
 帰り際にいつものとおり横浜駅地下街の有隣堂を物色。選書コーナーで「演奏家が語る音楽の哲学」(大嶋義実、講談社選書メチエ、税込み1,760円)が目に付いた。しかし持ち合わせも無かったので、購入は出来なかった。
 夕食後は、県立博物館のチラシ等をスキャナーで取り込み、記事をブログにアップ。


神奈川県立歴史博物館「洞窟遺跡を掘る」

2022年05月24日 20時30分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 午後から家族の所用で横浜駅まで出向いた。用事が済んでから私は神奈川県立博物館を訪れ「特別展 洞窟遺跡を掘る 海蝕洞窟の考古学」を見た。縄文から弥生・古墳時代の貝輪や卜骨など興味深く見て回った。
 チケットを購入する前に5月6日と5月20日の2回分のオンライントーク(あわせて1時間ほど)のビデオ2本を見た。チケット売り場前のテレビ画面による解説はたいへん分かりやすく、勉強になった。

 ビデオを見た後なので展示品にとても興味を惹かれた。
 また近くに点在する洞窟ごとに技術が少しずつ違うという指摘に興味を持った。ごく近い遺跡にそれぞれの技術的特徴を異にする集団が競い合っていたのだろうか、共存していたのだろうか、考古学の進展に伴い、解明されることを願いたいものである。

 


突然の雨にオタオタ

2022年05月23日 22時32分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 居酒屋の帰り際に外を見たら、土砂降りの雨。帰るに帰れないと、慌てたものの、ネットで調べると1時間ほどで雨はあがるという情報が出てきた。
 それからは二次会のつもりで、1時間半ほど腰を落ち着けて、雨が上がってから全体の会計を済ませた。

 再度雨が降らないうちに、と念じつつ、膝の痛みをこらえながら足早に地下鉄の駅まで歩いた。さいわいに家に着くまで雨には会わなかった。
 本日の会議でさらにいくつもの日程が入ってきてしまった。明日の朝以降、スケジュール調整がなかなか大変である。スケジュール帳とにらめっこの時間が面倒。

 とりあえず、本日はこれにて就寝。
 


やっと会議終了

2022年05月23日 17時35分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

1時間ほど前にやっと会議終了。午前中は県立歴史博物館による予定だったが、月曜は休館日であった。起床時に気がついた。
組合の会館に11時過ぎに着いたら事前会議が10時半からであった。遅刻。すっかり忘れていた。なんとも情けない。
本日は発送物が多く、昼食を取るひまもなかった。作業が大変で、会議は予定より遅れて14時半から。16時半に終了。
後片付けもなんとか終わり、これよりいつもの居酒屋へ。


明日は半袖

2022年05月22日 22時17分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 部屋の中は外よりも温度が低い。春先から初夏にかけてはいつものことである。本日も午前中、在宅しているときは長袖のシャツで過ごした。午後、そのままズボンだけジーパンに履き替えて出かけたら、半袖で充分であった。
 地下鉄に乗るまでの道、横浜市歴史博物館からセンター南駅までの道では、額にうっすらと汗をかいた。半ズボンでも構わなかったかもしれない。

 21時少し前から弱い雨が降り出した。レインアイよこはまの画面では先ほどまで降っていたが、今は降っていないことになっている。しかし多分0.1ミリ未満のレーダーには捕らえられない微かな雨であろうが、確かに降っている。狭い雨の区域が県内にも3ヵ所ほどある。これ以上は降りそうもない。ただし雷注意報は解除になっていない。

 明日の気温は本日と変わらないとの予報。明日は半袖のポロシャツにしたい。帰りは少し遅くなるので、半ズボンではなくジーパンで出かけたい。
 朝支度が整えられれば、10時前には家を出て、県立歴史博物館に寄ってから、組合の会館に行く予定。午後からは幹事会である。ニュース発送もあるので、会議が終わればいつものように疲労困憊になりそう。軽くいつもの居酒屋でワイワイと楽しんでから帰宅予定。

 


ホタルブクロ

2022年05月22日 21時05分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 団地の中でホタルブクロが咲いていた。毎年咲くのだが、場所も時期も、咲き終わると忘れてしまう。咲いてから、「昨年も今の時期にここに咲いていた」と思い出す。野の花というものはそういうものだと、理解するようになった。
 そして写真に撮る前に花が終わってしまうのもまた野の花である。
 


