過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
スクラップブックからいったん離れて、違うノートを覘いてみることに。
昭和61年て書いてあるから、これが一番古いノートかも?
読んでビックリ この頃が一番ブッ飛んでる
なにも知らずに、これを読んだ人は分裂症かなにか患っているのでは?と思うだろうな。
妄想炸裂の文章の中に、所々映画感想メモもあったので、そちらのみを紹介w
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『オリエント急行殺人事件』
種々雑多で興味あるキャスト。イングリット・バーグマンは、
これで女優として完成し、これからという時に亡くなったという。
鮮やかなトリックと、それを明かしていく明晰な頭脳の探偵は、
まさにアガサ・クリスティ、彼女自身だ。
画面全体もとても綺麗。
急行が発車する前の混雑、煙を吐き、しだいに遠のいてゆく列車、
列車の中の少し窮屈ぎみな車内とその廊下、
整然とした画面の中で静かに流れてゆく殺人と過去の幻影。
素晴らしい女流推理映画として完成している。
これを観るすべての観客は、探偵とともにオリエント急行の切符を握ることになる。
朝霧の中、発車ベルが鳴り、おごそかに急行列車は走り出す。
甘い死の静寂を漂わせながら・・・。
■『スペースインベーダ』(1986)
監督:トビー・フーパー 出演:カレン・ブラック、ハンター・カーソン ほか
「火星人の地球侵略」はよくある話。だけど、「首に釘のようなモノをはめ込まれる」、
「銅をエネルギーとしてビームを発射する」というアイデアは面白かった。
最初から最後までデヴィッドと保健の先生は、逃げて、逃げて、逃げまくる映画だったが、
なかなかハラハラしたムードがこちらにも流れてきて目が離せなかった。
特に「善悪」の関係が興味深かった。
「悪」ばかりの世界に「いい人」が奮闘するのは、恐怖もから周りしてしまう。
その緊迫した中で、見知った人たちが果たして心許せる者かどうか、
思わぬ時と場所で「善」と「悪」どちらかに賭け、自分のみを信用して見分ける。
それは最後まで真相ではないかもしれないが。
ラストシーンもひと工夫凝らしてあった。
夢で終わったら『エルム街の悪夢』のように説得力が欠けてしまう、
現実的にするには回帰が必要だった。
物言いたげなラストは2に導く鍵かもしれない
■『アラバマ物語』(1962)
監督:ロバート・マリガン 出演:グレゴリー・ペック ほか
父親に絶対真理をおく少年と妹、そしてその友だちの話。
「他人の側になって物事を考えてみること」と父が言った言葉を
少女は子どもながらに深く理解する。
モノクロだが、本当の色と心がじーんと感じられる家庭的映画だった。
■『月下の銃声』(1948)
出演:ロバート・ミッチャム、R.プレストン ほか
主演の男優がとても眠そうな顔だったのが一番印象的
ストーリー的にはつまらなかった。モノクロが気になる作品。
■『ジョン&メアリー』
出演:ダスティン・ホフマン ほか
一晩だけだと思って付き合った男女が、駆け引きの言葉を交わしながら、しだいに本物の愛に変わってゆく話。
心理描写をそのまま頭の中のセリフで表すところが異色。
それよりもっとフシギなのは、このハッピーエンドの映画を観た晩のユメで話の続きを見たこと。
■『キングコング』
出演:フェイ・レイ、ロバート・アームストロング ほか
最も初期のものにも関わらず特殊撮影が素晴らしいのは大いに動揺させられた。
また、怪獣同士の決闘も細部まで凝っているのが伝わってくる。
コマ撮りのぎこちなさはあれど、あの時代にこの映画、ただただ感動。
しかし、リメイク版のお涙頂戴と違い、今作のコングは最後まで“美女と野獣”のまま終わっている。
製作者は、この頃はまだコングに感情や、愛情、涙を与えようなどとは思わず、
単なる怪獣が人を襲うという心境だったのか?
