Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

実年齢より上に見られる悲しみ 2

2022年05月06日 20時23分51秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日の「実年齢より上に見られる悲しみ 」の続き。

 小学6年生のとき、クラスの友人が塾に通っているのを見て、私も塾に通ってみる気になった。塾は私鉄に乗って通った。短い短期講習をとりあえず受講することにして、その都度小学生用の半額切符を購入して通った。ある日、窓口で「お前が小学生であるわけがない、小学校の証明書を見せろ」といわれ、在学証明書だったかを見せたら、「中学生にもなって弟のものを使うのは犯罪だ」と駅員にに脅かされた。同じ塾に通っていた友人が、「僕と同じ教室に通っているんだ」と言ってくれてやっと切符を売ってくれた。
 小学生の私はいたく傷ついた。当時156cm、50キロの私は確かに頭一つ大きかったが、犯罪者扱いされたことで、親を恨んだものである。塾の授業はとても楽しかったので、通うことは辞めなかった。その駅員は私の顔を覚えたらしく、それからは私をにらむものの黙って切符を販売してくれた。あの怖い目つきは今でも覚えている。
 短期講習が楽しかったので夏休みは通学定期ではないが、小学生用の一か月定期を買ってもらって通った。

 2学期になり、塾の夜間講習にも通った。塾のそばに映画館があり、成人映画を上映していた。友人とともに好奇心いっぱいでそのポスターを眺めていたら、後ろにいたオジサンから、「高校生はまだ入れないんだぜ」と注意されたことがある。友人も背は高かったので、高校生と間違えられたと思われる。

 大学に入って1年目、仙台市に住民登録をしたとき、窓口の女性が開口一番に「弟さんと同居になるんですか」と聞かれた。「私本人です」と返事をしたことを記憶している。当時はどんな書類をもって窓口に行ったか覚えていないが、ずいぶん失礼な市役所だと思った。それ以来仙台市内で3回転居したが、住所変更手続きに行かないで済ませた。

 やはり1年生の夏休み、サークルの先輩に連れられて奥松島の野蒜海岸という海水浴場に行った。そこで先輩が若い女性数人に声をかけて、一緒になった。銀行員とのことであったが、私のことを彼女たちは「もうお子さんもおられるのではないですか。30歳過ぎに見えます」と端から敬遠されてしまった。このときほど傷ついたことはなかった。
 さすがに先輩達もムッとしたらしく、すぐに彼女たちを置き去りにして男3人で仙石線に乗って仙台に戻ってきた。駅前の居酒屋でふんだんにおごってくれたことはよく覚えている。いい先輩たちであった。当時は19歳でもお酒は飲ませてくれた。

 横浜市の一担当職員であった30代も半ばのころ、要望があり地元の意向と法律の狭間で苦労しながら何とかまとめた。後日地元の代表が市会議員とともに事務所を訪れ、部長に面会を求め、「Fs課長はいますか?お礼にまいりました」と菓子折りを持参してきた。
 部長・課長は苦笑いをしていたが、一番驚いたのが私本人である。菓子折りは丁重にお引き取り願ったが、保守系の市会議員は私の肩を叩いて、「お前さんのことだったのか。40代で課長よりも上の部長職に見られるほど態度が鷹揚だぞ」と笑われ、それ以来仲良くしてもらった。内心それでも俺はまだ30代だぞ、と怒った。その議員は、私が組合の非主流派の役員であることは後に知ったようだ。地元の要望を所長に話す前に私に一応打診をして前捌きを依頼されるようになった。私の前捌きで見通しがつくと、その議員が直接部長である所長に話しをするという道筋が二人の間で出来上がった。地元での議員の手柄にしていたのは承知している。代々の所長も知っていたはずである。
 やはり同じころ、道路の不正使用をしている人に指導をするために係長と共に地元に出向いた。係長が名刺を出して指導したが、やくざのようなその人が突然私を指さし「係長より偉そうなお前がどうして名刺も出さずに後ろにいるんだ。お前が出てこい」と怒りだした。この時はたまたま警察官も同行したので、警察官がその人を制して「これ以上騒いだらどうなるかわかるか」とすごんで見せて終わりとなったのがさいわいであった。