横浜市歴史博物館

2022年05月22日 19時47分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 天気が回復したので、市営地下鉄の「センター北駅」にある横浜市歴史博物館に足を運んだ。どんな企画展をしているのか、事前にネットで調べると良かったのだが、フラっと訪れた。企画展は「みんなでつなげる鉄道150年展」。副題は「YOKOHAMA鉄道開業150周年記念 鉄道発祥の地よこはまと沿線の移り変わり」となっていた。
 残念ながら私の興味とはちょっと違っていた。私の鉄道への興味は、線路敷設にともなう地形の変化や、住んでいる人々の移転や暮らしの変化、そして私自身は鉄道に乗ってお酒を片手に駅弁を食べること。
 そういった意味で、子安から現横浜駅までの掘削と築堤、その前後の地形の変遷や、神奈川宿を掘削で横切る際の工事の様子などは興味があったが、うかがい知れる資料の展示はなかった。
 また各鉄道事業者の敷設工事などの様子を撮影した写真を探したけれどもなかった。相模鉄道の開業当時の三ツ境駅の写真には興味を惹かれた。ここに住んだことがある。
 特に駅の北側の崖地ではかなりの切り土があったと思われる。しかも人家が映っていない。。それだけの大規模工事をこなした理由と財源、駅をそこに設けた謂れが知りたかった。別の機会に資料を集めてみたいと思った。



 企画展の後は、常設展を足早に一周して博物館を後にした。博物館の建物を一周してから、「センター南駅」まで歩いた。歴史博物館の脇の交差点で、知人に教えてもらった「都筑まもる君」を撮影してみた。
 当初の予定では、地下鉄で「馬車道駅」まで行って、神奈川県立歴史博物館も訪れるつもりであったが、右足がだいぶ草臥れたので、本日は諦めた。横浜駅でコーヒータイムののち、バスにて帰宅。


泡盛で盛り上がった

2022年05月21日 23時36分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 21時過ぎて帰宅したときはほとんど雨は降っていなかった。傘を指さずに歩いて帰宅できた。しかし今は本降り。断続的に5ミリから10ミリの雨が降り続いている。
 明日の明け方には雨は上がるという予報である。

 本日は「カジノを考える市民フォーラム」主催で、「一般財団法人日本総合研究所」の松岡斉理事長の講演会。いろいろと議論はあると思うが、示唆に富む提起があったと思う。
 講演会後は、沖縄料理の店で泡盛を飲みながら久しぶりに4人の仲間と楽しく過ごすことが出来た。

 本日はこれにて就寝。

 


「日本美術の核心」3~5章

2022年05月21日 16時20分17秒 | 読書

   

 第3章「そこにあるのは「美」か、「真理」か」、第4章「教養があってこそ味わえる」、第5章「文字と絵の幸福なコラボレーション」を読み終わった。

「日本の美術はリアリズムを苦手としてきた。平安時代初期までは中国美術をすなおに学んだ時期であり、いわゆる天平彫刻においてリアリズムの技術は完成の域に達したが、それ以降はリアリズムから離陸する方向に進んだように見える。鎌倉彫刻は例外的にリアリズムを目指したが、教養を持たない武士が支持したからであろう。‥強調したいのは、西欧や中国が真を優先していることではなく、日本の絵画は美しく描くことに注力する傾向が強いということだ。あえて「見た目」という言葉を使うが、日本の絵画には見た目の美しさを追い求める例が実に多い。この真より美を優先するということについて改めて考えてみたい。」(第3章)

 「教養を持たない武士が支持したから」には同意できないが、他の指摘は頷ける。

「絵と文字を寄り添わせるさまざまな表現には遊びの要素が濃い‥。辻(惟雄)は“遊戯性”を重要なキーワードに挙げている。遊戯性は見る者を威圧する造形とは縁遠く、見る者を楽しませる造形のあり方に深くかかわるが、文字絵や絵文字はその最たるものと言って良い。その流れは現代のグラフィックデザインやマンガにまでつながっており、日本美術の強みともなっている。」(第5章)