それとも、コングを人前にさらけ出すシーンで、
人間の非情な好奇心をあらわすことで暗示していたのか。
リメイクでは、むしろ観客の同情を狙うオーバーな演出だったと考えるべきなのかもしれない。
■『ラストエンペラー』(劇場にて
本当に迂闊だった。あらかじめ原作を読んでおけば、映画のストーリーを大方掴むことが出来たのに。
でも、構成がどうかなど細部にわたってチェックできても、あくまでもチェックであって、
“なるほど原作通りだな”という感想がつのるばかりで、本来の魅力が感じとれなかっただろう。
1人1人の役者が完璧であればあるほど、ノンフィクションの実在した人物の歴史を味わえなくなる。
主役を演じたジョン・ローン本人いわく
「私はそっくりに演じようとするのでなく、自分のものして、役をフィットさせるつもりでした」
まさにその通りに出来上がっている。溥儀は本人を離脱し、常にジョンのイメージにつながる。
原作を読むとそう簡単にその身を任せることは出来ない。
はじめは5~6時間のとてつもない長編だったらしいが、どうして3時間に縮めてしまったんだろうか。
それだけの重みはあるのに。(←劇場で公開できないよね
とにかくキャストが素晴らしかった。
溥儀の50~60代のシーンが最も印象深いが、ジョンの演技力の高さがうかがえる。
ジョンの熱烈ファンはすっかり満足できる。
(2ページにわたって興奮気味に書かれていて、文章がおかしいためだいぶはしょった
■『キューリー夫人』(1943)
原作:エーブ・キュリー 監督:マービン・ルロイ 出演:グリア・ガーソン、ウォールター・ピジョン ほか
尊敬の念を持って人を愛することできるのは、どんなに素晴らしいだろう!
愛とともに誇りを持てるなら、それはどんなに感動するだろう!
出逢い、同じ夢への同じ道程、失敗、すれ違い、再度失敗、失敗に次ぐ成功。夢の成就。
そして突然の永離。新しい出発。心の支え。
2人の科学の研究は知識欲でもある。科学に対する情熱、発見欲。
しかし根底にあるのは人間愛だ。
ラヂウムにより、多くの病に苦しむ人々が助けられる。死からも救うことが出来る!
夫婦、家族、友人、見知らぬ他人への愛。
偉大で静寂な二人の愛がゆったりとフィルムの根底に流れている。
星を自分自身の手で掴むのだ。偉大な人物ほど「素直」で「素朴」だ。
そして、いつも大発見の最初はとるに足らぬくだらない疑問と「何かが違っている」と感じることである。
■『ブギーマン』(1981)
監督:リック・ローゼンタール 出演:ジェイミー・リー・カーチス、ドナルド・プレザンス ほか
恐怖映画もここまで誇張されると恐さよりバカバしくなってくる。
いくら変人だとしても病室の一室で長年動かずにいるなんて不可能だと声を張り上げたい。
それに14年も経てば社会生活はずいぶん変わる。それなのに、あの鮮やかな追跡ぶりはなんだろうか。
そんな恐怖映画に耐えうる方法が1つある。殺人者側の立場になって映像を観る。
狙われる側に立って観るから「危ない!」と感じて恐がりもするし、驚きもする。
たまには殺人者の気持ちになって観てみると、意外な感覚が目を開けることだろう。
(なんだか危険なコメントをサラっと言いのけてるほうが怖い
■『風の谷のナウシカ』(1984)
監督:宮崎駿
土に生まれ、土に生きる、風に吹かれ、土に還る。これを繰り返し、繰り返す。
「地球に機械化の時代はやってこない」
宇宙服を身に着けた人間が、宙に浮かんだ物体に乗って行き来したり、
モノを原子に変えて、人さえ一瞬のうちに別の場所へ移動させたり、
そんな時代は来ない。すべての道は破壊への道だ。
みんな帰るんだ。水と土と太陽との巨大な浄化作用かもしれないし、
また新たな生命が海に、大地を割って、太陽を反射して発生する。
次にこの星の隅々まで覆いつくすのは、果たしてどんな形態なんだろう。
カブトガニか、ゴキブリか、ミドリムシや、サボテン類だろうか?
