■ドラマ『開拓者たち』
出演:満島ひかり、石田卓也、綾野剛、山下リオ、新井浩文、小林且弥、徳永えり、金井勇太、芦名星、平岳大、前田愛、佐津川愛美、石田法嗣、二階堂智、田中美里、田中哲司 ほか
主題歌:♪いのちの歌/竹内まりや
2012年4月にNHK「ドラマ10」で放送された「日中国交正常化40年記念」ドキュメンタリードラマ。
ちょうど、こないだ書いた『はつ恋』の前で、これも予録したままで、やっと観てみた。
▼あらすじ
日本の傀儡国家という事実を知らずに、満州に渡った開拓移民たち。
阿部ハツら日本人女性は、口減らしのために農家から大量に満州に送られた。
千振(ちふり・現中華人民共和国黒龍江省樺南市)のどこまでも続く地平線に感動するハツ。
千振の豊かな土地では、肥料をやらずとも、たくさんの収穫があったが、
原住民との争いも絶えなかった(国が安く土地を買い叩いて、侵略者と思われていた
日本人は原住民を「匪賊」、原住民は日本人を「鬼」と呼んでいたが、
開拓移民たちもみんな、日本からの貧しい農民出身者だった。
素朴な合同結婚式が行われ、ハツは口数少ない浅野速男に嫁ぎ、農作業を手伝う毎日。
ハツは速男の許しを得て、弟2人と妹を呼び寄せ、しばし賑やかで平穏な暮らしがあった。
昭和12年「日中戦争」勃発。昭和16年「太平洋戦争」が始まる。
ハツの上の弟・金次は関東軍に入隊。憲兵として中国兵を拷問する日々。
ハツの妹・富枝は、看護婦となり、下の弟・史郎は、幼い頃にイジメられたとき
心の救いとなった馬との出会いから、いつか牧場を経営するという夢を持つ。
ソ連軍の侵攻で、前線にいた開拓民はある日突然、移動を命じられる。
列車で新京(長春)に送られた者、乗り遅れて関東軍に見捨てられた者、千振の結束が分裂してしまう。
そして、17~47歳の男子は根こそぎ動員され、速男も召集された。
昭和20年8月19日終戦。
しかし開拓民には知らされなかったので、集団自決した者も大勢いた。
何も食べ物がないまま長距離を移動している間に、年寄り、子どもは次々と死んでいった。
おぶっていた赤ん坊がすでに死んでいることに気づかなかったという証言には言葉を失った。
現地の農家に子どもを置いていく母親も多かった→中国残留日本人
「方正」にある日本人収容所に着き、1日1杯の穀物と塩などで生活。
飢餓に苦しむ中、ハツは一番下の娘・恵子を亡くし、現地に埋める。
速男はシベリアに送られ、過酷な労働と粗悪な環境、極寒で肺炎に罹る。
抑留者57万人以上。死者5万5千人以上。
ソ連軍のレイプから逃れるため、ハツらは長い髪を切って男に扮装した。
中華民国政府率いる国民革命軍×中国共産党率いる中国人民解放軍との間で「国共内戦」が起こる。
日本人医師・看護婦らは従軍医にされた=「留用」(日本に帰れなかった)
「方正」が満杯になったため、ハツらは「ハルビン」→「長春」に移動させられ、千振の仲間と合流する。
長春ではチフスが蔓延し、大勢が死んだという。
ハツらは生きるため、大豆を加工して納豆を作って売る。
そして、とうとう引き揚げ船で日本に帰国。
開拓民27万人。うち約8万人が亡くなった。
宮城の親戚を頼ったハツらは、そこでも食べ物がなく厄介者扱いされる。
千振の仲間のリーダー的存在の吉崎さんは「第二の千振を作ろう」と
国有地の払い下げを受けた栃木の那須に仲間を集める
そこは、竹林が深く根を下ろす、千振とはまったく違った痩せた荒地だった。
昭和21年~31年。ソ連抑留者たちの帰国。
速男の友人だった今野力は、速男が肺炎で亡くなったことを告げ、
自分は絵が上手いため、ソ連軍人の肖像画を描いて卵をもらっていたのに
一度も分け与えなかったことを悔いて、精神を病む。
1949年(昭和24年)中国建国。
憲兵だった金次らは「戦犯管理所」に移送され、「自分らのやったことを書け」と何度も命令される。
自分たちも拷問の末、殺されるという恐怖で自殺者も出た。
金次は、千振で小作の息子だった友人・春岐と再会する。
1950年。朝鮮戦争に義勇軍も参戦。
昭和28年~33年。留用されていた人たちが帰国を許されるが、
富枝は、中国語を教えてくれた共産党軍の若者と結婚して残ることを決意する。
那須では牛や馬を飼いはじめ、雌牛が生まれると赤飯を炊いて喜んだ。
