古いノートからの映画感想メモ転記シリーズw
毎回10本ずつ紹介してゆきます。
■『陽はまた昇る』(1957)
監督:D.マン 出演:E.テーラーほか
戦争により不能となった元新聞記者は、看護の手伝いをしていた女性と愛し合いながらも拒み続ける。
古い仲間とスペインへ小旅行に出掛け、叶わぬ愛の代償を求めて美女は毒を振りまき、
若き闘牛士ロメオと駆け落ちするが、やはりその男を忘れきれずに戻ってくる。
しかし互いに無意味な生活を捨てることを決心して、そこで映画は終わる。
どこから見てもお似合いなのに、うまくいかなさすぎる。
スペインの街が魅力的に描かれている。
■『逢びき』(1945)
引き裂かれる原因が多ければ多いほど気持ちは燃え盛る
心理学的に当てはめやすい典型例であるにもかかわらず、
どうしようもない時がある。
現象を説明できても、抑制する手立てがないのは、なんて空しいことだろうか?
■『Rebel~反逆の青春』(1985)
監督:マイケル・ジェンキンス 出演:マット・デュロン、ブライアン・ブラウン ほか
木曜洋画劇場で観た。安易なラブストーリーだけに気楽に楽しめる戦争映画。
最後がカッコよすぎたが、出演者が出演者だけにピッタリきまってた。
マット・デュロンは面白い顔だ
(笑。いや、スイマセン
■『トスカニーニ~愛と情熱の日々』(1988)
トーマス・ハウエルの指揮、チェロを弾くところ、
エリザベス・テーラーのオペラ歌手として歌い上げるところ、
演じきっているなと感じる。
ラブストーリーというより黒人解放を主に説いている映画。
■『プレンティ』(1985)
さすがのメリル・ストリープが出演しているだけあって、歴史的な流れもとりまぜての重みある作品。
『ソフィーの選択』『恋におちて』同様、一人の女の生き様を見事に演じている。
この(テレビ雑誌の)解説では足りない。解説者もさぞ困るだろう。
複雑な“精神を病める者”の心は、他人には決して理解・解読することは出来ないのだから。
夫(チャールズ・ダンス)は、静かで平凡な生活を妻に求め、縛っておこうと思い、
妻(メリル・ストリープ)は、刺激と前進を常に求める。
傍から見れば充分変化に富んでいるように見えるが、
彼女にとっては、環境のように変化していかないことが苛立たしい。
突然、子どもを欲し、ほんの友人(スティング)に頼むという無謀な行動をとる。
まだ若い頃、ある男(サム・ニール)とであったことが忘れられずに、
再会するが、「自分は孤独を愛し、これからも愛し続けてゆくのだ」と
その男の優しさも受け止めようとしない。
昔と同じように、男は何もいわずに部屋を去る。
興味深いのは、最後の野原のシーンでの農夫との会話。
「イギリス人は、冷酷で感情がないというがね」
「隠すのよ。他人に見られないように。心の奥に隠してしまうの」
「バカだよ」
「そうね、バカよねw でも、これからは違うんだわ。こういう日がこれからは毎日、毎日、毎日続いてゆくのよ」
一体何を隠すと言っているんだろうか、彼女は。
冷酷さか、優しさか。後者だと思いたいが、最後に彼女の精神の中で生まれた変化は、一体どんな変化だったのだろう。
夫は怒りもせず、妻が自分を理解し、納得するまで諦めないぞ、と
妻が出て行って、もう二度と帰りはしない家でポツンと寂しく暮らしているというのに。
彼女は一体これからどう暮らしてゆくというのだろうか?