(また言い切り型のフシギなコメント。これがナウシカを観た最初の感想なのかな???
■『エデンの東』(1955)
監督:エリア・カザン 出演:ジェームズ・ディーン、ジュリー・ハリス ほか
家族といえども別物である。似ていると思えるなら、毎日一緒にいるせいだ。
別世界を求めて、いつか旅立たなければいられない。
■『海賊バラクーダ』(1940)
監督:F.ボーゼージ 出演:ポール・ヘンリード ほか
姫とバラクーダ船長のハッピーエンディングストーリー。
気の強い'40年代の美人女優が終始華を添えていた。
皆の演技の妙な固さが面白い。
■『スター・ファイター』(1985)
監督:ニック・キャッスル 出演:ランス・ゲスト、ロバート・プレストン ほか
以前観た『トロン』によく似ている。どちらも画面に入ってしまう話。
小説や絵画、映画やテレビの中で、人は夢を造り上げるが、
それが完璧に出来上がっても、造った人間がそこに入ることが出来ないのは大変辛いことだ。
しかし、これを観ていると、細部にわたる描写によって、あと何年後になるかは未定でも、
いつかは宇宙を支配することすら可能ではないかという気がしてくる。
祖母が子どもの頃など宇宙に人が飛び立つ話など絵空事だった。
わたしが死ぬ頃には、宇宙都市の一つくらいは出来ているかもしれない。
でもよく考えてみれば、単なる支配欲からの宇宙侵出かもしれない。
未知なままが一番美しいんだ。
(ナウシカの感想とだいぶ矛盾しているね・・・
■『知りすぎていた男』(1956)
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ドリス・デイ、ジェームズ・スチュアート ほか
ひと昔前の美男美女、可愛い子どもそのまま。
淀川さんの話では、ヒッチコックは自分の映画に必ずチョイ役で出ていることのほかに、
メガネの女性を出すのを好むと知った。
今作にも気味の悪い、メガネをかけた無愛想な女が現れる。
ヒッチコックは、人が日頃から持つ奥深い恐怖を浮き彫りにする。
例えば、後ろから自分とは別の靴音が聞こえたり、
わざとらしくコートを片手に持った男が単に通り過ぎるシーンも、
通り魔的犯罪にいつ巻き込まれるか分からない、日常にある不安と恐れを暗示しているような気がする。
ホラー映画でありながら、所々にちりばめたユーモアに充分笑わせてもらった。
スチュアートの温和さと短気さゆえの相違や、その他の人物一人ひとりの人格が素朴に伝わってきて、
全体的にあったかい映画だなと感じた。
ハイライト部分で何か告げようとした男の顔、土色にカムフラージュしたのを
スチュアートが手でねっとりと剥がしてしまう場面は印象深い。
(今作はなぜか数ページ後にもまた登場。そして違ったメモが書かれていた。
わずか1ヶ月で観たことを忘れてしまったのか 早っ!