乳を1日4回搾り、重い缶を女たちだけで遠くまで運んで売った。
昭和31年。大冷害があり、吉崎はとうとう国に訴える。
開拓民たちがいかに命からがら逃げ回り、よそ者扱いされながら荒地と闘い、
病院も学校も遠く、貧しい暮らしの中で飢えに耐えてきたかを直訴する。
昭和31年。憲兵の155人を起訴。周恩来首相が死刑を却下。
懲役20年が45人。不起訴者は釈放された。
金次はやっと帰国し、長野でリンゴを作って、中国にも送りたいという。
両親を失くして、ハツが引き取った女児・恵子と史郎が結婚。
ハツは「私たちはずっと土とともに生きてきた。夫の口癖は“まあ、いい”だった。
生きてさえいればなんとかなる。2人ともおめでとう」と言葉をかける。
1981年(昭和56年)。中国残留日本人孤児訪日調査が開始される。
戦後、強制徴用されていた木戸浦進作は、やっと帰国したが、
妻のチエは、兄の薦めで再婚し、子どもも授かっていた。
中国の農家に預けてきた息子は、自分が日本人である記憶もなく、
そこで家族を持って暮らしている。
年老いて「開拓の碑」を訪れるハツ。
速男が徴収された朝、「自分に万一のことがあったら読んでくれ」
と渡された手紙の中に、ハツの好きな桔梗の種が入っていて、
その花を速男だと思って、逞しく生きてきたハツの前に速男の幻影が現れる・・・
那須高原として、今では素晴らしい観光地のひとつとして有名な場所に
こんな過酷な歴史があるなんて、まったく知らなかった/驚
女性の開拓者という視点で戦争を考えさせられたのも初めて。
どの土地も、最初から平坦な道や田畑、平地ではなかったんだ。
そして、その歴史を生きた人々が今も生きていて語ることの大切さを痛感。
私たちがすっかり忘れてしまっていること、まったく知らない世代もいること、
歪んで教えられている世代もいること、、、
昔を引きずってばかりでは前進できないけれど、
生存者らが語る戦争のむごさは、これからも永遠に語り継がれなければならない。
直接戦って殺し合った以外にも、こんなに多くの悲しみ、苦しみがあったということを。
この星のどこにも、国境もなく、戦争もない、平和な未来のために。
出演:満島ひかり、石田卓也、綾野剛、山下リオ、新井浩文、小林且弥、徳永えり、金井勇太、芦名星、平岳大、前田愛、佐津川愛美、石田法嗣、二階堂智、田中美里、田中哲司 ほか
主題歌:♪いのちの歌/竹内まりや
2012年4月にNHK「ドラマ10」で放送された「日中国交正常化40年記念」ドキュメンタリードラマ。
ちょうど、こないだ書いた『はつ恋』の前で、これも予録したままで、やっと観てみた。
▼あらすじ
日本の傀儡国家という事実を知らずに、満州に渡った開拓移民たち。
阿部ハツら日本人女性は、口減らしのために農家から大量に満州に送られた。
千振(ちふり・現中華人民共和国黒龍江省樺南市)のどこまでも続く地平線に感動するハツ。
千振の豊かな土地では、肥料をやらずとも、たくさんの収穫があったが、
原住民との争いも絶えなかった(国が安く土地を買い叩いて、侵略者と思われていた
日本人は原住民を「匪賊」、原住民は日本人を「鬼」と呼んでいたが、
開拓移民たちもみんな、日本からの貧しい農民出身者だった。
素朴な合同結婚式が行われ、ハツは口数少ない浅野速男に嫁ぎ、農作業を手伝う毎日。
ハツは速男の許しを得て、弟2人と妹を呼び寄せ、しばし賑やかで平穏な暮らしがあった。
昭和12年「日中戦争」勃発。昭和16年「太平洋戦争」が始まる。
ハツの上の弟・金次は関東軍に入隊。憲兵として中国兵を拷問する日々。
ハツの妹・富枝は、看護婦となり、下の弟・史郎は、幼い頃にイジメられたとき
心の救いとなった馬との出会いから、いつか牧場を経営するという夢を持つ。
ソ連軍の侵攻で、前線にいた開拓民はある日突然、移動を命じられる。
列車で新京(長春)に送られた者、乗り遅れて関東軍に見捨てられた者、千振の結束が分裂してしまう。
そして、17~47歳の男子は根こそぎ動員され、速男も召集された。
昭和20年8月19日終戦。
しかし開拓民には知らされなかったので、集団自決した者も大勢いた。
何も食べ物がないまま長距離を移動している間に、年寄り、子どもは次々と死んでいった。
おぶっていた赤ん坊がすでに死んでいることに気づかなかったという証言には言葉を失った。
