過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part4からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『リトル・ブッダ』(1993)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:キアヌ・リーブス、ブリジット・フォンダ ほか
“僧が神への生贄として羊の首を切ろうとすると羊は微笑んだ。「なぜ笑うのか?」
「私はずっと昔から生贄の羊だったが、今度は人間に生まれ変われるのです」すると羊は泣き出した。
「なぜ泣くのか?」「あなたはたくさんの羊を殺し、生贄にしてきた」
僧は泣いて許しを求めた「もう二度と羊を殺さず、命を大切にしよう」”
キリストを扱った伝記映画はいくつか撮られたが、イタリアの監督がブッダをこんなに細部に渡って描いたのも珍しい。
この神話、輪廻を信じる信じないに関わらず、フシギな色の効果~N.Y.はすべて青、よってこの夫婦はどこか冷めて物質的、
インドとブッダのシーンはすべて赤系、よって生命力と躍動感で生き生きしている、この対照。
インドのつかみどころのない魅力的な吸引力。物欲と日々の迷い。その日単位で生きているわたしたちに数々の仏教の教えが染みわたってゆく。
このような宗教の起源説は実際の歴史なのか? 語りから生まれた神話なのか?
神の使いは超能力者とどう違うのか? 信じる信じないは理屈じゃないんだ。
■『ディーヴァ』(1981)
監督:ジャン・ジャック・ベネックス 出演:リシャール・ボーランジェ ほか
フランス流にキッチュなハードボイルド。普通の青年の巻き込まれ型ストーリーだけど、
クラシックへの敬愛、ディーヴァへの崇拝、ファンならずとも彼女の歌声を一度聴けば、聴き惚れずにはいられない。
深く美しく官能的。日傘をさす彼女と青年の静かなシーン。ファンと過ごし、やがて惹かれてゆく歌姫のくだりもイイ。
ひとクセもふたクセもある他のキャラクターと、ちょっと凝ったユーモアがなんともいえない。
とくに「これは嫌いだ」となんにでも難癖をつける、爆風の河合さんみたいな風貌の殺し屋がサイコー。
警察と青年の追跡劇もある。バイクで地下鉄をどんどん走って、階段も上がったり下がったり、負けじと走る、走る!
青年の住んでいるバラックがまたなんともポップ。
床にはなまめかしいラクウェル・ウェルチの絵、周りはクラッシュにあったロールスロイスなど。
万引きばかりするけど芸術の価値は分かるベトナム少女のロリータっぽい魅力は
作品をフランス映画というよりアジア系の雰囲気にしている。
■『THE PICK-UP ARTIST』(1987)
監督:ジェームズ・トバック 出演:モリー・リングウォルド、ロバート・ダウニーJr.、デニス・ホッパー、ハーベイ・カイテル ほか
'80盛んに作られたポップなボーイミーツガールもの。21歳のダウニーが今作で映画初主演ということで
とにかくバネの入ったネズミみたく跳んではねて、若いエネルギーそのもの。
ポップな青春グラフィティで同じく人気を得たモリーのチープファッションは、今作でも注目。
といってもちょっとシックなグレー系が多かったかな。
同類の作品に『レス・ザン・ゼロ』や『プリティ・イン・ピンク』なんかがある。
飲んだくれオヤジ役でホッパーが出てるのにビックリ。
ほんとに最初から最後まで飲んだくれてワケの分からんことを言い続けるだけなの!
台本にちゃんとした彼のセリフがひと言でも書いてあったのかしら?