メリル・ストリープがフランス訛りの英語をこの映画のために練習した、
その成果も充分すぎるほど出ていると思う。
(今作は、以前も紹介した→「心の中のベストフィルムvol.5」
珍しく、ノートにも2ページにわたって記録している。感想メモを比べるのも一興。
今作でチャールズ・ダンスにハマった。いかにも英国紳士といった感じ。
■『オーメン・最後の闘争』(1981)
ダミアンも成長してサム・ニールのような青年実業家となることが出来ました。
悪魔の誕生が運命ならば、星が合体して、絶対神が現れるのもこれまた運命でして、
ダミアンの今までの苦労も一瞬のうちにぶっ飛んでしまったわけです。
■『ジキルとハイド』
出演:アンソニー・パーキンス
原作のほうがきっと面白いような気がする。
しかし『サイコ』シリーズといいアンソニー・パーキンスに精神異常者の役を演らせたら右に出る者は、
ジャック・ニコルソンくらいなものだろう
青白くて、目ばかりクリクリして、まるで幽霊そのものなのに、
売春婦たちは繰り返し「ハンサムさん」とか「ジェントルマン」と言っているのが腑に落ちない。
■『ホームボーイ』
出演:ミッキー・ローク、クリストファ・ウォーケン ほか
終始通じてうすら暗くて、空しくて、薄ら汚い作品。
どうしようもない過去を持った連中が、同じ羽を持つ鳥のごとくに寄り集まって、
それぞれの打ち明け話を(いかにも重要な秘密のごとく)する。
空しい生活が美徳だとミッキー・ローク自らが言っているようである。
自分と真正面に顔を突き合わせていながら、自分自身をゴミ以下に扱う、
凡人には確かに出来ないことだけれど、それがいいとか、カッコいいと感じるのはおかしいと思う。
頭骸骨にヒビが入っていて、もしパンチを食らったら死ぬとドクターに言われ、
黒人のヒッターに散々打たれ負けしたにもかかわらず、
最後は恋人のもとへ戻るという、この矛盾さがわたしを納得させない理由だ。
一方、友人のほうは相棒に裏切られ、その育ちに同情を一切持たない
しつこい警官によってあっけなく銃に撃たれ死んでしまう、この矛盾。
スタローンでも、ジャッキー・チェンでも、自分が主演し、プロデュースする映画の中で
一度でも自分自身(主人公)を自分の手で殺してみろ、と言ってやりたいのである。
(スタローン、並びにジャッキーファンの皆様方、未来のわたくしがお詫び申し上げます/謝
■『ビデオドローム』
いまいち理解出来ない。マスメディアとTV、ビデオからの情報の多さと、それに食われている人間たちの話だろうか。
『デモンズ』のような視聴者まで巻き込んでいく効果あり。次はお前の番だとでも言いたげなラスト。
■『結婚の条件~She's having a baby』(1988)
出演:ケビン・ベーコン ほか
軽く楽しめて、お茶の間番組のように身近中の身近な新婚夫婦の生活を描いた作品。
毎回10本ずつ紹介してゆきます。
■『陽はまた昇る』(1957)
監督:D.マン 出演:E.テーラーほか
戦争により不能となった元新聞記者は、看護の手伝いをしていた女性と愛し合いながらも拒み続ける。
古い仲間とスペインへ小旅行に出掛け、叶わぬ愛の代償を求めて美女は毒を振りまき、
若き闘牛士ロメオと駆け落ちするが、やはりその男を忘れきれずに戻ってくる。
しかし互いに無意味な生活を捨てることを決心して、そこで映画は終わる。
どこから見てもお似合いなのに、うまくいかなさすぎる。
スペインの街が魅力的に描かれている。
■『逢びき』(1945)
引き裂かれる原因が多ければ多いほど気持ちは燃え盛る
心理学的に当てはめやすい典型例であるにもかかわらず、
どうしようもない時がある。
現象を説明できても、抑制する手立てがないのは、なんて空しいことだろうか?