現地の農家に子どもを置いていく母親も多かった→中国残留日本人
「方正」にある日本人収容所に着き、1日1杯の穀物と塩などで生活。
飢餓に苦しむ中、ハツは一番下の娘・恵子を亡くし、現地に埋める。
速男はシベリアに送られ、過酷な労働と粗悪な環境、極寒で肺炎に罹る。
抑留者57万人以上。死者5万5千人以上。
ソ連軍のレイプから逃れるため、ハツらは長い髪を切って男に扮装した。
中華民国政府率いる国民革命軍×中国共産党率いる中国人民解放軍との間で「国共内戦」が起こる。
日本人医師・看護婦らは従軍医にされた=「留用」(日本に帰れなかった)
「方正」が満杯になったため、ハツらは「ハルビン」→「長春」に移動させられ、千振の仲間と合流する。
長春ではチフスが蔓延し、大勢が死んだという。
ハツらは生きるため、大豆を加工して納豆を作って売る。
そして、とうとう引き揚げ船で日本に帰国。
開拓民27万人。うち約8万人が亡くなった。
宮城の親戚を頼ったハツらは、そこでも食べ物がなく厄介者扱いされる。
千振の仲間のリーダー的存在の吉崎さんは「第二の千振を作ろう」と
国有地の払い下げを受けた栃木の那須に仲間を集める
そこは、竹林が深く根を下ろす、千振とはまったく違った痩せた荒地だった。
昭和21年~31年。ソ連抑留者たちの帰国。
速男の友人だった今野力は、速男が肺炎で亡くなったことを告げ、
自分は絵が上手いため、ソ連軍人の肖像画を描いて卵をもらっていたのに
一度も分け与えなかったことを悔いて、精神を病む。
1949年(昭和24年)中国建国。
憲兵だった金次らは「戦犯管理所」に移送され、「自分らのやったことを書け」と何度も命令される。
自分たちも拷問の末、殺されるという恐怖で自殺者も出た。
金次は、千振で小作の息子だった友人・春岐と再会する。
1950年。朝鮮戦争に義勇軍も参戦。
昭和28年~33年。留用されていた人たちが帰国を許されるが、
富枝は、中国語を教えてくれた共産党軍の若者と結婚して残ることを決意する。
那須では牛や馬を飼いはじめ、雌牛が生まれると赤飯を炊いて喜んだ。
乳を1日4回搾り、重い缶を女たちだけで遠くまで運んで売った。
昭和31年。大冷害があり、吉崎はとうとう国に訴える。
開拓民たちがいかに命からがら逃げ回り、よそ者扱いされながら荒地と闘い、
病院も学校も遠く、貧しい暮らしの中で飢えに耐えてきたかを直訴する。
昭和31年。憲兵の155人を起訴。周恩来首相が死刑を却下。
懲役20年が45人。不起訴者は釈放された。
金次はやっと帰国し、長野でリンゴを作って、中国にも送りたいという。
両親を失くして、ハツが引き取った女児・恵子と史郎が結婚。
ハツは「私たちはずっと土とともに生きてきた。夫の口癖は“まあ、いい”だった。
生きてさえいればなんとかなる。2人ともおめでとう」と言葉をかける。
1981年(昭和56年)。中国残留日本人孤児訪日調査が開始される。
戦後、強制徴用されていた木戸浦進作は、やっと帰国したが、
妻のチエは、兄の薦めで再婚し、子どもも授かっていた。
中国の農家に預けてきた息子は、自分が日本人である記憶もなく、
そこで家族を持って暮らしている。
年老いて「開拓の碑」を訪れるハツ。
速男が徴収された朝、「自分に万一のことがあったら読んでくれ」
と渡された手紙の中に、ハツの好きな桔梗の種が入っていて、
その花を速男だと思って、逞しく生きてきたハツの前に速男の幻影が現れる・・・
那須高原として、今では素晴らしい観光地のひとつとして有名な場所に
こんな過酷な歴史があるなんて、まったく知らなかった/驚
女性の開拓者という視点で戦争を考えさせられたのも初めて。
どの土地も、最初から平坦な道や田畑、平地ではなかったんだ。
そして、その歴史を生きた人々が今も生きていて語ることの大切さを痛感。
私たちがすっかり忘れてしまっていること、まったく知らない世代もいること、
歪んで教えられている世代もいること、、、
昔を引きずってばかりでは前進できないけれど、
生存者らが語る戦争のむごさは、これからも永遠に語り継がれなければならない。
直接戦って殺し合った以外にも、こんなに多くの悲しみ、苦しみがあったということを。
この星のどこにも、国境もなく、戦争もない、平和な未来のために。