新しく始めた昔の記録からの映画感想メモシリーズ。
1989年の小さいノートの転記が1冊終わって、
スクラップブックのほうが年代がもっと古いかもと思って、
引っ張り出して見てみたら、そーでもないんだ。フシギ。
ノートに貼り付けられない大きな記事をスクラップブックに貼っていたのかなぁ?
よく思い出せないけど、急にスクラップブックのほうを見てみたくなったので、
今回は1994~1996年頃の1冊をチョイス←年代もハッキリしない
とにかく1冊目は聖子ちゃんの切り抜きから始まっていて、
今ではすっかりテープが劣化して剥がれてしまっていたから、修復タイムになってしまった
最初の頃は、雑誌や新聞記事などの切り抜きを貼るのがメインで、感想メモは少なめ。
主な関心事は、映画、音楽、アート、テニス、町歩きの記録等々・・・今のブログと変わってないな
先日、ワダさんが「名指しは刺されるぞ!」と吾妻さんに突っ込まれた、伊藤みどり選手の記事もありますw
photo1:聖子ちゃんの切り抜き。可愛い!
photo2:伊藤みどり選手の三回転半の決定的瞬間
photo3:オノ・ヨーコさんのアート記事。
そんな古い写真も挟みつつ、映画の感想メモの抜粋をスタート。
(ストーリーは長いからなるべく略します
■『新極道の妻たち~覚悟しいや』(1993)
久々に観た邦画―――というより、ついついハマって観きってしまった。
大阪で特に人気が定着している訳も分かる気がする。
もう死語になりつつある「仁義」だのだけじゃなく、
ビジネス化して、世の中に対応して変化している暴力団内部の影の世界が現にあるわけで、
組同士の抗争の裏で糸を引く妻たちの根性が座った強さが人気の秘密か。
着物もドレスもピシっとキマる岩下志麻のシャープでクールな美しさは絵になる。
声のドスのきかせ方は加賀まりこのほうが自然で存在感あり。
対照的に色気が売りのかたせ梨乃の肉感的な体を張った演技。
この姉妹の闘い方も同じ血が通っているとは思えない展開。
香港組織との観光シーンになぜかキラー・カーンまで出ている!
これだけ堂々と殺しても軽犯罪並、内輪もめの共倒れを警察は望んでいるのか?
ヤクザ映画には十八番の男優の顔ぶれが揃って、
花村と出会って安積が一人の女にもどるという流れは見どころ。
(いきなり極妻かい
■『ナイト・エンジェル~地獄へ誘う魔性の女』(1989)
木曜洋画劇場向き。相変わらず作り続けられるエロティック・ホラー。
中には面白いのもあるんだけど、大抵B級。
怪物(エイリアンそっくり)が象徴する“肉欲”を残酷な魔性の女として描く一方で、
そのエロティシズムが作品の見どころ。これが矛盾してる。
グレッグは魔女から逃れて“永遠の愛”を得たわけだけど、
結局、彼女との間にも肉欲は続くわけで、これは生死同様終わりがない。
(この辺のは、観た記憶がまったくなくなっているから、
メモっていても、まったく意味が分からない・・・滝汗
■『ALL THAT JAZZ』(1979)(原題:ALL RIGHT, IT'S SHOW TIME, FOLK)
「君は平凡であるのが怖いんだ」「そうだ」
「君は並でいるのが嫌なのさ」「そうだ」
「それにホモだとは言わないが女性的なところがあるぜ」「そうだ」
これだけの作品を今まで見逃していたなんて信じ難い。
ロイ・シャイダーがボブ・フォッシーの写し身となって、
自らの破滅に拍車をかけてゆく狂気が痛み、不安、絶望、寂莫と一緒に転がり込んでくる。
それとまったく対照的な真っ白くやわらかなサテンに包まれた見るも美しいジェシカ・ラングの優しい死への誘いが印象的。
酒に煙草にドラッグに女遊びで身を崩しかけている姿に、
思わず生活をストレートに変えてあげたくなる。
自伝的作品とあって、なんともリアルに迫ってくる。
たっぷり2時間、多数の別種のショーが絡み合い、1つをとっても音楽もステップも衣装や舞台もまったく異なる大掛かりさ。
まさにフォッシーはもちろん、スタッフ全員が、そのすべての魂を吹き込んだ感じ。
血と涙と汗でできた、これがブロードウェイ、これがショービジネスだ!