■『ショートサーキット』(1986)
監督:ジョン・バダム 出演:アリー・シーディ、スティーブ・グッテンバーグ ほか
最終戦争用に開発されたロボットが落雷のショックで命をもらうSFファンタジー。
■『地下鉄のザジ』(1960)
出演:カトリーヌ・ドモンジョ ほか
カトリーヌ・ドヌーヴかと間違えて観てしまった
ドタバタコメディなのに、マザーグースのように根底に何か薄暗い雰囲気が漂っているのはなぜだろう。
途中でザジの身の上話が入るが、明るく話しているだけに空恐ろしいものがある。
ドモンジョがマネキンのような顔から始まって、出演者も見栄えのする者はいないが、
思わず笑うところもいっぱいあり、
頭をかしげたくなるようなフランス映画独特のフシギな場面もなくはない。
■『炎の少女 チャーリー』(1984)
監督:マーク・L・レスター 出演:ドリュー・バリモア、デヴィッド・キース、マーティン・シーン ほか
「精神の時代がやって来る」という。どちらにしても人間の力には限りがあると言える。
■『続・猿の惑星』(1970)
監督:テッド・ポスト 出演:チャールストン・ヘストン ほか
2回目のテレビ放映。地球は最後の核により滅びたはずなのに、
まだこのシリーズはずっと続くことになる。
いつ、何回観ても感心するメイクアップ
■『アラベスク』
出演:グレゴリー・ペック、ソフィア・ローレン ほか
グレゴリー・ペックの晩年作品だが、白髪まじりの頭にも関わらず、
どこか清潔な雰囲気を持つ青年らしさがある
ジョークのきいた、楽しく、スリルも、ロマンスもある映画。ソフィア・ローレンもイイ役。
グレゴリー・ペックが『オーメン』でのダミアンの父役だと初めて知った。
言われてみれば彼だ。まったく気付かなかった。
■『スターウォーズ~ジェダイの復讐』(1983)
監督:リチャード・マーカンド 出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー ほか
SFに親子の絆を組み合わせたのは面白い。
ジェダイが黒い仮面を外すと傷だらけの頭ツルツルのおじさんだった
ジョージ・ルーカスの周りはクリーチャーでいっぱい
■『アンネの日記』
出演:ミリー・パーキンス、リチャード・ベイマー ほか
“私は今でも信じる。どんなに酷いことをする人たちでも、みんな本当は心から善人なのだと”
隠れ家内での生活、見つかるか見つからないかハラハラの繰り返し、
残したいと思って残った日記が、後代までも残ってゆく。
■『上海サプライズ』(1986)
監督:ジム・ゴダード 出演:マドンナ、ショーン・ペン、ポール・フリーマン ほか
第一にマドンナの吹き替えになれる者は誰もいない
噂の絶えないペンとの共演。
危険な爆発物の“上海サプライズ”。大量アヘンの神話。
この頃は、テレビでしか映画を観れなかったんだな(切り抜きも新聞だし
観た時間帯まで書いてあるけど、大体深夜帯なため、
作品が若干レアな感じ(それとも選んでる側の問題か?
スクラップブックからいったん離れて、違うノートを覘いてみることに。
昭和61年て書いてあるから、これが一番古いノートかも?
読んでビックリ この頃が一番ブッ飛んでる
なにも知らずに、これを読んだ人は分裂症かなにか患っているのでは?と思うだろうな。
妄想炸裂の文章の中に、所々映画感想メモもあったので、そちらのみを紹介w
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『オリエント急行殺人事件』
種々雑多で興味あるキャスト。イングリット・バーグマンは、
これで女優として完成し、これからという時に亡くなったという。
鮮やかなトリックと、それを明かしていく明晰な頭脳の探偵は、
まさにアガサ・クリスティ、彼女自身だ。
画面全体もとても綺麗。
急行が発車する前の混雑、煙を吐き、しだいに遠のいてゆく列車、
列車の中の少し窮屈ぎみな車内とその廊下、
整然とした画面の中で静かに流れてゆく殺人と過去の幻影。
素晴らしい女流推理映画として完成している。
これを観るすべての観客は、探偵とともにオリエント急行の切符を握ることになる。
朝霧の中、発車ベルが鳴り、おごそかに急行列車は走り出す。
甘い死の静寂を漂わせながら・・・。
■『スペースインベーダ』(1986)
監督:トビー・フーパー 出演:カレン・ブラック、ハンター・カーソン ほか
「火星人の地球侵略」はよくある話。だけど、「首に釘のようなモノをはめ込まれる」、