 10代のころから、実際の歳よりも上に見られ、就職しても実際の役職よりも上に見られるたびに、実際の年齢相応に見られたい、と願ってきた。しかも70歳になる今でも変わっていないのだろうか。
 妻は口を噤んで、最初の出会いの時の印象はいわない。私の以上のようなエピソードを聞いてニヤニヤ笑って聞いているだけである。
 「とっちゃん坊や」と言われたエピソードはまだまだあるが、自分がみじめになるので、この程度で終了。


実年齢より上に見られる悲しみ

2022年05月05日 22時50分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後は広いコンビニのイートインコーナーに座り、わずか100円のアイスコーヒーで1時間近くの読書タイム。「人類の起源」の第6章「日本列島集団の起源 本土・琉球列島・北海道」を2/3ほど。
 出かけるとき杖は持たずに家を出た。そしてバスに間に合うように少し足を引きづりながら急いだつもりで歩いた。といっても人よりは少し遅いが。バスに乗ろうとしたら、私よりも高齢で80代と思われる杖を着いた女性に、先に乗車するように促された。先に乗らずとも空いているので十分に座れるのだが、私が足を引きづりながら急いでバス停に向かっているのを見ていたらしい。
 さすがに驚いたが、後から乗っても先に乗っても座れることに変わりはないので、好意は受け取ることにした。
 しかし何となく恥ずかしさが先に立ってしまい、空いている一番奥の席まで行って座った。

 帰宅後妻にその話をしたら、おおいに笑われた。確かに昔から年齢よりは上に見られるのだが、そこまで見られたのには驚いた。妻に言わせると新しいエピソードとして日記に記載しておくという。実年齢より上に見られることはもう致し方ないと10代の頃より諦めている。


菖蒲が見頃

2022年05月05日 21時47分14秒 | 山行・旅行・散策

 本日は長袖で出かけたのは失敗であった。もう半袖、半ズボンで良かったと思う。バスを待つ間、陽射しに照らされて気分が悪くなりそうなほど暑かった。

      

 フラワー緑道を久しぶりに一人で歩いてみた。菖蒲が見頃となっており、傍ではヒイラギナンテンが実をたわわにつけていた。



 カワヅザクラにはまだ白い実と赤くなった実がいくつか残っていた。鳥に啄まれないでのこっていたようだ。しかし黒く熟した実は見当たらなかった。



 そして不思議なことにカワヅザクラよりも後に実が着いたヨコハマヒザクラには2本とも実が一つも見つからなかった。すでに鳥に食べられてしまったのか、カワヅザクラよりも先に実が熟して落ちてしまったのか、見極められなかった。来るのが少し遅かったのかもしれない。
 そして今年気になったのは、カワヅザクラよりもヨコハマヒザクラのほうが葉が少し厚く大きめではないか、ということ。撮影し終わってその場を離れてから、気になった。
 光線の具合か、あるいは木の年齢なのか、それとも私の早とちりなのかは不明である。今度じっくりと観察してみたいと思う。それまでの宿題としうしよう。
 帰り道は歩かずにバスを利用。バスの窓からカワヅザクラとヨコハマヒザクラを眺めたが遠すぎてわからなかった。

 


「図書5月号」 その3

2022年05月05日 13時23分32秒 | 読書

 「図書5月号」をとりあえず読了。

・「図書」の表紙を書き終えて 下 武満徹の「夢の引用」  司 修
「タケミツが十六作目に作曲した映画音楽「不良少年」はスナップ写真のようなシーンからはじまります。‥不良少年たちは私と同世代が多く、敗戦によるはまざまな影響を受けています。戦後の荒廃は町だけでなく、勝つ戦争を信じて生きた男たちを襲い、不良少年の父親世代は軽石のような頭になっていて、妻への、子どもたちへの腕力と言葉による暴力が、少年たちを不良化させていったといえます。私も不良とならずにいられたのが不思議です。敗戦と焼け野原がそうさせたと思うと同時に、焼け野原の生活が私を不良になるのを止めたと思うのです。焼け野原にバラックを、母と二人で造ったことや、自分たちの糞尿を土に流して生まれた野菜の味などがそうです。」