(実際は1ページ丸ごと使って、この倍くらい熱く語ってる。そんなに面白かったんだぁ
■『愛がこわれるとき』(1991)
さすがヒッチコックを研究した監督とあって伏線の張り方が上手くて、
か弱きヒロインが追い詰められた恐怖の戦慄からホッと心を解きほぐす緩急がこちらにそのまま伝わってくる。
女性の原作だからサイコさもリアルだけど、よくできたサスペンス小説的な設定。
偶然また偶然ってところもちらほら。
復活したJ.ロバーツのスターの輝きとヒロインとしての熱演が噛み合った作品。
1人の人間を思うままに操れると思ったら大間違い。
暴力夫の問題はかなりの実例があるんだよね。
今作には自力で抜け出し、自分で解決しようとした女性の勇気も描かれている。
パトリック・バーギンはなんだかサイコな夫役を嬉々として演じている感じ。
俳優としても今作で注目を浴びるようになったわけだけど、
誰にでもこうゆう狂気ってきっとどこかにちょっとはあるはず。
そうそう、優男が彼女の心をほぐし、くどくデートでのバックに
ヴァン・モリソンの♪Brown eye girl が流れていたのが印象的。
そこだけガラリと雰囲気がカジュアルになって『プリティ・ウーマン』的になる。
■『スティーブン・キングの地下室の悪夢』(1991)
「恐怖には代償があるが、人間が理解出来るのは小さい恐怖だ」とキング先生は言ったそうな。
そしたら大きな恐怖とはどんなものか?
地下室から出た意味不明のドロドロ、ネバネバ、羽根で空も飛べるし、
人を喰うデカイ顔と、無限の食欲を持つモンスターよりスゴイ
米米のてっぺーちゃん好みなクリーチャーだね。こんなのがいるってのも唐突だけど、
工場の奥下がポッカリ洞窟なのもブッたまげじゃない?
キング作品の中では純粋なホラー(そんなジャンルがあるなら)だけど、
怪物よりもベトナム戦争の後遺症でキレちゃってる工場長のほうが凶暴だ。
顔を黒く塗っちゃって、すっかり戦時中が蘇って、怪物の脚だか手だかに噛み付いて抵抗した根性はアッパレ!
通常ホラーの場合、男女2人が助かるところ、丁寧なオチまでついてる妙に穏やかでドライな終わり方。
結局、恐怖を生み出すのは、あの大量のネズミじゃなかったのね。
人喰いねずみの伏兵も怖いけど、ネズミ退治エキスパートの兄ちゃんのキレ方もよかった。
「戦争の古傷か・・・」て。
ネズミを雇用したほうが早いようなあの工場。そこで働かなきゃならないなんて、
アメリカの雇用問題はかなり深刻だ。
■『アッシャー家の惨劇』(1960)
友だちのお姉さんから届いたR.コーマン作品3本のうちの1本。
今作は前に観たと思っていたけど、記憶が薄いので再度観て納得。
ポーの原作だけど、かなりアレンジしたものらしい。原作が未読で具体的に分からない。
舞台でやっても安くできるだろうね。完全な室内劇だし、出演者は4人だし。
疫病なら仕方ないけど、そんな呪われた家、引っ越せばいいのに・・・
お金ないのかしら?それとも家が出させてくれないのかな?
家自体人を襲うホラーはS.キングも作ったけど、
大昔のポーは素晴らしいSFアイデアがいっぱいだったのね。
それとも彼自身狂気にとりつかれていたからかも。
カフカの世界のほうがどっちかと言えば好きだけど。
■『ぼくの伯父さん』(1958)
いいなあ、このキャラにこのタッチ
ジャック・タチのパントマイム風のボケに先の展開を急がないゆったりしたストーリー運び。
始まりと終わりは軽快なジャズで現代社会のスピードの速さを表し、
それと逆行するユロおじさんのテンポ、野良犬たち、そこに混ざろうとする
アルペル家の飼い犬のいじましさは、そのまま、奔放に遊ぶ友人たちに合わせるジェラール君にも通じている。
子どもと同じ魂を持つユロ氏。
生計を立てていくにはあまりに協調性や仕事達成能力に欠けるけど、それだけが人生じゃない。
工業化する前のフランスの日々の、平穏で自然な日常生活感が温かい。
対照的に近代建築、その他あらゆる電気機器の合理性、デザインは目を惹くけれども、
電気仕掛けや、建築それ自体に生活が振り回され、人情が消え、場所に縛られる人の姿の皮肉り方も絶妙。
庭の色使い、魚の口から水の出る噴水、ハリガネのザルみたいなイス、
丸い窓、その他もろもろ斬新なデザインが面白い。
子どもがなつくユロ氏に妬いていた父は、息子と同じイタズラな世界に少し戻ることで愛息の心を取り戻す。
叔父さんは転任になっちゃうけど、親子の愛情は彼のおかげで回復するっていうラストもイイ
(マイベストの1つ。永遠に愛すべきユロ氏。
1989年の小さいノートの転記が1冊終わって、
スクラップブックのほうが年代がもっと古いかもと思って、
引っ張り出して見てみたら、そーでもないんだ。フシギ。
ノートに貼り付けられない大きな記事をスクラップブックに貼っていたのかなぁ?