「銅をエネルギーとしてビームを発射する」というアイデアは面白かった。
最初から最後までデヴィッドと保健の先生は、逃げて、逃げて、逃げまくる映画だったが、
なかなかハラハラしたムードがこちらにも流れてきて目が離せなかった。
特に「善悪」の関係が興味深かった。
「悪」ばかりの世界に「いい人」が奮闘するのは、恐怖もから周りしてしまう。
その緊迫した中で、見知った人たちが果たして心許せる者かどうか、
思わぬ時と場所で「善」と「悪」どちらかに賭け、自分のみを信用して見分ける。
それは最後まで真相ではないかもしれないが。
ラストシーンもひと工夫凝らしてあった。
夢で終わったら『エルム街の悪夢』のように説得力が欠けてしまう、
現実的にするには回帰が必要だった。
物言いたげなラストは2に導く鍵かもしれない
■『アラバマ物語』(1962)
監督:ロバート・マリガン 出演:グレゴリー・ペック ほか
父親に絶対真理をおく少年と妹、そしてその友だちの話。
「他人の側になって物事を考えてみること」と父が言った言葉を
少女は子どもながらに深く理解する。
モノクロだが、本当の色と心がじーんと感じられる家庭的映画だった。
■『月下の銃声』(1948)
出演:ロバート・ミッチャム、R.プレストン ほか
主演の男優がとても眠そうな顔だったのが一番印象的
ストーリー的にはつまらなかった。モノクロが気になる作品。
■『ジョン&メアリー』
出演:ダスティン・ホフマン ほか
一晩だけだと思って付き合った男女が、駆け引きの言葉を交わしながら、しだいに本物の愛に変わってゆく話。
心理描写をそのまま頭の中のセリフで表すところが異色。
それよりもっとフシギなのは、このハッピーエンドの映画を観た晩のユメで話の続きを見たこと。
■『キングコング』
出演:フェイ・レイ、ロバート・アームストロング ほか
最も初期のものにも関わらず特殊撮影が素晴らしいのは大いに動揺させられた。
また、怪獣同士の決闘も細部まで凝っているのが伝わってくる。
コマ撮りのぎこちなさはあれど、あの時代にこの映画、ただただ感動。
しかし、リメイク版のお涙頂戴と違い、今作のコングは最後まで“美女と野獣”のまま終わっている。
製作者は、この頃はまだコングに感情や、愛情、涙を与えようなどとは思わず、
単なる怪獣が人を襲うという心境だったのか?
それとも、コングを人前にさらけ出すシーンで、
人間の非情な好奇心をあらわすことで暗示していたのか。
リメイクでは、むしろ観客の同情を狙うオーバーな演出だったと考えるべきなのかもしれない。
■『ラストエンペラー』(劇場にて
本当に迂闊だった。あらかじめ原作を読んでおけば、映画のストーリーを大方掴むことが出来たのに。
でも、構成がどうかなど細部にわたってチェックできても、あくまでもチェックであって、
“なるほど原作通りだな”という感想がつのるばかりで、本来の魅力が感じとれなかっただろう。
1人1人の役者が完璧であればあるほど、ノンフィクションの実在した人物の歴史を味わえなくなる。
主役を演じたジョン・ローン本人いわく
「私はそっくりに演じようとするのでなく、自分のものして、役をフィットさせるつもりでした」
まさにその通りに出来上がっている。溥儀は本人を離脱し、常にジョンのイメージにつながる。
原作を読むとそう簡単にその身を任せることは出来ない。
はじめは5~6時間のとてつもない長編だったらしいが、どうして3時間に縮めてしまったんだろうか。
それだけの重みはあるのに。(←劇場で公開できないよね
とにかくキャストが素晴らしかった。
溥儀の50~60代のシーンが最も印象深いが、ジョンの演技力の高さがうかがえる。
ジョンの熱烈ファンはすっかり満足できる。
(2ページにわたって興奮気味に書かれていて、文章がおかしいためだいぶはしょった
■『キューリー夫人』(1943)
原作:エーブ・キュリー 監督:マービン・ルロイ 出演:グリア・ガーソン、ウォールター・ピジョン ほか
尊敬の念を持って人を愛することできるのは、どんなに素晴らしいだろう!
愛とともに誇りを持てるなら、それはどんなに感動するだろう!
出逢い、同じ夢への同じ道程、失敗、すれ違い、再度失敗、失敗に次ぐ成功。夢の成就。
そして突然の永離。新しい出発。心の支え。
2人の科学の研究は知識欲でもある。科学に対する情熱、発見欲。
しかし根底にあるのは人間愛だ。
ラヂウムにより、多くの病に苦しむ人々が助けられる。死からも救うことが出来る!
