メランコリア

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筋ジストロフィーの詩人・岩崎 航の日々―@ハートネット

2015-09-27 12:12:36 | テレビ・動画配信
生き抜くという旗印 ―筋ジストロフィーの詩人・岩崎 航の日々―@ハートネット

トップの写真は、谷川俊太郎さんが送った読者カード


谷川さんも出演されるのかと思って予録したが、それはなくて残念。
でも、番組自体はとても考えさせられるものだった。

現代の最新医療の野蛮さに、私は耐えられない。
「経管食」(胃に常時、管(マーゲンチューブ)を挿入しておき、流動性の栄養物(流動食)を注入する)や、
「経鼻栄養チューブ」などは、パニック障害にとって死ぬより恐い生き地獄でしかない。

岩崎さんは、生きるほうを選択した。
私は、“病も魂の成長で、それに耐えうる準備ができているということだ”というどこかで読んだ言葉を信じている。
だから、私などと比べようもないほど、岩崎さん、そのご家族も強いんだと思う。
だから、あんなにステキな笑顔で笑えるんだ。


 

仙台に住む岩崎さんは「進行性筋ジストロフィー」という病。
食事は胃ろうという方法。入浴、排泄もすべてヘルパーや両親らの手が必要。

 
ヘルパーさん/胃ろう

わずかに動く指先だけで打つのは「五行歌」

 

 

「自分に呼びかけてる。私は人の助けを借りないと1日も一瞬も生きられない人間なので。
 だけど、そこからしか歌は歌えない」

29、30歳頃から約15年間、1日中ベッドの上で過ごす。

 


詩を書く自由を与えたのはパソコン。これまで書いた詩は3000以上。



幼少期
 

 


中学3年生で立ち上がれなくなった。


テレビで同世代の人たちの姿を見たりすると、表面的なことで自分と比べてしまう。
 どこか社会から取り残されているような感じ。
 自由に人と関わっていけないような状況のように感じていた」
(病でなくても、みんなそう思ってる気がする


高校は通信制。家から出なくなると、人とのかかわりが怖いと思いはじめた。
17歳の時、自死を決意。

「この自分のままで生きていても未来、将来がないという悲観的な気持ちにすっかり覆われていた。
 死のうと思っていた心と同時に、このままで死にたくない、
 こんな涙をこぼしたり、悲しんだり、苦しんだりするためにだけ生きてきたわけじゃないだろうと。
 このまま死んでたまるかというような気持ちになった。
 最後にもういっぺん、死に物狂いで生きてみようと」


20代半ば、詩を書き始めた

「この病を含めたままの自分で堂々と生きていこうという気持ちになった。
 ほんとに自分の心から自身で思えるようになった時がスタートラインで
 それから私のいろんなことが始まっていくと思う」

父は震災のガレキの中から芽を出したひまわりを大事に育てている。


母は、子どもの健康と長寿を願うつるし飾りを作っている。
 

 


月に一度楽しみにしている外出
 
お兄さんも同じ病で入院生活を送っている/驚

兄「詩のHPはちょくちょく見てるけどさ、結構いい歌というか、感じることが書いてある」
弟「読んでくれてるんだ」

「何でも続けてくってことが大事だよね」
 「ここまで元気でいられるとは思わなかった」
 「稔と喋るとストレス発散できる」

 

 


本を出版
 

2年前からHPが反響を呼び、詩集を出したところ、詩集として異例の1万部を売り上げた
(パソコン、SNSの本当の力ってこういうところにあると思う。
 国境もなく、規制もなく、書きたいことを、自由に書いて、自分の思いを表現できる。
 どんな国の、どんな環境にある人でも、そんな機会が必要なんだ。

 


読者からたくさんのメッセージが届いた。


 



「私は自身に向けて書いているところがあるんですけど、
 結果的に読んでくださった人の心に力となって届くのであれば、それは嬉しいし、幸せだと思う。
 本当にあの時、死なないで良かったと思う