あと『ピアノ・レッスン』で記憶も新しいカイテルなど後々も注目株の俳優ぞろいの割に
ストーリーは平凡、等身大のアメリカン・ラブ・コメディだからね。
■『フィアレス 恐怖の向こう側』(1993)
監督:ピーター・ウィアー 出演:ジェフ・ブリッジス ほか
「恐れ」高所恐怖症や閉所恐怖症も、あるいは獣、ナイフ等、恐怖も人格を構成する一要素であり個性でもある。
どれもいきつくところ「死」を恐れることにつながる。近頃、「臨死体験」というのが話題になっており、
今作にも用いられている「穴」や「光」に吸い込まれてゆく感じは世界共通している臨死体験のイメージだ。
フィアレス・・・死を奇跡的に免れた男の心の中を描いた異色作。
いじめによって自殺する子どもがニュースになり、「生」へのこだわりがなくなっている病んだ都市生活者が増えている現代に
改めて「死」の偶然性、神や宗教が死への恐怖の裏返しであるということ、それでも生き抜いていこうとする人間の姿を問いかける。
悲劇を象徴する飛行機事故、その本来の様子は当人らにしか分からない衝撃と、愛する者を突然奪われることの悲しみ。
それをよそに賠償金をより多く請求しようとする弁護士や、その時のニュースだけを求めてたかるマスコミなども語られてゆく。
「父が突然死んだ時、こう思うことにした。この世に神様などいないのだ。
結局、本当のところ人は神など心から信じちゃいない。誰か話す人が必要なだけなんだ」
そういうマックスの仕事机に何枚もの黒い穴の絵にまじって光の中に入ってゆく裸の人々の絵があるのがフシギだ。
怖ろしくも魅惑的な無の世界・・・死から地上へと戻る理由は人それぞれだろうが、私にとっては一体何だろう?
■『つめたく冷えた月』(1991)
監督:パトリック・ブシテー 出演:ジャン・フランソワ・ステヴナン ほか
「自分のクソを見せつけられた気がした」というたけしさんのコメント付き。
海にとりつかれた男たちを描いた『グラン・ブルー』のリュック・ベッソン総指揮の下、
“30数種類のモノクロ”を使ったというブシテー監督の仏映で、かなりエグイ“死体とのセックスシーン”なんてあるけど、
別に死体愛好者の話じゃない。R.ロバートソンに似た、ハンサムだけど少年がそのまま中年になった感じの
なまけ者で酒好き無責任男デデと、いつも彼の面倒をみて一緒にバカばかりやっているシモンの一風変わった友情物語。
ジミヘンにかなり心酔してギターを買いたくても金がないデデのために、ケンカしたお詫びに盗み出そうとしたり、
まったくどうしよーもない迷惑なやつなんだけど、あのクリクリした眼に、いつも笑ってる真っ白い歯、
陽気でのん気なデデにはついつい怒る気もなくなってしまう。
死んでもレイプされちゃうなんてあの女性も随分ひどい目に遭ったものだけど、
ここでは彼女が誰なのか、どうして若くして死んだのかなどは一切語られない。
モノクロだから妙に生々しいグロテスクさは感じられず、2人のバカな中年男の度の過ぎた冗談て感じ。
■『永遠の愛に生きて』(1993)
監督:リチャード・アッテンボロー 出演:デボラ・ウインガー、アンソニー・ホプキンス ほか
「私が死んでからの痛みは今の幸せの一部」というシーンに涙しない者はいないだろう。
絵はがきのようなイギリス郊外の家と木々の風景の中で育くまれる静かで熱い真実の愛。
悲劇には違いないけれど、孤独な老作家と、離婚し、不治の病にかかったジョイの、
それぞれの状況があったからこそ素晴らしい出会いと別れを知ることができた。