■『Rebel~反逆の青春』(1985)
監督:マイケル・ジェンキンス 出演:マット・デュロン、ブライアン・ブラウン ほか
木曜洋画劇場で観た。安易なラブストーリーだけに気楽に楽しめる戦争映画。
最後がカッコよすぎたが、出演者が出演者だけにピッタリきまってた。
マット・デュロンは面白い顔だ
(笑。いや、スイマセン
■『トスカニーニ~愛と情熱の日々』(1988)
トーマス・ハウエルの指揮、チェロを弾くところ、
エリザベス・テーラーのオペラ歌手として歌い上げるところ、
演じきっているなと感じる。
ラブストーリーというより黒人解放を主に説いている映画。
■『プレンティ』(1985)
さすがのメリル・ストリープが出演しているだけあって、歴史的な流れもとりまぜての重みある作品。
『ソフィーの選択』『恋におちて』同様、一人の女の生き様を見事に演じている。
この(テレビ雑誌の)解説では足りない。解説者もさぞ困るだろう。
複雑な“精神を病める者”の心は、他人には決して理解・解読することは出来ないのだから。
夫(チャールズ・ダンス)は、静かで平凡な生活を妻に求め、縛っておこうと思い、
妻(メリル・ストリープ)は、刺激と前進を常に求める。
傍から見れば充分変化に富んでいるように見えるが、
彼女にとっては、環境のように変化していかないことが苛立たしい。
突然、子どもを欲し、ほんの友人(スティング)に頼むという無謀な行動をとる。
まだ若い頃、ある男(サム・ニール)とであったことが忘れられずに、
再会するが、「自分は孤独を愛し、これからも愛し続けてゆくのだ」と
その男の優しさも受け止めようとしない。
昔と同じように、男は何もいわずに部屋を去る。
興味深いのは、最後の野原のシーンでの農夫との会話。
「イギリス人は、冷酷で感情がないというがね」
「隠すのよ。他人に見られないように。心の奥に隠してしまうの」
「バカだよ」
「そうね、バカよねw でも、これからは違うんだわ。こういう日がこれからは毎日、毎日、毎日続いてゆくのよ」
一体何を隠すと言っているんだろうか、彼女は。
冷酷さか、優しさか。後者だと思いたいが、最後に彼女の精神の中で生まれた変化は、一体どんな変化だったのだろう。
夫は怒りもせず、妻が自分を理解し、納得するまで諦めないぞ、と
妻が出て行って、もう二度と帰りはしない家でポツンと寂しく暮らしているというのに。
彼女は一体これからどう暮らしてゆくというのだろうか?
メリル・ストリープがフランス訛りの英語をこの映画のために練習した、
その成果も充分すぎるほど出ていると思う。
(今作は、以前も紹介した→「心の中のベストフィルムvol.5」
珍しく、ノートにも2ページにわたって記録している。感想メモを比べるのも一興。
今作でチャールズ・ダンスにハマった。いかにも英国紳士といった感じ。
■『オーメン・最後の闘争』(1981)
ダミアンも成長してサム・ニールのような青年実業家となることが出来ました。
悪魔の誕生が運命ならば、星が合体して、絶対神が現れるのもこれまた運命でして、
ダミアンの今までの苦労も一瞬のうちにぶっ飛んでしまったわけです。
■『ジキルとハイド』
出演:アンソニー・パーキンス
原作のほうがきっと面白いような気がする。
しかし『サイコ』シリーズといいアンソニー・パーキンスに精神異常者の役を演らせたら右に出る者は、
ジャック・ニコルソンくらいなものだろう
青白くて、目ばかりクリクリして、まるで幽霊そのものなのに、
売春婦たちは繰り返し「ハンサムさん」とか「ジェントルマン」と言っているのが腑に落ちない。
■『ホームボーイ』
出演:ミッキー・ローク、クリストファ・ウォーケン ほか
終始通じてうすら暗くて、空しくて、薄ら汚い作品。
どうしようもない過去を持った連中が、同じ羽を持つ鳥のごとくに寄り集まって、
それぞれの打ち明け話を(いかにも重要な秘密のごとく)する。
空しい生活が美徳だとミッキー・ローク自らが言っているようである。
自分と真正面に顔を突き合わせていながら、自分自身をゴミ以下に扱う、
凡人には確かに出来ないことだけれど、それがいいとか、カッコいいと感じるのはおかしいと思う。
頭骸骨にヒビが入っていて、もしパンチを食らったら死ぬとドクターに言われ、
黒人のヒッターに散々打たれ負けしたにもかかわらず、
最後は恋人のもとへ戻るという、この矛盾さがわたしを納得させない理由だ。
一方、友人のほうは相棒に裏切られ、その育ちに同情を一切持たない
しつこい警官によってあっけなく銃に撃たれ死んでしまう、この矛盾。
スタローンでも、ジャッキー・チェンでも、自分が主演し、プロデュースする映画の中で
一度でも自分自身(主人公)を自分の手で殺してみろ、と言ってやりたいのである。
(スタローン、並びにジャッキーファンの皆様方、未来のわたくしがお詫び申し上げます/謝
■『ビデオドローム』
いまいち理解出来ない。マスメディアとTV、ビデオからの情報の多さと、それに食われている人間たちの話だろうか。
『デモンズ』のような視聴者まで巻き込んでいく効果あり。次はお前の番だとでも言いたげなラスト。
■『結婚の条件~She's having a baby』(1988)
出演:ケビン・ベーコン ほか
軽く楽しめて、お茶の間番組のように身近中の身近な新婚夫婦の生活を描いた作品。