夫婦、家族、友人、見知らぬ他人への愛。
偉大で静寂な二人の愛がゆったりとフィルムの根底に流れている。
星を自分自身の手で掴むのだ。偉大な人物ほど「素直」で「素朴」だ。
そして、いつも大発見の最初はとるに足らぬくだらない疑問と「何かが違っている」と感じることである。
■『ブギーマン』(1981)
監督:リック・ローゼンタール 出演:ジェイミー・リー・カーチス、ドナルド・プレザンス ほか
恐怖映画もここまで誇張されると恐さよりバカバしくなってくる。
いくら変人だとしても病室の一室で長年動かずにいるなんて不可能だと声を張り上げたい。
それに14年も経てば社会生活はずいぶん変わる。それなのに、あの鮮やかな追跡ぶりはなんだろうか。
そんな恐怖映画に耐えうる方法が1つある。殺人者側の立場になって映像を観る。
狙われる側に立って観るから「危ない!」と感じて恐がりもするし、驚きもする。
たまには殺人者の気持ちになって観てみると、意外な感覚が目を開けることだろう。
(なんだか危険なコメントをサラっと言いのけてるほうが怖い
■『風の谷のナウシカ』(1984)
監督:宮崎駿
土に生まれ、土に生きる、風に吹かれ、土に還る。これを繰り返し、繰り返す。
「地球に機械化の時代はやってこない」
宇宙服を身に着けた人間が、宙に浮かんだ物体に乗って行き来したり、
モノを原子に変えて、人さえ一瞬のうちに別の場所へ移動させたり、
そんな時代は来ない。すべての道は破壊への道だ。
みんな帰るんだ。水と土と太陽との巨大な浄化作用かもしれないし、
また新たな生命が海に、大地を割って、太陽を反射して発生する。
次にこの星の隅々まで覆いつくすのは、果たしてどんな形態なんだろう。
カブトガニか、ゴキブリか、ミドリムシや、サボテン類だろうか?
(また言い切り型のフシギなコメント。これがナウシカを観た最初の感想なのかな???
■『エデンの東』(1955)
監督:エリア・カザン 出演:ジェームズ・ディーン、ジュリー・ハリス ほか
家族といえども別物である。似ていると思えるなら、毎日一緒にいるせいだ。
別世界を求めて、いつか旅立たなければいられない。
■『海賊バラクーダ』(1940)
監督:F.ボーゼージ 出演:ポール・ヘンリード ほか
姫とバラクーダ船長のハッピーエンディングストーリー。
気の強い'40年代の美人女優が終始華を添えていた。
皆の演技の妙な固さが面白い。
■『スター・ファイター』(1985)
監督:ニック・キャッスル 出演:ランス・ゲスト、ロバート・プレストン ほか
以前観た『トロン』によく似ている。どちらも画面に入ってしまう話。
小説や絵画、映画やテレビの中で、人は夢を造り上げるが、
それが完璧に出来上がっても、造った人間がそこに入ることが出来ないのは大変辛いことだ。
しかし、これを観ていると、細部にわたる描写によって、あと何年後になるかは未定でも、
いつかは宇宙を支配することすら可能ではないかという気がしてくる。
祖母が子どもの頃など宇宙に人が飛び立つ話など絵空事だった。
わたしが死ぬ頃には、宇宙都市の一つくらいは出来ているかもしれない。
でもよく考えてみれば、単なる支配欲からの宇宙侵出かもしれない。
未知なままが一番美しいんだ。
(ナウシカの感想とだいぶ矛盾しているね・・・
■『知りすぎていた男』(1956)
監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ドリス・デイ、ジェームズ・スチュアート ほか
ひと昔前の美男美女、可愛い子どもそのまま。
淀川さんの話では、ヒッチコックは自分の映画に必ずチョイ役で出ていることのほかに、
メガネの女性を出すのを好むと知った。
今作にも気味の悪い、メガネをかけた無愛想な女が現れる。
ヒッチコックは、人が日頃から持つ奥深い恐怖を浮き彫りにする。
例えば、後ろから自分とは別の靴音が聞こえたり、
わざとらしくコートを片手に持った男が単に通り過ぎるシーンも、
通り魔的犯罪にいつ巻き込まれるか分からない、日常にある不安と恐れを暗示しているような気がする。
ホラー映画でありながら、所々にちりばめたユーモアに充分笑わせてもらった。
スチュアートの温和さと短気さゆえの相違や、その他の人物一人ひとりの人格が素朴に伝わってきて、
全体的にあったかい映画だなと感じた。
ハイライト部分で何か告げようとした男の顔、土色にカムフラージュしたのを
スチュアートが手でねっとりと剥がしてしまう場面は印象深い。
(今作はなぜか数ページ後にもまた登場。そして違ったメモが書かれていた。
わずか1ヶ月で観たことを忘れてしまったのか 早っ!