ジョイのどこまでも誇り高く、ポジティヴで正直な考え方に私たちは学ぶことが多い。
「経験こそすべて」「本は孤独を救う」とは正反対の言葉だ。
「本は人を傷つけない」「傷つくのが真実なのか?」「傷つくことから学べるもの」
最愛の者を失くす悲しみがどれだけ深く人を傷つけるか、幸いにもまだ私はそれを知らない。
しかし、あれほど自信に満ちた男の態度が傷つくことへの不安や悲しみの裏返しであると教えられてから、
彼は教師として、義父として、作家として、そしてなにより人間としてもっと柔軟に優しく深い人間に
成長してゆく様子を見て、再度変わるチャンスはいくらでもある、その先の世界も体験し、分かりたい気がした。
デボラは『愛と哀しみの果てに』と同じような役で、他にも『危険な女』の映画化やコメディにも活躍し、
鼻っ柱の強いエネルギーがいつも伝わってくる。ホプキンスの円熟した静かで厚みのあるルイス役も見事。
『ナルニア国物語』のC.S.ルイスの原作はきっと夢とマジックと優しさに満ちているのだろう。ぜひ読んでみたい。
■『ホーム・アローン2』(1992)
監督:クリス・コロンバス 出演:マコーレ・カルキン、ジョー・ペシ、ダニエル・スターン、ジョン・ハード ほか
今年も家で『ホーム・アローン』を観るクリスマス。ま、これもいいじゃないの。
初作と同じメンバーで初作に劣らぬファミリードタバタコメディが楽しめるんだから
しかも今作には、かのティム・カリーが豪華ホテルのマネージャー役で大爆笑シーンを繰り広げてくれる。
前回のビデオの声を使ったトリックも良かったけど、今度もサイコー笑える。やっぱりケビンはフツーの子どもじゃない!
ホームレスのB.フリッカーの寂しげな役がなんとも印象的。
「大事にとっておいて結局履けなくなったスケートぐつみたいだ。せっかくあるハートは使わなくちゃ」
なんて悟ったセリフはなかなか少年の口から出るもんじゃない。
今作も♪デーオ のおばさんのあったかボケママぶいは快調。太っちゃったジョン・ハードのフツーのパパぶり、
そしてなんといってもカルキン君なしでは本作は成り立たない。
“I don't think so.”のセリフがもう一度聞けて、次から次へと新しいアイデアに走り回る
元気いっぱいのエネルギーが、観ているこちらにもビンビン伝わってくる。
■『英国式庭園殺人事件』(1882)
監督:ピーター・グリーナウェイ 出演:アンソニー・ヒギンズ ほか
グリーナウェイの色濃い、常軌を逸した感覚は初期から変わらない。
イギリスの国民的趣味である「庭作り」をめぐる巧妙に仕組まれた財産相続の罠。
そのセリフのアクセント自体に強烈な毒気と皮肉を感じさせ、豪華で完璧に凝った衣装は重苦しく非人間的。
昔は警察や裁判で公正な正義が行われることもなく、あんな風に勝手な物的証拠や偽証、
誰かのはかりごとによって簡単に汚名を着せられて消されちゃう世の中だったのね。空恐ろしい。
これまた完璧に整備されたあの庭はすごい。あんな庭を持ち続ける人間とは一体どんなケタ違いな富豪か?
美しさを超えて自然とも異なる人工的な傲慢さすら感じるほど。
もっとフシギなのはストーリーに関係なく突如出現する裸の男。噴水の彫刻になったり、壁になりすましたり、
はたまた松明を持っていたり。黒子のような、単に見切れているような、一応何か意味があるのかしら?
グリーナウェイ作品の登場人物やストーリーにはひとつも温かい情や善は存在せず、
ひたすら人の残虐性、動物的、それ以下の意識的な暴力描かれる。
そればかり執拗なまでに追求する監督のイメージとは一体何なのだろうか?