・言葉の栞3 Flowers in the Dustbin     プレディみかこ
(ウクライナ人とベラルーシ人との間に生まれたアレクシエーヴィチは)「小さき人々」の概念をロシア文学に登場させたのはドストエフスキーだそうです。‥ドストエフスキーはそれまでロシア文学があえて書こうとしなかった人間の多様な側面と暗黒を書いたと語っている‥。‥彼女の祖母はドイツ兵を恐ろしい悪魔ではなく、一人の人間として孫に話して聞かせたのです。どこを切っても金太郎飴のように天使の顔しか出てこない人間もいなければ、悪魔の顔しか出てこない人間もいない。ドストエフスキーと祖母はそのことを彼女に教えたのでした。それなのに戦争がはじまると、わたしたちは金太郎飴の思考に傾きがちです。そうしなければ、たとえどんな大義があったとしても人が人を殺すことを正当化できないからです。でも、それでは偉大な物語や英雄の話しに逆戻りして、「小さな人々」が見えなくなってしまう。谷川(俊太郎)さんからいただいた詩を思い出しました。“道端の萎れた花束に目を留めて/それをコトバにしようとするけれど/人の役に立たないものミクロな行動は/地球上の人類が直面している困難と/なんの関わりもない/と 彼は考える” きっと人間たちは、巨大な危機に直面しているときこそ、道端に捨ててある花束に目を留めなければならないのです。‥大きな言葉の劇的な洪水にさらわれ、自分では考えてもいなかった場所に流されてしまわないように。」

・美術館の扉を開く6 来る者      岡村幸宣

・中村きい子の激しさ          斎藤真理子
「中村きい子の二つの小説には、戦争の中で、家族どうしの関係に国家の強権がめりめりと食い込む場面が描かれている。「間引子」と「女と刀」ではその構図が反対であっても、「家」と「私」と「国」がそれぞれの重さでぶつかり合う瞬間の激しさは同じだ。その中で選択を迫られるとき、家族は虚飾をはがされ、何か名誉であり、何が卑怯であるかをめぐってにらみ合う。その視線の強さ、言葉の苛烈さには圧倒されるが、同時に、めいめいの考えがしっかりと言葉にで筋道を通して説明されつくしていることに、感銘を受けた。」
「日本人は長らく、戦争と名誉について、自分のこととしてはほとんど考えなくてよかった。その歳月が長かった分、(鶴見俊輔のいう)てんびんの向こうにあった重さが今、ずっとりとのしかかってくるような気がする。」

 今月号は16編のうち以上13編を読んだ。特に今回引用した3編はとても惹かれた。


「図書5月号」 その2

2022年05月04日 23時05分21秒 | 読書

 午前中は「人類の起源」(篠田謙一、中公新書)の第5章「アジア集団の成立 極東への「グレート・ジャーニー」を読み終え、第6章「日本列島集団の起源 本土・琉球列島・北海道」を読み始めた段階で外出。



 帰宅後は、「図書5月号」に目を通した。

・「健康」をめぐって  身体を舞台とした政治的攻防  栗田隆子
「高齢者雇用安定法」の「改正」アンが2021年4月に施行されたが‥「労働者は高齢期における職業生活の充実のため、自ら進んで、高齢期における職業生活の設計を行い、その設計に基づき、その能力の開発及び向上ならびにその健康の保持及び増進に務める」とある。「労働基準法の第1条「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と比べると、‥「健康」は人権や幸福追求権とは違う文脈であり、いわば「社会のために健康であれ」というメッセージを法律が帯びている‥。‥本気で人々の「健康」を考えるのであれば、そもそも過労死にさえ至るような過重労働など許される話しではない。‥個々人の努力を奨励するのとは反比例するように社会的な健康に対するフォローは低く、それこそ大阪府が万一の備えなど考えずに病床を削った政策などを見るにつけても健康を整えるための労働環境、社会環境はどんどん杜撰になりつつある。」

・一九三一年十二月十日の高田博厚 ロマン・ロランの証言から   高橋 純

・写真のそばで             竹内万里子
「写真家というと、決定的瞬間をするどく捕らえる狩人のようにアクティブなイメージが浮かぶ。しかし実際に私が出会った人たちの多くは、‥ひっそりと暗い穴のなかに潜む異端の科学者あるいは詩人のようだった。彼らはいわゆる決定的瞬間からこぼれ落ちるような、人が気づくことのない小さな細部や、偶然、目に見えない気配といったものに対して異様に敏感で、撮る人以前に徹底して見る人でもあった。私は私には見えていない何かを見ている彼らの目が、ただただ怖かった。」