■『ショートサーキット』(1986)
監督:ジョン・バダム 出演:アリー・シーディ、スティーブ・グッテンバーグ ほか
最終戦争用に開発されたロボットが落雷のショックで命をもらうSFファンタジー。
■『地下鉄のザジ』(1960)
出演:カトリーヌ・ドモンジョ ほか
カトリーヌ・ドヌーヴかと間違えて観てしまった
ドタバタコメディなのに、マザーグースのように根底に何か薄暗い雰囲気が漂っているのはなぜだろう。
途中でザジの身の上話が入るが、明るく話しているだけに空恐ろしいものがある。
ドモンジョがマネキンのような顔から始まって、出演者も見栄えのする者はいないが、
思わず笑うところもいっぱいあり、
頭をかしげたくなるようなフランス映画独特のフシギな場面もなくはない。
■『炎の少女 チャーリー』(1984)
監督:マーク・L・レスター 出演:ドリュー・バリモア、デヴィッド・キース、マーティン・シーン ほか
「精神の時代がやって来る」という。どちらにしても人間の力には限りがあると言える。
■『続・猿の惑星』(1970)
監督:テッド・ポスト 出演:チャールストン・ヘストン ほか
2回目のテレビ放映。地球は最後の核により滅びたはずなのに、
まだこのシリーズはずっと続くことになる。
いつ、何回観ても感心するメイクアップ
■『アラベスク』
出演:グレゴリー・ペック、ソフィア・ローレン ほか
グレゴリー・ペックの晩年作品だが、白髪まじりの頭にも関わらず、
どこか清潔な雰囲気を持つ青年らしさがある
ジョークのきいた、楽しく、スリルも、ロマンスもある映画。ソフィア・ローレンもイイ役。
グレゴリー・ペックが『オーメン』でのダミアンの父役だと初めて知った。
言われてみれば彼だ。まったく気付かなかった。
■『スターウォーズ~ジェダイの復讐』(1983)
監督:リチャード・マーカンド 出演:マーク・ハミル、ハリソン・フォード、キャリー・フィッシャー ほか
SFに親子の絆を組み合わせたのは面白い。
ジェダイが黒い仮面を外すと傷だらけの頭ツルツルのおじさんだった
ジョージ・ルーカスの周りはクリーチャーでいっぱい
■『アンネの日記』
出演:ミリー・パーキンス、リチャード・ベイマー ほか
“私は今でも信じる。どんなに酷いことをする人たちでも、みんな本当は心から善人なのだと”
隠れ家内での生活、見つかるか見つからないかハラハラの繰り返し、
残したいと思って残った日記が、後代までも残ってゆく。
■『上海サプライズ』(1986)
監督:ジム・ゴダード 出演:マドンナ、ショーン・ペン、ポール・フリーマン ほか
第一にマドンナの吹き替えになれる者は誰もいない
噂の絶えないペンとの共演。
危険な爆発物の“上海サプライズ”。大量アヘンの神話。
この頃は、テレビでしか映画を観れなかったんだな(切り抜きも新聞だし
観た時間帯まで書いてあるけど、大体深夜帯なため、
作品が若干レアな感じ(それとも選んでる側の問題か?