(私もけっこう懲りない性格だなあ!あの『ベイビー・オブ・マコン』で懲りなかったんだから/驚
■『BACK BEAT もう一人のビートルズ』(1994)
監督:イアン・ソフトリー 出演:スティーヴン・ドーフ ほか
何十年かぶりにニューアルバムが出て、イギリスチャートのNO.1になっているという話題も出ているビートルズ。
デビューしてから今日に至るまで、そしてこれからもずっと彼らの創った音楽は生き続けてゆく。
今回はバンドが売れる前の裏話とステュアートにスポットを当てて、語り尽くされた伝説に、もう1つ神話が加わった。
今作を観ると、それほどの下積み時代もなくデビューと同時にトントン拍子のスーパースター道まっしぐらって感じ。
メンバーも周囲も後の未来が見えているかに思えるような自信と予知めいたセリフが多い。
画家としても腕のいいステュと、ドイツ人写真家のアスリットの純愛は今の若者にいかにも受けそうな、実話とは思えないカッコ良さ。
ステュ役俳優の何気ない中性的な美形と、『ツイン・ピークス』以来のシェリル・リーの
キュートでエキゾティックなショートカットの魅力はピッタリお似合い←ドイツ訛りにはムリがあったけど
リヴァプール訛りはスゴイ。まるで英語じゃないみたい。
アスリットはまだドイツに顕在。しかし、今はもう悲しみをわかち合うジョンもいない。
どうして天才的な人間は短く散ってしまうのか? もっとも苦しむのは後に残された者たちだ。
♪MONEY (THAT'S WHAT I WANT) 、♪ROCK'N ROLL MUSIC 他、多数の初期の曲が聴けるのも嬉しい。
今作のもう一人の主人公はもちろんジョン・レノンだが、“Everything is Dick.”は口ぐせ?
シニカルで屈折した性格で、ゲイの気が少しあったとは初耳で驚いたけど、男女の別ない大きな愛を持っていたんだろう。
■『ジョー、満月の島へ行く』(1990)
監督:ジョン・パトリック・シャンリー 出演:トム・ハンクス、メグ・ライアン ほか
『笑い飛ばそうクリスマス'94』第2弾は息のぴったり合ったトムとメグのコンビ。
ファンタジックコメディ、爆笑ものというよりは、大人のためのおとぎ話風。
"Once upon a time..."から始まって、"They lived happy ever after. the end"で閉じるお話の典型。
でも、主人公はどこにでもいるストレスたまり放題、金もなく、上司にイビられ、いつも体調不良のサリーマン、ジョー。
Everything is money. でも、無駄遣いするほど、その価値が上がるってワケ。メグの七変化ぶりも面白い。
それから音楽。最初のブルースは誰が歌っているんだろう。とってもイイ。
トムが漂流している時にのんきに歌うウクレレ演奏とハワイアンみたいな歌もイイ。
カウボーイ、カウボーイ、カウボーイが向こうからやって来る~
人間死ぬ気でやればなんとかなるものよね。
■『おじさんに気をつけろ!』(1989)
製作・監督・脚本:ジョン・ヒューズ 出演:ジョン・キャンディ、エイミー・マディガン、マコーレ・カルキン ほか
『笑い飛ばそうクリスマス'94』第3弾。こちらも腹を抱えて笑うユーモアより、ハートウォーミング系。
かのコメディ青春グラフィティの傑作『フェリスはある朝突然に』を撮ったヒューズ監督。
3人の子どもの子守りにやってきて家の中はメチャメチャ。こうゆうはた迷惑でテンション高い親戚中の嫌われ者ってどこかにいそう。
なぜか子どもに対しては妙に筋が通ってて、血の通わない教育よりずっといいモラルを持っていて、子どもに好かれてたりする。
でも一番難しいお年頃の女の子ティアの冷めた現代っコの感覚とはどうもぶつかってしまう。
家族の問題って本当に言葉で言えないほど根深くて、単純なのにとてつもなく複雑で、
近すぎるからかえってその答えは遠くにあるものなのよね、分かる、分かる。
まだまだ幼いカルキン君が出演しているのにも注目。小さくてもこの頃から生意気なセリフが一杯。
とてもセクシーとは言えないキャンディの横綱級の体型には参るなあ!