・ある音楽家の沈黙 ピアニスト、ラドゥ・ルプーを思う      青澤隆明


折り畳み椅子

2022年05月04日 20時53分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の集会で芝生の上に座る折り畳み椅子が15cmと低すぎて、杖にすがっても座れないし、ドスンとお尻を落として座ると膝は痛くなるうえに、立ち上がるにも大変な苦労となった。
 やむなく、本日はもう少し高さの高い折り畳み椅子を探した。関内の大きな百円ショップで見つからず、バスにてみなとみらい地区に移動し、広い敷地で安い家具店、そして山の用品店を探して回った。
 結局3か所目の山の用品店で高さ33cmの軽量で丈夫、コンパクトな三脚式の折り畳み椅子を見つけて購入した。しかし3300円と高価。この33cmの高さでも杖がないと座ったり立ったりするのは厳しいものの、15cmよりはずっと楽であった。今使っているリュックにギリギリで収まる。次に使用する機会がいつあるかわからないが、持っていて無駄にはならないと思い、妻の承諾のもと購入した。

 折り畳み椅子購入後は、新築なった神奈川大学のみなとみらいキャンパスを見、そして新たに開館した横濱ゲートタワーのプラネタリウムの外観を見学してから1階の喫茶店で休憩。プラネタリウムは混雑しており、鑑賞はしなかった。

 バスにて帰宅したが、家具店を出た頃から右膝に痛みが出始め、団地の傍のバス停に降車してからは、足を引きづって家まだ歩いた。帰宅してみると9500歩も歩いていた。昨日は10300歩なので、二日で2万歩近くも歩いてしまった。明日はあまり歩かずに過ごしたい。本日はたっぷりと湿布薬を塗って就寝したいものである。

 2015年の猿倉温泉で撮影。

   


天気に恵まれた

2022年05月03日 22時46分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 充実した集会であった。右膝の故障が悪化しないよう集会終了後のデモには参加せずに、大井町駅で友人2人とコーヒータイム。退職者会のデモ参加者と大井町駅で合流。近くの居酒屋で楽しく吞んだ。さらに二次会に繰り出して、先ほどようやく帰宅。コロナ禍ということで3年ぶりの開催となり、以前を振返りながら実に楽しい時間を過ごした。
 集会後の一次会では生ビール1杯に日本酒2合、二次会では酎ハイ3杯。これは少々飲みすぎであった。いつものことながら飲み終わってから後悔と反省をしながら、バスにて帰宅。帰宅してみると本日は1万歩も歩いていた。

 明日は休養日ということにしたい。横浜駅までは出かけるが、静かに過ごしたい。
 


昼から有明防災公園

2022年05月03日 09時55分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は都内の有明防災公園での憲法集会に昼前から参加予定。当初右膝の痛みと杖を突いての歩行を理由に参加しない旨伝えていた。
 しかし21日の退職者会総会で痛めた膝も前日までの痛み程度に回復してきたので、集会には参加することにした。集会後のデモは遠慮する。意外と不規則に歩くデモは痛めた膝には良くない。
 一応カメラと折りたたみ椅子、そして杖を持参しての集会参加である。ひょっとしたらデモ解散地点に交通機関を使って先回りをして、喫茶店ででも終了まで待つことも考えている。打ち上げに参加するためである。それは膝の状況次第で判断したい。


「図書5月号」 その1

2022年05月03日 07時53分55秒 | 読書

 昨晩読んだのは「図書5月号」から次の5編。

・【表紙】アン・ブーリン        杉本博司

・経済をめぐる本来の経験        大澤真幸
「政治の中心は経済政策である。経済学は、社会科学の中でも最も洗練された分野だ。‥だが、経済に関しては、ごく現実的な目標を達成する方法も思いつかない。‥私たちは、貨幣や経済システムを私たちの意図に従う道具として思い描く。が、マルクスは、商品と貨幣のふるまいは、貨幣を神として崇める宗教を営んでいるかのようだと述べる。経済を実際に構成している経験の様態(宗教)と、私たちが経済を通じて経験していると思っていること(道具)との間には乖離がある。‥資本主義経済では物の上に転移され、意識の外に出てしまった経済をめぐる本来の経験の総体とは何だったのか。」
 私には読んでも、書き写しても理解できなかった。私の能力がたりない、ということにしておくしかないのか。