よく思い出せないけど、急にスクラップブックのほうを見てみたくなったので、
今回は1994~1996年頃の1冊をチョイス←年代もハッキリしない
とにかく1冊目は聖子ちゃんの切り抜きから始まっていて、
今ではすっかりテープが劣化して剥がれてしまっていたから、修復タイムになってしまった
最初の頃は、雑誌や新聞記事などの切り抜きを貼るのがメインで、感想メモは少なめ。
主な関心事は、映画、音楽、アート、テニス、町歩きの記録等々・・・今のブログと変わってないな
先日、ワダさんが「名指しは刺されるぞ!」と吾妻さんに突っ込まれた、伊藤みどり選手の記事もありますw
photo1:聖子ちゃんの切り抜き。可愛い!
photo2:伊藤みどり選手の三回転半の決定的瞬間
photo3:オノ・ヨーコさんのアート記事。
そんな古い写真も挟みつつ、映画の感想メモの抜粋をスタート。
(ストーリーは長いからなるべく略します
■『新極道の妻たち~覚悟しいや』(1993)
久々に観た邦画―――というより、ついついハマって観きってしまった。
大阪で特に人気が定着している訳も分かる気がする。
もう死語になりつつある「仁義」だのだけじゃなく、
ビジネス化して、世の中に対応して変化している暴力団内部の影の世界が現にあるわけで、
組同士の抗争の裏で糸を引く妻たちの根性が座った強さが人気の秘密か。
着物もドレスもピシっとキマる岩下志麻のシャープでクールな美しさは絵になる。
声のドスのきかせ方は加賀まりこのほうが自然で存在感あり。
対照的に色気が売りのかたせ梨乃の肉感的な体を張った演技。
この姉妹の闘い方も同じ血が通っているとは思えない展開。
香港組織との観光シーンになぜかキラー・カーンまで出ている!
これだけ堂々と殺しても軽犯罪並、内輪もめの共倒れを警察は望んでいるのか?
ヤクザ映画には十八番の男優の顔ぶれが揃って、
花村と出会って安積が一人の女にもどるという流れは見どころ。
(いきなり極妻かい
■『ナイト・エンジェル~地獄へ誘う魔性の女』(1989)
木曜洋画劇場向き。相変わらず作り続けられるエロティック・ホラー。
中には面白いのもあるんだけど、大抵B級。
怪物(エイリアンそっくり)が象徴する“肉欲”を残酷な魔性の女として描く一方で、
そのエロティシズムが作品の見どころ。これが矛盾してる。
グレッグは魔女から逃れて“永遠の愛”を得たわけだけど、
結局、彼女との間にも肉欲は続くわけで、これは生死同様終わりがない。
(この辺のは、観た記憶がまったくなくなっているから、
メモっていても、まったく意味が分からない・・・滝汗
■『ALL THAT JAZZ』(1979)(原題:ALL RIGHT, IT'S SHOW TIME, FOLK)
「君は平凡であるのが怖いんだ」「そうだ」
「君は並でいるのが嫌なのさ」「そうだ」
「それにホモだとは言わないが女性的なところがあるぜ」「そうだ」
これだけの作品を今まで見逃していたなんて信じ難い。
ロイ・シャイダーがボブ・フォッシーの写し身となって、
自らの破滅に拍車をかけてゆく狂気が痛み、不安、絶望、寂莫と一緒に転がり込んでくる。
それとまったく対照的な真っ白くやわらかなサテンに包まれた見るも美しいジェシカ・ラングの優しい死への誘いが印象的。
酒に煙草にドラッグに女遊びで身を崩しかけている姿に、
思わず生活をストレートに変えてあげたくなる。
自伝的作品とあって、なんともリアルに迫ってくる。
たっぷり2時間、多数の別種のショーが絡み合い、1つをとっても音楽もステップも衣装や舞台もまったく異なる大掛かりさ。
まさにフォッシーはもちろん、スタッフ全員が、そのすべての魂を吹き込んだ感じ。
血と涙と汗でできた、これがブロードウェイ、これがショービジネスだ!