ちなみにレンタルショップで耳に入った「これ面白いんだよ」て噂を聞いたのが今作を観るキッカケ。
少なくともジャケットの宣伝コピーよりは口コミのほうが信じられるでしょ。
part4からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『リトル・ブッダ』(1993)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:キアヌ・リーブス、ブリジット・フォンダ ほか
“僧が神への生贄として羊の首を切ろうとすると羊は微笑んだ。「なぜ笑うのか?」
「私はずっと昔から生贄の羊だったが、今度は人間に生まれ変われるのです」すると羊は泣き出した。
「なぜ泣くのか?」「あなたはたくさんの羊を殺し、生贄にしてきた」
僧は泣いて許しを求めた「もう二度と羊を殺さず、命を大切にしよう」”
キリストを扱った伝記映画はいくつか撮られたが、イタリアの監督がブッダをこんなに細部に渡って描いたのも珍しい。
この神話、輪廻を信じる信じないに関わらず、フシギな色の効果~N.Y.はすべて青、よってこの夫婦はどこか冷めて物質的、
インドとブッダのシーンはすべて赤系、よって生命力と躍動感で生き生きしている、この対照。
インドのつかみどころのない魅力的な吸引力。物欲と日々の迷い。その日単位で生きているわたしたちに数々の仏教の教えが染みわたってゆく。
このような宗教の起源説は実際の歴史なのか? 語りから生まれた神話なのか?
神の使いは超能力者とどう違うのか? 信じる信じないは理屈じゃないんだ。
■『ディーヴァ』(1981)
監督:ジャン・ジャック・ベネックス 出演:リシャール・ボーランジェ ほか
フランス流にキッチュなハードボイルド。普通の青年の巻き込まれ型ストーリーだけど、
クラシックへの敬愛、ディーヴァへの崇拝、ファンならずとも彼女の歌声を一度聴けば、聴き惚れずにはいられない。
深く美しく官能的。日傘をさす彼女と青年の静かなシーン。ファンと過ごし、やがて惹かれてゆく歌姫のくだりもイイ。
ひとクセもふたクセもある他のキャラクターと、ちょっと凝ったユーモアがなんともいえない。
とくに「これは嫌いだ」となんにでも難癖をつける、爆風の河合さんみたいな風貌の殺し屋がサイコー。
警察と青年の追跡劇もある。バイクで地下鉄をどんどん走って、階段も上がったり下がったり、負けじと走る、走る!
青年の住んでいるバラックがまたなんともポップ。
床にはなまめかしいラクウェル・ウェルチの絵、周りはクラッシュにあったロールスロイスなど。
万引きばかりするけど芸術の価値は分かるベトナム少女のロリータっぽい魅力は
作品をフランス映画というよりアジア系の雰囲気にしている。
■『THE PICK-UP ARTIST』(1987)
監督:ジェームズ・トバック 出演:モリー・リングウォルド、ロバート・ダウニーJr.、デニス・ホッパー、ハーベイ・カイテル ほか
'80盛んに作られたポップなボーイミーツガールもの。21歳のダウニーが今作で映画初主演ということで
とにかくバネの入ったネズミみたく跳んではねて、若いエネルギーそのもの。
ポップな青春グラフィティで同じく人気を得たモリーのチープファッションは、今作でも注目。
といってもちょっとシックなグレー系が多かったかな。
同類の作品に『レス・ザン・ゼロ』や『プリティ・イン・ピンク』なんかがある。
飲んだくれオヤジ役でホッパーが出てるのにビックリ。
ほんとに最初から最後まで飲んだくれてワケの分からんことを言い続けるだけなの!
台本にちゃんとした彼のセリフがひと言でも書いてあったのかしら?