・高齢者の自覚             岸 惠子

・「うた日記」の鴎外           永田和宏
「「うた日記」は鴎外が日露戦争で、陸軍第二軍事医務部長として満州に出征した間に書かれたものである。」
「なぜ鴎外が、日記という形で詩歌集を発表しようとしたのか、そこに描かれている世界、就中、戦争という〈非常の景〉を詩歌として詠うことにどのような意味があったのか。そんな〈内容〉に関わる疑問は、何より大切なものではあるが、ここに許されたスペースでは、到底論じることが出来ないものである。ここでは、〈形式〉という問題に絞ることにしたい。」
「鴎外の眼から見て、伝統詩として残ってぃるわずかな形式だけに汲々としがみついているかに見える「歌に老いたるうまびと」や「歌におごれるわかうど」への挑戦が、この「うた日記」の動機であり、意味だった‥。そんな大胆な試み、挑戦を、日露戦争という非日常のなかで、さらに軍医部長という現場のトップの業務を真摯にこなしつつ、毎日のように淡々と綴っていたことに、森鴎外という存在の大きさを思うのである。」

・プーチン、ウクライナ、日本国憲法   柳 広司
「日本の与野党政治家の中には「これを機に日本は(核)武装を進めるべきだ。‥」と自国民を脅かす呆れた連中がいるようだが、彼らが名指しで仮想敵国とするアジアの国々と互角に戦う軍事力を、GDP比200%の財政赤字を抱えて経済的に破綻し、当面立て直す見込みもないこれからの日本が保有しようというのは、どう考えても非現実的であろう。今回の件で明らかになったのはむしろ「アメリカは他国に戦争に派兵しない」という当たり前の事実だ。「日米安保があるから日本はアメリカに守ってもらえる」という発送の方が(そもそも時前の外交を放棄した何とも気が滅入る発送だが)非現実的ということだ。それよりも、日本国憲法の理念を国際社会に掲げ、「国際紛争の武力による解決はなし」と訴えた方がよほど現実的であり、かつ経済的だろう。日本の政治家には本来の意味での外交を期待したい。」 


雑誌3冊‥

2022年05月02日 22時44分54秒 | 読書

 本日帰宅したら、「図書5月号」(岩波書店)と「月刊星ナビ6月号」が届いていた。連休中に目を通したいものがまた増えてしまった。この2冊は定期購読。もう1冊、「日経サイエンス6月号」も手元にある。
 目と脳みそに鞭打って、連休中には読み終えたい。はたしてこれらの3冊と現在読んでいる本2冊を読み終えることが出来るであろうか。かなり否定的だが、それなりの努力をしてみる。
 「図書5月号」以外は興味あるものに限るしかない。理解出来るところと興味が限られているため。


人出は回復、とはいえ‥

2022年05月02日 21時14分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中にいつものかかりつけの内科に出向いたら、休診日であった。6日から診療を再開とのこと。そういえば、先月にかかった時にそのような掲示を見たことを思い出した。ワクチンの個別接種は午後に行っているらしいが、一般の診療はお休みということであった。薬は6日まであるので、問題はないのだが、すっかり忘れていたことが恥ずかしい。
 しかもその足で、喫茶店に行き、昼食兼コーヒータイム兼読書タイムとするつもりであったのに、中・近用の眼鏡がリュックに入っていなかった。
 新書版の「人類の起源」を10ページほど読んだところで、目が疲れて読書は断念。普段汎用で使っている遠・中・近の眼鏡は40~50cmのところが近点としてあるので、本を手にもって読書するときは10分程度で疲れてしまう。10分を超える書店での立ち読み、電車・バスの中での読書ではとても不便を感じる。
 喫茶店などで腕をいっぱいに伸ばして読書は出来るが、今度は字が小さくなって読めなくなってしまう。