(実際は1ページ丸ごと使って、この倍くらい熱く語ってる。そんなに面白かったんだぁ
■『愛がこわれるとき』(1991)
さすがヒッチコックを研究した監督とあって伏線の張り方が上手くて、
か弱きヒロインが追い詰められた恐怖の戦慄からホッと心を解きほぐす緩急がこちらにそのまま伝わってくる。
女性の原作だからサイコさもリアルだけど、よくできたサスペンス小説的な設定。
偶然また偶然ってところもちらほら。
復活したJ.ロバーツのスターの輝きとヒロインとしての熱演が噛み合った作品。
1人の人間を思うままに操れると思ったら大間違い。
暴力夫の問題はかなりの実例があるんだよね。
今作には自力で抜け出し、自分で解決しようとした女性の勇気も描かれている。
パトリック・バーギンはなんだかサイコな夫役を嬉々として演じている感じ。
俳優としても今作で注目を浴びるようになったわけだけど、
誰にでもこうゆう狂気ってきっとどこかにちょっとはあるはず。
そうそう、優男が彼女の心をほぐし、くどくデートでのバックに
ヴァン・モリソンの♪Brown eye girl が流れていたのが印象的。
そこだけガラリと雰囲気がカジュアルになって『プリティ・ウーマン』的になる。
■『スティーブン・キングの地下室の悪夢』(1991)
「恐怖には代償があるが、人間が理解出来るのは小さい恐怖だ」とキング先生は言ったそうな。
そしたら大きな恐怖とはどんなものか?
地下室から出た意味不明のドロドロ、ネバネバ、羽根で空も飛べるし、
人を喰うデカイ顔と、無限の食欲を持つモンスターよりスゴイ
米米のてっぺーちゃん好みなクリーチャーだね。こんなのがいるってのも唐突だけど、
工場の奥下がポッカリ洞窟なのもブッたまげじゃない?
キング作品の中では純粋なホラー(そんなジャンルがあるなら)だけど、
怪物よりもベトナム戦争の後遺症でキレちゃってる工場長のほうが凶暴だ。
顔を黒く塗っちゃって、すっかり戦時中が蘇って、怪物の脚だか手だかに噛み付いて抵抗した根性はアッパレ!
通常ホラーの場合、男女2人が助かるところ、丁寧なオチまでついてる妙に穏やかでドライな終わり方。
結局、恐怖を生み出すのは、あの大量のネズミじゃなかったのね。
人喰いねずみの伏兵も怖いけど、ネズミ退治エキスパートの兄ちゃんのキレ方もよかった。
「戦争の古傷か・・・」て。
ネズミを雇用したほうが早いようなあの工場。そこで働かなきゃならないなんて、
アメリカの雇用問題はかなり深刻だ。
■『アッシャー家の惨劇』(1960)
友だちのお姉さんから届いたR.コーマン作品3本のうちの1本。
今作は前に観たと思っていたけど、記憶が薄いので再度観て納得。
ポーの原作だけど、かなりアレンジしたものらしい。原作が未読で具体的に分からない。
舞台でやっても安くできるだろうね。完全な室内劇だし、出演者は4人だし。
疫病なら仕方ないけど、そんな呪われた家、引っ越せばいいのに・・・
お金ないのかしら?それとも家が出させてくれないのかな?
家自体人を襲うホラーはS.キングも作ったけど、
大昔のポーは素晴らしいSFアイデアがいっぱいだったのね。
それとも彼自身狂気にとりつかれていたからかも。
カフカの世界のほうがどっちかと言えば好きだけど。
■『ぼくの伯父さん』(1958)
いいなあ、このキャラにこのタッチ
ジャック・タチのパントマイム風のボケに先の展開を急がないゆったりしたストーリー運び。
始まりと終わりは軽快なジャズで現代社会のスピードの速さを表し、
それと逆行するユロおじさんのテンポ、野良犬たち、そこに混ざろうとする
アルペル家の飼い犬のいじましさは、そのまま、奔放に遊ぶ友人たちに合わせるジェラール君にも通じている。
子どもと同じ魂を持つユロ氏。
生計を立てていくにはあまりに協調性や仕事達成能力に欠けるけど、それだけが人生じゃない。
工業化する前のフランスの日々の、平穏で自然な日常生活感が温かい。
対照的に近代建築、その他あらゆる電気機器の合理性、デザインは目を惹くけれども、
電気仕掛けや、建築それ自体に生活が振り回され、人情が消え、場所に縛られる人の姿の皮肉り方も絶妙。
庭の色使い、魚の口から水の出る噴水、ハリガネのザルみたいなイス、
丸い窓、その他もろもろ斬新なデザインが面白い。
子どもがなつくユロ氏に妬いていた父は、息子と同じイタズラな世界に少し戻ることで愛息の心を取り戻す。
叔父さんは転任になっちゃうけど、親子の愛情は彼のおかげで回復するっていうラストもイイ
(マイベストの1つ。永遠に愛すべきユロ氏。