あと『ピアノ・レッスン』で記憶も新しいカイテルなど後々も注目株の俳優ぞろいの割に
ストーリーは平凡、等身大のアメリカン・ラブ・コメディだからね。
■『フィアレス 恐怖の向こう側』(1993)
監督:ピーター・ウィアー 出演:ジェフ・ブリッジス ほか
「恐れ」高所恐怖症や閉所恐怖症も、あるいは獣、ナイフ等、恐怖も人格を構成する一要素であり個性でもある。
どれもいきつくところ「死」を恐れることにつながる。近頃、「臨死体験」というのが話題になっており、
今作にも用いられている「穴」や「光」に吸い込まれてゆく感じは世界共通している臨死体験のイメージだ。
フィアレス・・・死を奇跡的に免れた男の心の中を描いた異色作。
いじめによって自殺する子どもがニュースになり、「生」へのこだわりがなくなっている病んだ都市生活者が増えている現代に
改めて「死」の偶然性、神や宗教が死への恐怖の裏返しであるということ、それでも生き抜いていこうとする人間の姿を問いかける。
悲劇を象徴する飛行機事故、その本来の様子は当人らにしか分からない衝撃と、愛する者を突然奪われることの悲しみ。
それをよそに賠償金をより多く請求しようとする弁護士や、その時のニュースだけを求めてたかるマスコミなども語られてゆく。
「父が突然死んだ時、こう思うことにした。この世に神様などいないのだ。
結局、本当のところ人は神など心から信じちゃいない。誰か話す人が必要なだけなんだ」
そういうマックスの仕事机に何枚もの黒い穴の絵にまじって光の中に入ってゆく裸の人々の絵があるのがフシギだ。
怖ろしくも魅惑的な無の世界・・・死から地上へと戻る理由は人それぞれだろうが、私にとっては一体何だろう?
■『つめたく冷えた月』(1991)
監督:パトリック・ブシテー 出演:ジャン・フランソワ・ステヴナン ほか
「自分のクソを見せつけられた気がした」というたけしさんのコメント付き。
海にとりつかれた男たちを描いた『グラン・ブルー』のリュック・ベッソン総指揮の下、
“30数種類のモノクロ”を使ったというブシテー監督の仏映で、かなりエグイ“死体とのセックスシーン”なんてあるけど、
別に死体愛好者の話じゃない。R.ロバートソンに似た、ハンサムだけど少年がそのまま中年になった感じの
なまけ者で酒好き無責任男デデと、いつも彼の面倒をみて一緒にバカばかりやっているシモンの一風変わった友情物語。
ジミヘンにかなり心酔してギターを買いたくても金がないデデのために、ケンカしたお詫びに盗み出そうとしたり、
まったくどうしよーもない迷惑なやつなんだけど、あのクリクリした眼に、いつも笑ってる真っ白い歯、
陽気でのん気なデデにはついつい怒る気もなくなってしまう。
死んでもレイプされちゃうなんてあの女性も随分ひどい目に遭ったものだけど、
ここでは彼女が誰なのか、どうして若くして死んだのかなどは一切語られない。
モノクロだから妙に生々しいグロテスクさは感じられず、2人のバカな中年男の度の過ぎた冗談て感じ。
■『永遠の愛に生きて』(1993)
監督:リチャード・アッテンボロー 出演:デボラ・ウインガー、アンソニー・ホプキンス ほか
「私が死んでからの痛みは今の幸せの一部」というシーンに涙しない者はいないだろう。
絵はがきのようなイギリス郊外の家と木々の風景の中で育くまれる静かで熱い真実の愛。
悲劇には違いないけれど、孤独な老作家と、離婚し、不治の病にかかったジョイの、
それぞれの状況があったからこそ素晴らしい出会いと別れを知ることができた。