 ということで、本日は横浜・桜木町・関内の百円ショップをハシゴ。親に頼まれた懐中電灯を探して歩いた。なかなか目当ての商品が見当たらず、結局3店目の関内でようやく購入できた。
 横浜駅の百円ショップはレジにたくさんの人が並び、混雑していた。桜木町・関内の店は広いこともあり、混雑はしていなかった。
 桜木町の駅前のビルの地下の、立ち飲みを中心とした安い飲み屋街はどこの店もほぼ満席。若いカップルも多かった。規制がなくなり、コロナ禍以前の8割程度まで外出が回復したというが、多くの人は安い所に集中しているのではないだろうか。遠くに出かけられるほどのゆとりがないということなのだろう。
 飲み屋街を見ると、世の中の景気・経済の実態がよくわかる、というのも的を射た判断なのだと思う。

 昨日に続いて2015年の八甲田山・猿倉温泉で撮ったものから。

   


「しぐさで読む美術史」

2022年05月01日 20時24分11秒 | 読書

   

 以前に購入してそのままになっていた「しぐさで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)の始めのほうを読んだ。同じ著者の「モチーフで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)は2冊とも読んでいるが、この本はまだ読んでいなかった。
 現在読んでいる本が優先なので、気が向いたときにめくりって楽しむという読み方をしたい。多分どの項から読み始めても支障はないはずである。
 本日読んだのは、「はじめに」から「走る」「踊る」「梳る」「殴る」「踏む」「吹く」「接吻」「抱く」「食べる」「飲む」までの10項。「走る」はこの本を購入時にすでに読んでいたが、再読。



 この「走る」の項ではパブロ・ピカソの「海辺を走る二人の女」(1922)も取り上げている。実はこのピカソの作品、どこかで見たと思うのだが、とても気に入った作品の一つであった。しかしなぜ私が惹かれたのか、この本を読むまでわからないままでいた。
 この本の中で著者は「(この女性が)なぜ走っているのかわからないが、なんとのびやかで力強いイメージだろうか。人は感情が高ぶったときや、嬉しくてたまらないときに走り出すことがある。この絵にはそうした走ることの原初的な意味が表れているような気がする。見る人の心まで清々しくさせる、走る絵の名作である。」と記している。
 明日は連休の狭間の月曜日。明日からはまた「人類の起源」に戻る予定。 


雨を理由にダラダラ

2022年05月01日 17時23分21秒 | 天気と自然災害

 午後遅くなってから雨が降る予報になっていたが、結局11時ころにはもう降り始めてしまった。しかも16時過ぎには大雨注意報まで出た。
 レインアイよこはまを見ると20ミリの雨の区域が南から北へ移動している。
 朝から出かけたいと思いながらも、雨の中を出かける気になれず、ダラダラと時間が過ぎてしまった。
 朝から2015年の時に、岩木山と八甲田山を登り、猿倉温泉で停滞していた時に撮影した写真を整理してみた。
 さらに、久しぶりに美術関係の本が読みたくなり、寄り道ではあるが「しぐさで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)を読み始めた。


八甲田山の「痛い」思いで

2022年05月01日 15時59分45秒 | 山行・旅行・散策

         

 昨日に続いて、2015年7月から8月にかけてた岩手山から八甲田山に足を伸ばして登山。八甲田山の下山時に雨で停滞した猿倉温泉での写真から。
 なお、本日再掲した紫の花はアザミではなく、タムラソウと思われる。棘がないのが特徴。

 この時は八甲田山の頂上直下の下りで転び、左ひじが「ゴキッ」と音を立てた。左ひじを骨折したかと思うほど痛んだ。雨で停滞せざるを得ず、猿倉温泉で停滞。温泉では雷を伴う豪雨であった。
 温泉では左腕を温めないほうが良いと思われたので、左腕を上に伸ばして浴槽に浸かっていた。
 翌日は南八甲田連邦の駒ヶ嶺に登る予定であったが、左ひじの痛みが取れず、登山は断念。カメラで宿の周囲を撮影。午後に再び豪雨となり、宿に備えてあった文庫本を読んで過ごした。登っていたら雷に遭うところであった。停滞して助かった。

 横浜に戻り、痛みが取れないばかりか、だんだんひどくなるようなので整形外科に行ったが、骨折ではない、とわかり一安心。鎮痛剤と湿布で治した。痛みが引くまで1週間はかかったと記憶している。