今は2冊目の執筆に取り組んでいる
読者から「もっと岩崎さんについて知りたい」と声があり、秋にエッセイ集が出る。
(病との葛藤を書く上で、長文は詩とは違うから難しいよね。より自身をさらけ出さなきゃ、人の心に響かない。

 

編集者からのアドバイス:
「一番ポイントとして直していかなきゃいけないのが、
 発作的にナイフがあって命を絶とうとして、
 その時、同時に生きようと反転する気持ちが湧き上がってきたというのが、
 読み手には「そうなったんだ」としか分からない。

 五行詩が岩崎さんの闘病の記録だったら、僕はそこまで感じ入らなかった。会いに行かなかった。
 みんなここから、自分の人生や、生活、記憶とかを見ていきながら、いろんな力を得ていくものだと思います。
 自分の書きたいことはあると思うけど、それは何のために書くのか、厳しい作家の目で見て
 そこをぜひ乗り越えていって頂きたい。信頼してお待ちしています。大変な山ではありますが」

「そうですね。登りたいと思います」

「もし、何かで自分の人生を諦めてしまって、もうダメだと思って、
 命を投げだそうと思っている人もいるかと思うんですけど、
 そういう人たちに向けても、僕は呼びかけたい。

 私も今もいろんな惑いもありますし、生きている中で苦しいことも、
 どうしていいか分からないこともたくさんある。
 そういうそのままの自分、生きている現在進行形の、生き続けていくという姿を
 そのまま文章、詩にしていく、それが私の生きることじゃないかなって思う」





追。
谷川俊太郎 × 50代女性 × 写真 = 日本男子改造計画?!


深い対談だなあ!
なんでも西洋化して、高度経済成長やらで、
日本の原風景、魂のあり方がいろいろおかしくなったと私も同感。


『今日まで そして 明日から』(佼成出版社)



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『やさしさは愛じゃない』(幻冬舎)

2015-09-27 12:03:29 | 
『やさしさは愛じゃない』(幻冬舎)
荒木経惟/写真 谷川俊太郎/詩

前回読んだ『子どもたちの遺言』(佼成出版社)と真逆なものを選んでしまったようだ。
荒木さんはヌード写真が好きなのか? これもエログロってやつ?

表紙が表しているとおり、内容も、写真も暗く、恨み深いダーク一色。
でも、コレも女性の本性のひとつ。

常に見られる対象、その恐怖、異性とのすれ違い、自分とのすれ違い。
そんなドロドロした、普段では隠しているものを露わにして、
谷川さんは、今度は、微妙な年頃の女性になりきって詩を書いている。
変幻自在だな/驚

読んでいて、同性ながら、文字から目を背けたくなる。

けれども、写真の中の女性に同化しているかのような谷川さんは、
同時に、撮っている荒木さんに挑戦し、反抗しているようにも感じる。

そして最後には、「被写体」という受け身の存在から、
自立し、解放されたような言葉で終わり、若干ホッとしている。

'90年代、私もこんな反抗的な場所で迷いあぐねた詩ばかり書いて吐き出していたっけ。
それで、どうにかこうにか自分を守って生きていたんだ。




【内容抜粋メモ】

あいつは言葉で何か言えると思ってる、
言葉では、何も言えないと知っているから。

私は聞きとろうと耳をすます、
あいつがどこかに隠してるはずの、
静けさを。


************

お金なんて誰のものでもなかった、
知らない間にふえてたり
いつの間にかなくなってたり
落っことしたり拾ったりひらひらひら、
あんな薄っぺらなもののおかげで
生きてきたなんて思いたくない。


************

いちばん先に腐るのは
いちばん生き生きしてるもの、
いちばんあとまで残るのは
とっくの昔に死んでいるもの。





あなたは私を誉めたたえてばかりいた、
その眼鏡のひんやりしたふたつの目で、
男の、
欲望の、
きりのない、
みのりのない、
やさしさで。


************

私は出て行く、
あいつの写す真実から、
「写真」から。

あいつが写すのはあの世ばかり、
でも私はこの世に生きてる、
まだ。

私は出て行く、
あいつの夢見た幻から
私自身への真実へと。





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