ジョイのどこまでも誇り高く、ポジティヴで正直な考え方に私たちは学ぶことが多い。
「経験こそすべて」「本は孤独を救う」とは正反対の言葉だ。
「本は人を傷つけない」「傷つくのが真実なのか?」「傷つくことから学べるもの」
最愛の者を失くす悲しみがどれだけ深く人を傷つけるか、幸いにもまだ私はそれを知らない。
しかし、あれほど自信に満ちた男の態度が傷つくことへの不安や悲しみの裏返しであると教えられてから、
彼は教師として、義父として、作家として、そしてなにより人間としてもっと柔軟に優しく深い人間に
成長してゆく様子を見て、再度変わるチャンスはいくらでもある、その先の世界も体験し、分かりたい気がした。
デボラは『愛と哀しみの果てに』と同じような役で、他にも『危険な女』の映画化やコメディにも活躍し、
鼻っ柱の強いエネルギーがいつも伝わってくる。ホプキンスの円熟した静かで厚みのあるルイス役も見事。
『ナルニア国物語』のC.S.ルイスの原作はきっと夢とマジックと優しさに満ちているのだろう。ぜひ読んでみたい。
■『ホーム・アローン2』(1992)
監督:クリス・コロンバス 出演:マコーレ・カルキン、ジョー・ペシ、ダニエル・スターン、ジョン・ハード ほか
今年も家で『ホーム・アローン』を観るクリスマス。ま、これもいいじゃないの。
初作と同じメンバーで初作に劣らぬファミリードタバタコメディが楽しめるんだから
しかも今作には、かのティム・カリーが豪華ホテルのマネージャー役で大爆笑シーンを繰り広げてくれる。
前回のビデオの声を使ったトリックも良かったけど、今度もサイコー笑える。やっぱりケビンはフツーの子どもじゃない!
ホームレスのB.フリッカーの寂しげな役がなんとも印象的。
「大事にとっておいて結局履けなくなったスケートぐつみたいだ。せっかくあるハートは使わなくちゃ」
なんて悟ったセリフはなかなか少年の口から出るもんじゃない。
今作も♪デーオ のおばさんのあったかボケママぶいは快調。太っちゃったジョン・ハードのフツーのパパぶり、
そしてなんといってもカルキン君なしでは本作は成り立たない。
“I don't think so.”のセリフがもう一度聞けて、次から次へと新しいアイデアに走り回る
元気いっぱいのエネルギーが、観ているこちらにもビンビン伝わってくる。
■『英国式庭園殺人事件』(1882)
監督:ピーター・グリーナウェイ 出演:アンソニー・ヒギンズ ほか
グリーナウェイの色濃い、常軌を逸した感覚は初期から変わらない。
イギリスの国民的趣味である「庭作り」をめぐる巧妙に仕組まれた財産相続の罠。
そのセリフのアクセント自体に強烈な毒気と皮肉を感じさせ、豪華で完璧に凝った衣装は重苦しく非人間的。
昔は警察や裁判で公正な正義が行われることもなく、あんな風に勝手な物的証拠や偽証、
誰かのはかりごとによって簡単に汚名を着せられて消されちゃう世の中だったのね。空恐ろしい。
これまた完璧に整備されたあの庭はすごい。あんな庭を持ち続ける人間とは一体どんなケタ違いな富豪か?
美しさを超えて自然とも異なる人工的な傲慢さすら感じるほど。
もっとフシギなのはストーリーに関係なく突如出現する裸の男。噴水の彫刻になったり、壁になりすましたり、
はたまた松明を持っていたり。黒子のような、単に見切れているような、一応何か意味があるのかしら?
グリーナウェイ作品の登場人物やストーリーにはひとつも温かい情や善は存在せず、
ひたすら人の残虐性、動物的、それ以下の意識的な暴力描かれる。
そればかり執拗なまでに追求する監督のイメージとは一体何なのだろうか?
(私もけっこう懲りない性格だなあ!あの『ベイビー・オブ・マコン』で懲りなかったんだから/驚
■『BACK BEAT もう一人のビートルズ』(1994)
監督:イアン・ソフトリー 出演:スティーヴン・ドーフ ほか
何十年かぶりにニューアルバムが出て、イギリスチャートのNO.1になっているという話題も出ているビートルズ。
デビューしてから今日に至るまで、そしてこれからもずっと彼らの創った音楽は生き続けてゆく。
今回はバンドが売れる前の裏話とステュアートにスポットを当てて、語り尽くされた伝説に、もう1つ神話が加わった。
今作を観ると、それほどの下積み時代もなくデビューと同時にトントン拍子のスーパースター道まっしぐらって感じ。
メンバーも周囲も後の未来が見えているかに思えるような自信と予知めいたセリフが多い。
画家としても腕のいいステュと、ドイツ人写真家のアスリットの純愛は今の若者にいかにも受けそうな、実話とは思えないカッコ良さ。
ステュ役俳優の何気ない中性的な美形と、『ツイン・ピークス』以来のシェリル・リーの
キュートでエキゾティックなショートカットの魅力はピッタリお似合い←ドイツ訛りにはムリがあったけど
リヴァプール訛りはスゴイ。まるで英語じゃないみたい。
アスリットはまだドイツに顕在。しかし、今はもう悲しみをわかち合うジョンもいない。
どうして天才的な人間は短く散ってしまうのか? もっとも苦しむのは後に残された者たちだ。
♪MONEY (THAT'S WHAT I WANT) 、♪ROCK'N ROLL MUSIC 他、多数の初期の曲が聴けるのも嬉しい。
今作のもう一人の主人公はもちろんジョン・レノンだが、“Everything is Dick.”は口ぐせ?
シニカルで屈折した性格で、ゲイの気が少しあったとは初耳で驚いたけど、男女の別ない大きな愛を持っていたんだろう。
■『ジョー、満月の島へ行く』(1990)
監督:ジョン・パトリック・シャンリー 出演:トム・ハンクス、メグ・ライアン ほか
『笑い飛ばそうクリスマス'94』第2弾は息のぴったり合ったトムとメグのコンビ。
ファンタジックコメディ、爆笑ものというよりは、大人のためのおとぎ話風。
"Once upon a time..."から始まって、"They lived happy ever after. the end"で閉じるお話の典型。
でも、主人公はどこにでもいるストレスたまり放題、金もなく、上司にイビられ、いつも体調不良のサリーマン、ジョー。
Everything is money. でも、無駄遣いするほど、その価値が上がるってワケ。メグの七変化ぶりも面白い。
それから音楽。最初のブルースは誰が歌っているんだろう。とってもイイ。
トムが漂流している時にのんきに歌うウクレレ演奏とハワイアンみたいな歌もイイ。
カウボーイ、カウボーイ、カウボーイが向こうからやって来る~
人間死ぬ気でやればなんとかなるものよね。
■『おじさんに気をつけろ!』(1989)
製作・監督・脚本:ジョン・ヒューズ 出演:ジョン・キャンディ、エイミー・マディガン、マコーレ・カルキン ほか
『笑い飛ばそうクリスマス'94』第3弾。こちらも腹を抱えて笑うユーモアより、ハートウォーミング系。
かのコメディ青春グラフィティの傑作『フェリスはある朝突然に』を撮ったヒューズ監督。
3人の子どもの子守りにやってきて家の中はメチャメチャ。こうゆうはた迷惑でテンション高い親戚中の嫌われ者ってどこかにいそう。
なぜか子どもに対しては妙に筋が通ってて、血の通わない教育よりずっといいモラルを持っていて、子どもに好かれてたりする。
でも一番難しいお年頃の女の子ティアの冷めた現代っコの感覚とはどうもぶつかってしまう。
家族の問題って本当に言葉で言えないほど根深くて、単純なのにとてつもなく複雑で、
近すぎるからかえってその答えは遠くにあるものなのよね、分かる、分かる。
まだまだ幼いカルキン君が出演しているのにも注目。小さくてもこの頃から生意気なセリフが一杯。
とてもセクシーとは言えないキャンディの横綱級の体型には参るなあ!
ちなみにレンタルショップで耳に入った「これ面白いんだよ」て噂を聞いたのが今作を観るキッカケ。
少なくともジャケットの宣伝コピーよりは口コミのほうが信じられるでしょ。